時代遅れ
今日の昼は、今や反原発派から自民党と共に悪の巣窟とみなされている経団連に、高級弁当をご馳走になった。
これで私も体制側の人間だ。アハハ。
私も歳を取ったな(泣)。
ま、弁当に関しては、当社も多額の会費を払っているわけで、その会費が巡りめぐって今日の弁当になっているのだから、ご馳走になったということもないのだが。
しかしね、経団連、大丈夫かな。
セキュリティ大甘だよ。
2階の大ホール前まではフリーパスで、受付でも会社名を言うだけでいい。
こんな弛いビルは他にない。
それはそれとして、不思議な会議だった。
最前列には誰もが知っている大企業の会長、社長で、経団連の要職にある方々が座っている(米倉爺は海外出張で不在)。
その前には2百数十名もの人たちが弁当箱を前に、じっと座っている。
9割がた大企業に勤める50代前後の男性だ。
ほとんど会話はない。
やがて、マイクを通して「皆さまだいたいお揃いになりましたので、お召し上がりください」と宣言があった。
ひたすら無言で弁当を食べる人々の姿がそこにあった。
食後の議事もそのままの雰囲気で終始した。
いやはや。
それでも、弁当は美味かった。
鱈の西京焼きとか野菜と湯葉の炊き合わせや、胡桃の味噌和えなんて実に美味だった。
それに、松茸の吸い物が付いていた。
それなりの厚みがある(ペラペラじゃない程度だけど)一切れが、きちんと香りを放っていた。
ただ、参加者の年齢に合わせたのか、ボリュームは私には腹五分目といったところだ。
ま、経団連の飯を食ったから言うわけじゃないが、経団連と言ったってみんなサラリーマンだよ。
大企業は金儲けのために原発を推進しているなんていう反原発派の紋切り型の批判は、頓珍漢も甚だしい。
サラリーマンなんて会社の業績が良くなったからといって、急に給料やボーナスが増えるわけではない(そういう企業も中にはあるけど)。
私の知っている多くのサラリーマンは、金のためじゃなく自分たちのプライドのために働いている。
たとえば、電力会社の社員なら電力の安定供給のため、通信会社なら世界中のコミュニケーションを支えるというミッション、薬品会社なら病苦からの解放
etc.
各々が自分のポジションに応じた社会的使命を果たすことにプライドをかけ、プロフェッショナルとして仕事をしている(もちろんそういう人間ばかりとは残念ながら言えないが)。
そして、サラリーマンたちも家に帰れば一市民だ。
大企業vs. (社会的弱者の)市民といったステレオタイプな対立の図式は、少なくとも20年前には時代遅れになっていると、私は感じている。
ところが、「市民運動家/活動家」は、未だにそこに活動の原点があるみたいだ。
特に50代以上の活動家は大抵がそんな感じ。
反体制意識が脳裡に刷り込まれてしまっているのかな。
もっと世の中に目を向けようよ。