カテゴリ:健康
2年前に私は手術をした。
そこで、初めて全身麻酔というものを経験した。 これは、 ヘルニアの手術のときにも行うので 大手術というわけでもなくても使用することが多く 要するに手術する部位に因るものが多い。 心臓が動いてるとそのブレによりミスも生じる可能性もあり、 そのために心臓を故意に止めて その代わりに酸素を送っていく作業をするのだが、 要するにこの手術の間 心臓が止まるので まさに「死」の状態と同じ 当然にどんな手術であろうが危険は伴うわけで 家族の同意と そしてリスクや成功率などの十分な医師からの説明が必要。 しかし、私はこの説明や 家族の立会いはほぼ断ち切って手術に臨んだ。 母と子はいたが、心配されたくなかったので なるべく安心させるような言葉だけ伝えて 手術当日にきてもらわないことにした。 今、思えば、成功しか考えていなかったから そうさせたのであろう。 しかし、流行のカテーテル・・ う・・医療ミスもありえたかも・・ しかし、成功した。 良かった。 死と同じ状態になる覚悟をした日 私は一時だけ、離婚したことを悔いた 「このまま私が死んだら、子供はどうなるのだろう・・」 「もし、このまま寝たきりにでもなり、 いずれにか死にめとることになったその瞬間、 私は誰の手を握りながら息を引き取っていくのだろう」 そんな思いをめぐらした。 以前に、友人の母親がまだ40代の半ばで息を引き取った。 毎日友達本人は母親の見舞いを欠かせなかったのに 何日かぶりに父親が病院に訪れ そこで自分には見せなかった安堵の笑顔で 最後に逝ってしまった母親が印象的だったと。 彼女は全てを託し 夫の手の中で亡くなった。 娘の将来をよろしく。 自分の親の病気のときはお願いね。 そして家族として今後もきっと仲良くやってね。 そんな気持ちをこめて 最後に笑って安心して逝くことができたのだろう。 私には、そういう存在がいなかった。 だから、まだ、死ねない。 死ぬもんか。 そんな気持ちが 「すぐに帰るから病院には来なくていいよ」 と言っていた本当の理由。 気合こめて、さぁ・・手術だ。 と、意気込んでいた最中に 突然に中学の頃からの幼馴染がやってきた。 彼女は、家族も誰も来ないからと 代わりに元気つけるために来たとのことで せっかくノスタルジックな気分に浸るところが 手術の麻酔を打つ直前までに 私を笑わせ続け 死の予感もすっかり忘れさせられてしまった。 そして、そのまま私はまな板の鯉となった・・ 今でも手術前のあの時間は何だかわけわからない・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.07 21:23:49
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