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秘密基地

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じいちゃんとかばあちゃんのこと

2011年12月09日
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普段は、ネット上で開業なさっているそらさんUmiさん

月に一度だけ、そらさんのご自宅でリアルに開く「空想書店」という古書店があります。



その空想書店の「そらさん」が

澤村貞子さん著の「貝のうた」がいいとおっしゃっていました。

澤村貞子さんは祖母の家庭教師をしてくださっていた方です。

そう言ったら、なんと、そらさんがその本をプレゼントして下さったのです!





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ありがたく、そしてすごく面白くて一晩で読んでしまうほど熱中しました。




祖母と、その弟三人の大叔父たちの名前も出てきました。

私が生まれる何十年も前の話しですが、

何故か苦しくなるほどの懐かしさを感じて震えました。




祖母の弟三人はみんな役者をしていました。

澤村宗之助・伊藤雄之助・澤村昌之助という名前で、

歌舞伎役者だったり、映画やドラマをやっていたり…。

今でも時々古いものの再放送とかで顔を見ます。




そして、祖母は大人になって、映画を作っていた祖父と結婚したのです。





私の小さな頃は、この叔父たちがみんな、

今の私の実家の両隣や裏に住んでいて、

いつも近くで、大きな家族のようでした。





懐かしすぎです。胸の当たりがくくーっとなります。

小さな頃を一気に色々想い出しました。




祖母から聞いた関東大震災のときの様子とかまで、

まるで自分の記憶のように蘇りました。

浅草寺の裏手の観音様の中に逃げ込んで、

その中からそっと外を見たら、大きな信楽焼のたぬきさんが水をまいて

火事を消してくれていた…とか…。

今となっては嘘か本当か確認すらできない記憶です。

(多分本当である可能性は低い…とは思いますが、私は今でも本当だったと思ってます)




曾祖父である初代澤村宗之助は、夭折しました。

38歳で舞台の上で倒れたのです。

曽祖母である鈴木徳子は帝劇の第一期生の女優でした。



妹にその話をしたら、曽祖母が女優していたことすら知らずに驚いていました。

毎月、お墓参りに行ってるのにね。w

妹が知らなかったことに、私がビックリです。




こういうことを妹と話す機会ができたのも「貝のうた」のおかげです。

忘れないように…私の覚書として、これからも色々書いておこうと思います。

よその家のじいさんばあさんの話し…興味なくても…読んでねっ!





そうそう、その空想書店さん、12月の開催は明日と明後日です!!

http://qusobooks.exblog.jp/ ←こちらです。













あああ!!!空想書店さんのリンクに飛ぶ前に!!
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最終更新日  2011年12月09日 13時37分04秒
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2009年08月06日
久々に「カテゴリーじいちゃんエピソード」です。



じいちゃんが亡くなる1~2年前だったと思うから
今から10年位前のこと。

当時、実家の二階が祖父の住まい。
一階に父と母が暮らしてた。
家の中の階段で行き来は自由だけど、
玄関は二つ。外階段を上がったとこが祖父の玄関。

じいちゃんがお昼頃、階下に下りてきて言った。
「午後、映画を作ってるという若いのが来るから。
 もし、下に来たら外階段を案内してやってくれ」と。

その日午前中に
「映画を作っている「しんどう」と申します。
 ぜひ、教えて頂きたいことがあるので、
 お時間作って頂いて、伺わせて頂けないか」と
電話があったそう。

で、昼過ぎ。下の玄関に「どうも…」と
やって見えたのは、押しも押されもしない映画監督。
音羽信子さんのご主人。新藤兼人さんだった。

一階の父も母も仰天。
でも、一番驚いたのは祖父だったらしい。

とても真摯な態度で「教えて欲しいことがある」なんて言うから
絶対若い映画人だと思ったと言っていた。
そして、新藤監督のお人柄にむちゃくちゃ感心していた。

新藤監督は、祖父より二つ年上。
お互いに知ってはいたけど、映画会社も違っていたので
ちゃんと話すのは初めてだったんだって。

二人で映画のことを色々話して、
楽しい時間を過ごしたらしい。

今から10年前ったって、新藤監督87歳だもんね。
…今でも現役映画監督。
この向上心(祖父がお教えできることなんか無かったはずですが)。

………すごすぎます。

0132新藤さん.jpg






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ありがとうございます。






最終更新日  2009年08月26日 10時30分54秒
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2009年06月03日
0066たけさん.jpg

じいちゃんがまだ若くて助監督をしていた頃、
ついていた監督の息子はまだ小さくて、
じいちゃんのことを「あんちゃん」と呼び、
撮影所ではいつもまとわりついていたそう。
(おんぶしてる時、背中におねしょされた事も)

それで、撮影所ではみんなが自然と祖父のことを
「兄ちゃん」と呼ぶようになった。

あの世界の黒澤氏も、祖父より4歳上であったのに「兄ちゃん」と呼んでいた。

祖父も監督としてひとり立ちした後、
助監督としてついていた師である監督が亡くなった。

子供だった師の息子は大きくなっていたが、
その妹嬢はまだ小さく、一時祖父が預かって、
私の母と姉妹のように暮らしてた時もある。



そんな背中でおねしょをした男の子が故伊丹十三氏で、
小さかった妹嬢が、現大江健三郎夫人。


なんか、ドラマみたいでしょ。






最終更新日  2009年06月03日 21時47分12秒
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2009年06月02日
0065じーじ(悪).jpg

昨日のブログの反応が多くてちょっと嬉しい私。えへ。

で、調子にのっちゃう。ごめんよ、じいちゃん。

(断っておくけど、私は森繁久弥さんを尊敬しているし、大好きですよ)

…で、以下じいちゃん談。

森繁さんが映画に出始めて1~2年目の頃。
ロケ先へ移動中の汽車での事。
じいちゃんと、主演の男優さんと、森繁さんの3人で座ってた。

その主演さんと、森繁さんが賭けをしたんだそう。
長逗留のロケ先の旅館で、どっちが先にそこに女中さんを「モノ」にできるか…。

じいちゃんは「バカな事やめとけ」と笑った…(と本人は言い張っていた)そうだけど、二人は真剣。

到着した旅館の玄関先で、じいちゃんは靴を預け。
主演の男優さんと二人で談笑しつつ、長い廊下を歩き、
案内してもらった部屋の襖をガラリと開けたら…。

「そこで森繁がやっとったんじゃ。宿の女中さんと。もうたまげたわい」

おいおいおい……。




ね、尊敬するでしょ、森繁さん。






最終更新日  2009年06月02日 23時22分55秒
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2009年06月01日
0064じーじ.jpg

私のじいちゃんは、7年前に亡くなった。

映画の監督をしてた。

もう早々に引退してたけど、結構知られている映画も撮ってる。

同居してた私ら夫婦は、毎晩じいちゃんの寝酒(洋酒を軽く一杯)に付き合ってた。

その時に聞いた色々な話は、本当に面白かった。



市川崑氏と祖父は親友だった。
若いころは京都(撮影所の近く)に二人で一緒に住んでた。

その同じアパートに祖母が仕事で数ヶ月だけ住んで(祖母も弟が役者だったので東京から撮影所に仕事で行ってたのに同行してた)いたのが出会いだった。

だから、市川さんと祖父と祖母は同時に知り合ったのだ。

そして…なぜか、祖父母の新婚当初は市川さんも一緒に住んでた。

祖母には弟が3人いた。その一人に伊藤雄之助という役者がいる。

後年、市川さんの監督作品で主役を演じる。

人の出会いというのはとても不思議。

映画好きの青年たちの青春はもっのすごい面白い。

なんだか、一人で楽しんでるのは勿体ないとおもって…。
ここで時々、少しづつ書かせてもらいます。

やっばい話、わんさかあるよ。
書けないよーな話もな…書くけどさ。











最終更新日  2009年06月01日 22時28分32秒
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