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テーマ:インクルーシブ教育(48)
カテゴリ:共に生き、共に育つ
昨日の続きです。
以下の本の読書メモを続けていきます。 『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』 (荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円) 第1話だけでも、今後のために覚えておきたいことがとにかくたくさん出てきます。 とにかくどんどん書いていきます。 ただ、僕がこのブログでやっていくのはあくまでも「引用」であり、部分的な「抜粋」でしかありません。 言葉はもちろん、文脈の中で理解されてしかるべきものです。 僕の部分的な引用で、興味を持たれたり、心に引っかかりをもたれたりした方は、ぜひ本書を手に取っていただき、通して読んでいただきたいと思います。 以下は、第1話の対談の中での、荒井さんの言葉からです。 ・「愛らしく健気な障害者」としてふるまえば、社会は応援してくれたり、優しくしてくれるかもしれません。 でも、「気分がいいときだけ仲間に入れてもらえる」というのは、本当の社会参加とは言えないんじゃないかな。 (p26) 本書は学校教育ではなく障害者運動のことをテーマにした本ですが、僕は僕のスタンスとして、学校教育に引き寄せて、本書で書かれていることを考えたいと思っています。 上で書かれていることは、学校のなかで、非常によく見られる場面を思い起こさせました。 たとえば、「友だちがいない子」がいるとする。 「お世話される存在」とみなされている子がいるとする。 遠足で、お弁当を食べるときに、一緒に食べる子がいないとする。 そうすると、周りの子が、しかたないから、「仲間に入れてあげる」ということを言う。 それを、先生も周りも、「親切だ」「いいことだ」と思っている現状がある。 僕は、本書の中で後で登場される尾上さんと昨年つながりができました。 いろいろなことを教えていただきましたが、尾上さんは「思いやり差別」という言葉を使われていました。 まさに、「思いやり差別」です。 多数派が「いいことだ」と思って思いやりを発揮しているのに、それに従わないとは何事だ、という無意識の圧力がある。 あなたは、わたしは、それに対してどうしていきますか?ということが、問われていると思います。 ・衝突の機会さえ奪ってしまうのは、「やさしさ」の姿を装った隔離です。 (p28) ひるがえって僕自身のことを考えると、僕は、「やさしさ」が大好きです。 僕はとても弱い人間なので、やさしくしてもらえければ、今まで生きてこれなかったと思います。 遠足のお弁当のような場面では、僕は、「仲間に入れてもらっていた派」です。 これまで受けてきた周囲の人のやさしさには、感謝しかありません。 「でも」「だからこそ」と思います。 でも、だからこそ、「やさしさ」が押しつけになってしまうことに、敏感にならなければいけない、と思います。 本書のなかの対談を通して、僕は、そんなことを思いました。 こういった話を、次回以降も、続けていきます。 よかったら、明日もまた、見に来てください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.10 20:00:11
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