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誰と一緒になっても同じ 中年になるとそんな気持ちに落ち着いてしまう なんで こんな人と結婚して苦労して まだ一緒に居ながらも頑張ってるのか そう思える夫婦を見ていて 感じることは そこに何かしらの愛を感じる 面食いのあたしが、あの人と一緒になったのは 今でも不思議なのよ。 それでも、あの人から教えてもらった事が今でも 私には息づいてるから、今もずっと感謝しているの 彼女は、どう見ても 夫を養ってあげてるような状況に映るのだけど それでも かいがいしく夫を支えている。 離婚を何度か口にした事があるが いつでも、それは本気に見えない きっとこの人はいつまでも 夫の愚痴を言いながらも 夫と毎晩酒を汲み交わすことが楽しみな 老夫婦になっていくように思えてならない お金じゃないつながり 信頼関係でもないつながり これを覆いつくしてしまうのは何だろう。 それが 始まりの一歩だったのかもしれない。 無理に作られたものではなく 自然にいつの間にか身近にいて そこでいつの間にか大切な相手になっていた関係 そこで出来てしまった思い出 そこでの印象がいつまでたっても 彼女の脳裏に焼きついてるようだ。 今はぐうたらな夫で何も役に立たないようだけど 結婚当初に彼女がとっても悩んだときに すっと手を差し伸べてくれた優しさに対しての感謝を 決して忘れていないようだ。 窮地のときに 自然と助けてくれていた それも間接的にしてくれたので 自分で確かめながら渡りきっていけた事が いつまでも生きている。 愛って押し付けるものでもないし 形でもない 魂を振起すような感覚 それが得られたら 大きな山も丘のごとく飛び越えてしまう力になってしまう。 単純だけど うまく操作されてしまう。 だから 始まりの一歩はやはり情熱的なほうがいいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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