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テーマ:インクルーシブ教育(49)
カテゴリ:共に生き、共に育つ
以下の本の読書メモを続けています。
『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』 (荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円) 連載ブログ記事です。 第1回→ 「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」 第2回→ 「本当の社会参加とは」 本書の第1話の中だけでも、今後のために覚えておきたいことがとにかくたくさん出てきます。 とにかくどんどん書いていきます。 第2回に引き続き、第1話の対談の中での、荒井さんの言葉を引用します。 ・青い芝の会の人たちは、なにかをする前から「危ない」という理由で、やりたいことを禁じられてきた人たちなんです。 「障害者のためを思って」というやさしさを装った禁止は、障害者を1人の「主体」として見てないということではないか。 (p31) ・自分にとって「危ない/危なくない」「できる/できない」の境目はどこかを判断できるようになることが大切なんです。 そうした判断さえさせてもらえない状態を、横田さんは「障害者は自己を奪われている」と表現されていました。 (p32) ・横田さんたちには、そうやって他人に勝手に先回りをされることで行動を制限されてきた、という歴史があるわけです。 (p32)
・荒井: 青い芝の会の人たちは空気を読まなかったですね。 つまり、「健全者がつくった空気は、障害者を排除するためのものだから読む必要はない」と考えた。 ・九龍: この「健全者」という言葉も、障害者に対抗して、マイノリティの側からレッテルを貼り返すための言葉なんですよね。 (p39) 当事者運動から出てきた当事者の言葉というのは大変重いです。 同時に、マイノリティの側が、主体性を取り戻す、勇気をもらえる言葉であることも多いです。 上に引用した「レッテルを貼り返す」といったことは、まさに当事者の側からしか出てこない言葉であり、発想だと思います。 僕が子どもの頃、「ビックリマンシール」というのが流行りました。 そのキャッチフレーズが、「はられたら、はりかえせ」でした。 この言葉に、わずか5文字を付け加えて、「レッテルをはられたら、はりかえせ」とする。 すると、それだけで、痛烈で痛快な逆転現象が起きます。 いつも「される側」でしかなかった側が主体に回ってやり返す姿は、痛快です。 でも、これは、対等な関係であるならば、当然起こってしかるべきことです。 あんのんとしているマジョリティは、たまにはそういう立場を経験するべきではないか、と思います。 そうでなければ、気づかない。 自分がされてみて初めて気づく。 悲しいかな、そういった現実もあるように思います。 荒井さんの言葉にあるように、「障害者を排除する空気」が、今の日本にはたしかにあります。 外国の話を聞くたびに、日本はそういった空気が諸外国よりも強くあることを実感せずにはおれません。 「インクルーシブ社会」や「共生社会」をほんとうに実現していくなら、その「空気」を変えなければならない。 それに気づかせてくれるのが、当事者の言葉です。 当事者側からの発信です。 こういった本でそれを知らせてくれることを、ほんとうにありがたいことだと感じます。 次回以降も、まだまだ本書を読んで感じた話を、続けていきます。 よかったら、明日もまた、見に来てください。 (平日は、なるべく20時に更新するようにしています。)
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Last updated
2024.01.11 20:41:29
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