|
カテゴリ:カテゴリ未分類
以下、NIKKEI NETより抜粋。
奈良文化財研究所は13日、大化の改新(645年)で滅ぼされた飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)の東側ふもとで、7世紀の建物跡や大規模な造成工事跡を発見したと発表した。日本書紀に登場する蘇我氏の邸宅跡の可能性があるという。丘の東側で7世紀の建物跡を確認したのは初めて。 奈文研によると、丘陵東側のふもとの谷間にある約6000平方メートルの平たん地の一部を発掘した結果、計5棟の建物跡や約12メートルの塀跡を発見した。整地土から7世紀前半ごろの土器が出土し、大掛かりな造成工事は7世紀前半の可能性が高いが、7世紀後半の土器も大量に見つかったため、建物が7世紀のいつごろに建てられたのかは特定できなかった。 建物の柱の直径は20―30センチで、うち1棟は東西10.5メートル、南北3.6メートル。当時の建物としては規模が小さく、正殿など中心的な建造物ではなく、付属施設だったとみられる。周辺の溝跡には、炭や焼土が残っていた。 (21:03) -------- 蘇我氏の邸宅跡の可能性があるんですね。 7世紀に生きていた人間はどんな生活をしていたのでしょう。 出来ることなら、タイムスリップして 7世紀を覗いてみたいなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.14 05:59:04
コメント(0) | コメントを書く |