3月11日 東日本大地震 停電とご飯炊き
3月11日 の地震でここ福島県中通地方北部でも停電になった。 下の写真は翌日の12日のもの。灯りは、時おり通る車のものしかない。 物流が機能不全となり、物資が食料品を中心に無くなったうえ、ガソリンの供給が途絶えたため、車の通行量も極端に減った。 我が家の場合、ガスも不通のため、この日は、薪でご飯を炊いた。鍋はもちろん真空調理器「シャトルシェフ」で。ダッチオーブンでとも思ったが、さすがにそれを持ち出す気にはなれなかった。 上の写真の背景にご注目を。停電で真っ暗です。 翌朝もご飯は薪で炊いたが、その後はさすがに面倒になり、カセットコンロで炊いた。 米だけは一年間のストックがあるのでなくなる心配がない。翌日未明には電気が通じた。下は14日の夜、薪を焚いた付近から撮影。電気が通じて、ガスも大丈夫になった。しかし、上水が出るようになるのにはそれから1週間くらいかかった。 ライフラインが途切れて、完全復旧まで約1週間以上かかったが、私にすれば、これだけでも大変なことだと思ったのだが、それがもっと長期にわたって断たれている方たちのストレスはどれほどのものか、想像を絶するものがある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こうした災害時に、持っていて助かったもの。電気を使わない反射板の石油ストーブ。懐中電灯。これは大きなもの2つと、各部屋に置く小さなLED灯が数個ストックがあった。電池もなぜかストックがあったのには助かった。カセットコンロと予備ボンベ3本程度。これは意識していつも置いてある。雨水...これは前の日記にも書いたが、トイレの水として大変助かった。増設予定だ。ライター、マッチ真空調理器「シャトルシェフ」...省エネ調理ができる。米...物流は1週間を経ずとも復活するので、これはさほど意識しなくとも思うが、主食が余るくらいあると安心するものだ。ビール...これは私だけか?そして何より大事なのは、常日のより良い人間関係づくり。かな。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 無くて困ったもの。ガソリンと灯油、そして飲める水かな? わが町伊達市梁川町は、「水の光るまち」を標榜するとおり地下水は豊富な町ではある。しかし、それをとりにいくガソリンがない!善意の方々から水の提供をご連絡いただいたが行けない。 幸い我が家の場合は市の給水場所が近くで、徒歩で水をもらいに行くことができたが、お年寄りだけの世帯は大変だったろうと思う。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その後、さっそく、例のごとく「さあ!節電、節水!しなくちゃ。」とは思ったが、「のどもと過ぎればすぐ忘れる」のも目に見えている。これは国民性なのか自分の性格なのか判然とはしないが、事実だ。 忘れないうちに早くやってしまわないと...。とりあえず増設し始めたのが「雨水貯蓄」だが、「太陽光利用」、「太陽熱利用」の趣味レベルでの再チャレンジもしていきたいと思っている。 ところで、私は「ストレス」って何なのか、どんな状態を示すのか、自分の感受性不足とそれに対する不勉強のため、その概念さえ理解できなかったが、今回の経験でなんとなく少し理解できるようになった気がする。 …そのお話は後日機会があれば。多分。