京呉館的良品探索“京都ええもんみっけ!”vol 24
9月2日(土)沖縄で“HYDE沖縄ライブ”が行われたのですがな・なんと!Σヽ(゚Д゚○)ノバンドメンバー全員が京呉館でお馴染みの金子國義ゆかたの「髑髏(ドクロ)」の黒を着て出演されていました~!!!o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o なんか妙に親近感が沸いている石川です。*:..。o○゚・:,。*:..。o○*:゚・:,。*:..。o○゚・:,。*:..。o*:..。o○*:..。早いもので“京都ええもんみっけ!”もこの回でまる1年が経ちました。毎回、私自身、すごく楽しんでええもんに取り組んでいたのであっっという間の1年でした。もしかして・・・一人で楽しんでしまっていたら・・・今更ですがスイマセン(笑)ゞ( ̄∇ ̄;)皆さまの暖かい声援のおかげでこうして1年間、続けることができたことを本当に心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。そんな本当に楽しかった“京都ええもんみっけ!”ですがとりあえずは今回で最後ということになりました。。・゚・(*ノД`*)・゚・。 といってもなくなるのではなく、次回よりプチリニューアルを予定しております。次に皆さまとお会いするときは、かなりパワーアップして登場したいと思っていますので楽しみにしててください!そのときまで、忘れないでくださいね!+。:.゜ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。何かありましたらいつでも石川まで下さいっっ♪なんだか楽しみなような・・・寂しい石川でした。(。TωT)ノ・゚:*:(次回のおとどけは10月前半の予定です。)◆ 九月の前半のテーマは【京乙女】 ───────── ◆京都でみつけた乙女な“ええもん”をお届けします。【京都東寺の幻のどら焼】これは“京都ええもんみっけ!”1周年を飾るにふさわしい、石川イチオシの一品です!<( ̄^ ̄)>えっと・・・確認ですが、これは紛れもないどら焼です。決して間違っているわけではありませんョ。。。。(((o・ω・)いわゆる一般的なあの「どらやき」が お寺の銅鑼(ドラ)に似ていることからそう呼ばれるのに対し、 このどら焼は銅鑼の上で香ばしい皮が焼かれた事からそう呼ばれています。京都に住んでいる私ですら、いつでも手に入るというわけではない、毎月3日間しかお目に掛かれないという幻のどら焼。作るのに非常に手間がかかるそうで、 当初は弘法大師の命日にちなんで毎月21日にだけ売る事にしていたのだそうです。今はその21日を挟んだ20日21日22日の3日間のみ、売られています。ちなみにこの21日は東寺で弘法市が立つ日でもあります。このどら焼、もともと僧侶の副食なので、動物性たんぱく質の食品は使われておらず自然の素材だけで作られた体に優しい和菓子です。甘さ控えめなあんに、もっちりした皮、ホント最高ですっっ*:.。..。.(´∀`人)ではここで、私のちょっとまめ知識!江戸時代末期、5代目当主笹屋伊兵衛が京都の東寺のお坊さんより、副食となる菓子を作って欲しいとの依頼を受けました。そこでお寺でもお作り出来るようにと鉄板の変わりに銅鑼を使うことを考えついたのが笹屋伊織の「どら焼」の始まりです。★プレゼントの応募はこちら★ 【和柄ミニ鏡台】最近はドレッサーが主流となり、鏡台のあるご家庭は少なくなってきましたが、昔は婚礼家具の一つとして、欠かせないものでした。昔のお嫁さんは、こんな可愛いらしい鏡台でお化粧したんかなぁ・・・普通の鏡台に置いちゃえるかわいいミニサイズの鏡台。私と子供、一緒に並んでお召かしタイム・・・子供どころか結婚もまだ先になりそうな石川のはかない夢でした。...:.;::..;::: .:.;::….;: ̄)…:.;:- ̄ )( ̄ー+ ̄ )ではここで、私のちょっとまめ知識!鏡の起源は池などの水面に自分の姿形を映しだす、水の鏡と考えられています。その後銅鏡が中国より持ち込まれましたが化粧をするためのものではなく、呪術用や祭祀〔さいし〕用具として使われていました。 平安時代頃から貴族たちの間で化粧(当時、髪型・服装などを整えることも含まれました)をする習慣が起こり、鏡を五本脚で支える丈の短い柱にかけたことが鏡台の始まりだといわれています。現在は鏡台というとこのドレッサーのほうを思い浮かべる人も多いようです。★プレゼントの応募はこちら★【縁結び指輪御守】いろいろな縁結びの御守りを見てきましたが、このタイプは初めて見ました!こうして1年間、いろいろなええもんを探してきましたが、まだ、初めてのモノがあったとは・・・おそるべし、奥が深い・・・京都。(。-`ω´-)ではここで、私のちょっとまめ知識!「六角さん」の名称で、京の町の人々に昔から親しまれてきた六角堂は、寺号が紫雲山頂法寺。西暦587年、聖徳太子を開基として創建されたと伝えられています。★プレゼントの応募はこちら★