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テーマ:インクルーシブ教育(48)
カテゴリ:共に生き、共に育つ
「漢字50問テスト」というのがあります。
(写真提供:写真AC。僕の学校の実際のテストではありません。) 漢字の苦手な子が、これに苦しんでいます。 ほとんど点数がとれないのに、「テストだから自分でがんばれ」と個人の努力に任されていることが、よくあります。 そういったお子さんは、45分のテスト時間中、「分からない」「書けない」という思いをずっと持たされ続けています。 僕はよく通常学級の授業に入らせてもらっているので、ときには、 「教師が、この子もみんなと同じ条件でさせることにこだわっているから、この子にとって、この時間が意味のあるものになっていない」 という指摘をさせていただくことがあります。 ただ、担任の先生も、 「この子にはこの子に合った支援がいるとは思うが、テストの時にどんな支援ができるのか思い当たらない」 という場合が、多々あるようです。 そのため僕が教室に入らせてもらったときに、僕の方で支援をさせてもらって、それが有効だということを本人や担任が実感されたら、 「同じようなかたちで、よかったら、今後も担任がしてあげてください」 とお伝えすることがあります。 支援に関してはケースバイケースなのですが、今日入らせてもらった教室の場合、 「テストに余分があれば、僕にも1枚、いただけますか」 「その1枚を使って、Aさんに支援をしてもいいですか」 と、事前に担任に伝えていました。 Aさんは通級指導で担当させてもらっているお子さんで、今年度だけでなく、経年で見させてもらっているお子さんです。 僕は、テストの回答欄に、正解の漢字を半分書いて、テストを折りたたんでAさんの机上に置きました。 正解の漢字を完全に教えてしまうわけではないけれど、書き出しの半分は見せてやって、後の半分をAさんが思い出すことができれば漢字を書けるようにしたわけです。 折りたたんだのは、一度にヒントが見える問題数を限定するためです。 さて、こういった支援を受け入れるかどうかは、Aさん自身が決めることです。 「こんなの作ったけど、いる?」 と小声で伝えました。 お仕着せの支援になってはいけないので、いらなさそうにしていたら、すぐに引っ込めるつもりでいました。 Aさんは、いらない支援を手で払いのけるようにしっかりと拒絶できる子です。 僕は今まで何度もAさんに「そんなことしていらん」と拒絶されてきたのですが、 今回のAさんは、「それがあるなら、助かる」といった顔をしました。 そして、自力ではほとんど無回答だったのが、漢字の半分をヒントで示されたことで、俄然意欲的になり、どんどん漢字を書いていきました。 結果的には、今までで一番漢字を書いて提出した漢字テストとなりました。 テストに関しては、まだまだ、「みんな同じ」にこだわる風潮があります。 ただ、僕は、たとえば0点のテストを子どもがとったとしたら、それは子どもの責任ではなく、学校の責任だと思います。 学校が子どもに「できない」思いをさせて帰してしまっては、いけません。 逆に、「できる」という思いをさせて帰さなければなりません。 それが、優先事項です。 「テストはみんなに同じやり方でやらせて、同一基準で評価したい」というのは、教師の都合です。 それよりも、子どもの事情のほうが、はるかに重要で、優先されるべきだと思っています。 こういった「この子に必要な特別扱い」のことを、近年は「合理的配慮」というようになりました。 「合理的配慮」とは、みんなと同じことをすることが難しい場合に、その子・その人に合った個別の変更や調整をおこなうことを指します。 「合理的配慮」は、しないことが差別なのであって、それをすることで、その子はようやく他の子と同じように同じ場で学習することができるのです。 今回の僕のやり方(正解の漢字の半分を書いて見せて机上に置いてやるやり方)が適切だったかどうかは、検証しなければなりません。 しかし、どういったやり方であれ、「何かしなければこの子の学習が保障できない」ということが分かっているのであれば、「何もしない」という放置は、子どもを苦しめるだけです。 必要なことがはっきりしなかったとしても、とりあえず思いついた支援をやってみて、そしてその支援について後から検証していき、よりよい支援を考えていけばいいのです。 僕はそう思っています。 あなたは、どう思われますか? ▼「通常学級内での通級担当による支援」 (2023/06/28の日記) ▼「広島県の小学5年生の合理的配慮への道!」 (2021/10/17の日記) ▼小学校市販テストの合理的配慮等(正進社のパンフレットより) (2019/05/19の日記) ▼業者テストの「ルビうち」が標準対応に! (2017/06/10の日記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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