明きょう止水 

2008/05/03(土)14:15

ホラーゲームの本質

考え事(122)

ある噂を聞いたのだが クロックタワーが映画化するらしい クロックタワーと言えば在りし日に一生懸命にクリアを目指し奮闘したホラーゲームだ。知らない方がいればちょっとだけ説明しておくと… 「セプテントリオン」、「ファイヤーメン」に続くパニックソフトシリーズの完結編。 正体不明の殺人鬼の住む館に招かれた主人公が、殺人鬼からひたすら逃げながら館からの脱出を図るゲーム。主人公はか弱い少女であり、敵に見つかればなす術が無いという緊張感と、北欧のドラキュラ城風の舞台が見事にマッチしていると人気を呼んだ。また、ダリオ・アルジェント作の映画、フェノミナへのオマージュが随所に見られる。                               (Wikipedia引用) 思えば私がホラーゲームにはまりだしたのもこの作品だった。それまでにも多くのホラーゲームがある中で何故これを選んだかという正当な理由は持ち合わせてはいない。ただ遊びに行った友人の家にあったからというのが理由だ。しかしそれ以上に遊んでみてわかったのだが、こういう類のホラーゲームというのは何故だか癖になるということに気づいた。 ホラーゲームと言われれば最初に思いつくのがバイオハザードだろう。売り上げやシリーズの多さを見てもホラーゲーム業界に金字塔を立てたといってもいいくらいだ。しかしホラーがすきな私はバイオハザードはやったことがない。その理由は私が求めるものとは違うという印象を受けたからだった。 上述したクロックタワーは、プレイヤーを殺そうとする殺人鬼が出てくるという点ではバイオハザードやほかのホラーゲームと類似している。しかしクロックタワーがほかのホラーゲームと一線を画しているのはそのスタイルにある。クロックタワーシリーズを見てみてもわかるのだが、主人公が丸腰なのだ。つまり殺人鬼が現れた場合プレイヤーの取ることの出来る手段は「逃げる」というものしかない。ロッカーの中に隠れたり物陰に身を潜めてやり過ごす、これがクロックタワーにおける回避法だ。倒すのではない、回避するのだ。しかしそれこそがホラーという世界においては最もリアリティある行動ではないかと思う。 私は少し前にブログにも書いたことがあるのだが幽霊のようなものを見たことがある。結局その真意はわからなかったのだが、その時の私は体が硬直したかのように動けなかったのを覚えている。つまり、人間は正体がわからないものに相対した場合、そして自分の畏怖するものと相対した場合には、機敏に動くことが不可能になってしまうものだということだ。よくホラー映画等で正体不明のものに相対した場合に叫ぶなどのリアクションをしているのを見たことがあるが、あれは予測していたからこそ出来るリアクションではないだろうか?実際同じような場面に出くわしたことがないのでなんとも言えないが、畏怖の象徴や正体不明のものに出くわした時にはそのものの正体が何であるかを究明しようというよりは逃げよう、身を隠そうというのが人間の心理だということは私自身の経験上でわかっている。 その観点に於いてもクロックタワーというゲームの性質は酷似している。何者かわからないものに追い回されて逃げるしかないという恐怖、隠れることで回避出来るのだが見つかってしまうのではないかという恐怖、逃げ回っているうちに袋小路に追い込まれてやられてしまう恐怖、これらは全てクロックタワーというゲームをやったことがある人に共通した体験ではないだろうか。現実的な恐怖を体現したような味わいで魅せるクロックタワーというゲーム性にはまっていったのはそういうところからだったのかもしれない。 この精神は最近では「SIREN」という作品に受け継がれていると思う。この作品もまた逃げること、やり過ごすことを主な行動に位置づけている作品だ。しかしだからこそ不安に思うのが、映画化することによる原作の劣化だ。 一般的に小説などのように声も姿もないようなものを映画化する場合のほとんどは失敗に終わっている。それは小説を映画化すること自体が非常に難しいからだ。小説というのは登場人物の絵も声もない。だからこそ読み手は自分なりの登場人物の像であったり声であったりを想像で補完して感情移入していくことになる。その補完という行為は一人として同じイメージで重なることはない。となると、小説の映画化はそれらのイメージを全て汲み取ったものでなければならないということだ。原作ファンを納得させる仕上がりというものはそういうものであるべきだ。 同様にゲームを映画化することも難しい。それはゲームという「仮想現実」の世界を現実的なものに昇華させる必要があるからだ。対象が現実離れしていればいるほどに映画化することは難しくなる。CGに頼るのもまた手法の1つであろうが、それならばアニメにしているも動議だ。わざわざ実写で撮ろうと言うのだからCGに頼り過ぎない且つ原作に忠実な作品に仕上げることが求められる。そうなると作品は劣化してしまうという結果になるのだ。 ともあれクロックタワーが映画化されることは素直に嬉しい。出来れば映画館で見たいものだ。願わくばシザーマンがリアルに動いているところをこの目で拝みたい♪

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