小説盆栽物語 7 話 椿の盆景が明懸尼寺を再興させた
盆景寺に中国茶の元祖とも言える樹齢300年の武夷岩茶の盆景があるということから長安の茶の問屋や茶小売業の商人らが連日この武夷岩茶を見に訪れていた。このころはまだ拝観料というものはなかったが、寺を訪れた人々はお賽銭やお布施を持って来るのが決まりになっていた。そこで玉林と盆景和尚はお参りの人々に無料でお茶を出していたが、このお茶は長安の「茶卸小売商組合」からの寄付になっていた。この盆景寺の「無料茶接待所」が中国(806年)で初めての「喫茶店」で玉林(ユーリン)はこの茶店を「岩茶房」と命名していた。
この盆景寺には盆景の500鉢展示場、盆景販売の他には八代目雅山が作庭した唐国一と言われている石庭があった。それ故、日に300人前後の参拝者があり長安の街の新名所だが、住職の盆景和尚が唐国の国宝でもある青龍寺の大曼荼羅を日本国に貸与して日本国官営の東寺の講堂に無事安置されるかの立会人を任命されて4年間も盆景寺を離れることになっている。
そうなると盆景寺は無住職の寺になるが、この寺は日本国比叡山の唐国別院になるために盆景和尚が所属している西明寺からの僧侶派遣は叶わないことになる。仮に中国特有の賄賂とコネを使って僧侶も確保しても玉林が奥の院に住んでいる限り男性の僧侶ではなにかと問題が起こる可能性があり玉林と盆景和尚は頭を悩ましていた。
そこで玉林と盆景和尚は空海に相談していたが、空海は、
「私の比叡山も盆景さんの西明寺も青龍寺も尼僧及び尼寺は認めて(当時は)いないが、洛陽にあった明懸尼寺(めいけんにじ)は尼僧のみの尼寺だと聞いているが、もうその寺は廃寺になっている」
「そうですか~それは残念です…」
「いやいや、その明懸尼寺に縁のある尼僧を探して明懸尼寺を再興させればなにも問題はない」
「再興ですか~もし再興できればその尼僧を盆景寺の
住職にすれば…しかし、盆景寺は比叡山の寺です」
「いやいや、この寺はお主ら二人が一緒に住めるための便宜上の寺でもし明懸尼寺が再興できれば比叡山の寺額を明懸尼寺に書き変えれば明日にでも明懸尼寺になる」
「そんな簡単なものてすか?…お寺って?」
「いやいや、何百年続いた明懸尼寺を再興するということはその歴史のすべてを受け継ぐということですからそんな簡単なことではない」
盆景和尚は急いで歩いても8日はかかるという洛陽の明懸尼寺にゆかりのある尼僧を探す旅に出た。洛陽の中心地に旧洛陽城の跡があり、その城の正門すぐ東に旧明懸尼寺跡(504年創建)の石碑がありその脇には小さなお地蔵さまにはまだ新しい花が供えらていた。盆景和尚はこの石碑近くの家で明懸尼寺にゆかりのある尼僧を聞いたらすぐにわかった。
その寺は通称「椿寺」という寺で旧明懸尼寺の本尊の観音菩薩立像を守っている無宗派の尼寺で住職は妙善という55歳だった。この妙善の話しを聞くと明懸尼寺そのものは130年前の洛陽城廃城と同時に廃寺になったが、その時の住職がこの民家を借りて御本尊と寺の歴史を書いた巻物、書物をこの家に隠していたといいます。それから誰となしにこの家を椿寺と言われるようになり、それが私の曽祖母で明懸尼寺の17代目の住職になりますので私は19代目の住職になります。
盆景和尚は妙善にこの通称椿寺の由来を聞くと、
「元々の明懸尼寺には中国の珍しい椿が境内に21種類ほどありました。洛陽城が栄えている時は宮中の女性たちの守り本尊として明懸尼寺もそら~賑わっていたそうです。洛陽城が廃城と同時に明懸尼寺も取り潰されることになり、当時この寺の庭を手入れして頂いていた長安の造園業の雅山さんが将来再び明懸尼寺が再興される時のために境内のすべての椿の盆景を作っていただいたのですが、その盆景がある寺としていつの間にか洛陽の市民から椿寺と呼ばれるようになりました」
「ち、ちよっと待ってください。その椿を盆景にしたのは私の妻の玉林の父親で八代目の雅山の先祖になります」
この奇遇に驚いた二人は思わず御本尊の観音菩薩さまに手を合わしていた。そして庭にある椿の盆景は130年前の21鉢のまま立派に存在していた。妙善はさらにこの盆景を今でも無償で手入れしてくれているのは雅山園で修行して洛陽で独立して造園業を営んでいる雅風園だということがわかった」
盆景和尚は妙善に、
「私が明懸尼寺を探して来た目的は私の寺を明懸尼寺の再興の寺にしていただけることをお願いに来たのです」
「それは大変ありがたいが、盆景さまはどうなされます?」
「私は今年の10月から4年間日本国に盆景の普及の修行にでます。そして無事帰国すれば西明寺の貫主に内定しています。ですから明懸尼寺が再興されたらそのまま中国尼寺本山として末長くお使い下さい」
妙善には一人の娘がいるが、この娘も300年の尼寺の歴史と寺の再興をするために私の弟子となり明懸尼寺がいつ再興されてもいいようにと仏教を学んでいます。その私の祖母もそうで母を弟子にしてこの小さな寺を守ってきましたが、わずか130年後にこうして明懸尼寺が再興されるのは観音菩薩さまのお陰ですと喜んでいた。盆景和尚は小さな椿寺でも洛陽から長安までの引越しは大変だろうと空海からせしめた銀4枚を妙善に手渡していた。
盆景はもしあの時に空海に会わなければ私は人様から預かった銀の半分をかすめ取るという生臭坊主でこの先は賄賂とコネで生きていたかもわからない。何が証拠には私の懐にはその銀4枚がまだあったからだ、その銀を妙善に渡すと同時に盆景の気持ちが軽くなっていた。
こうして観音菩薩さまの御導きで明懸尼寺として再興することが決まっていた。ただ長安に宗派の本山がある寺院は尼そのものを認めていなかったが、その西明寺の次期貫主と内定している盆景和尚が明懸尼寺を再興したことから尼僧及び尼寺をも認める風潮が各宗派にもそろそろ芽生えてきた。そしてこの作戦を考えた空海も日本に帰国すれば尼僧と尼寺の布教活動を認めようと思っていた806年5月になる。
★★★★★新連載小説をはじめました。
小説盆栽物語 1話 空海唐から盆栽50鉢持ち帰りへ
小説盆栽物語 2話 宗景造園業に弟子入りで盆景和尚となる
小説盆栽物語 3話 盆景(盆栽)のルーツ、雅山少年が発見
小説盆栽物語 4話 宗景、玉林の禁断の恋から若者たちが盆景を爆買い
小説盆栽物語 5話 玉林、宗景皇帝に祝福され結婚…豆盆栽
小説盆栽物語 6話 日本茶のルーツは武夷岩茶の盆景になる
★★★
小説西寺物語 1話 守敏と空海の因縁の争い・西寺跡発掘調査・女装小説家 オカマのイナコ
小説西寺物語 2話 九条葱が西寺を救った
小説西寺物語 3話 守敏、芹と葱で大僧正に!
小説西寺物語 4話 稲荷神社のお告げで長岡京遷都決定
小説西寺物語 5話 寺と村落ぐるみ乗っ取り大作戦
小説西寺物語 6話 東大寺権操、守敏長岡京へ抗議の旅
小説西寺物語 7話 東大寺僧兵300名稲荷神社と戦へ
小説西寺物語 8話 農民稲荷神社炎上を救う
小説西寺物語 9話 守敏僧都、都を代表する名僧に!
小説西寺物語 10話 最澄、空海唐へ、守敏奈良仏教から破門
小説西寺物語 11話 僧侶不足で奈良から僧侶引抜き大作戦
小説西寺物語 12話 神野親王武家源氏を旗上げ
おかげさまで、この「伏見稲荷大社の物語」が大ヒット中で連日100ほどのアクセスで読まれています。さらに100話まで書く予定です。