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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

竹入義勝の学歴詐称

2006年10月30日 22:16:00

 公明党の元委員長でありながら、数多くの金銭疑惑が発覚し、党を「永久追放」された竹入義勝。

 引退後の1998年、新聞に、党と創価学会を攻撃する「デマ手記」を出すも、その「経歴欄」がキッカケで「学歴詐称」がバレたw その後、日顕宗の「檀徒」にw

 その後、女房の「学歴詐称」まで発覚。息子の「大学不正入卒疑惑」にも沈黙。

 ちなみに、竹入の本当の「経歴」は、「尋常小学校高等科卒」「旧国鉄職員」「所沢航空基地の作業兵」「士官学校卒」でも「重爆機長」でも「特攻隊」でもない!w

 人をデマで中傷する前に、1996年に「学歴詐称」しながら天皇から授与された、「勲一等旭日大綬章(=日本最高位の勲章)」を返せと!!w

 党と、ボランティアで応援してくれた人々を利用して建てた「豪邸」は、どんな住み心地だい?w

以下は公明新聞「続 記者座談会 政治家改革の視点」から、「竹入義勝」関連へのリンク。

続 記者座談会 15
嘘つきが政治不信招く
学歴詐称で有権者裏切った竹入

続 記者座談会 16
嘘、カネにまみれ忘恩、反逆
学歴詐称や6億円献金疑惑など名聞名利、私利私欲の竹入

続 記者座談会 23
「芸者遊び」に狂った竹入
支持者に隠れて遊蕩、豪遊三昧
昭和50年代 浅草(東京)の高級料亭で月2回も

続 記者座談会 24
大ウソ重ねた学歴詐称
竹入 見栄張り、党と支持者裏切る

続 記者座談会 27
「日中友好と公明党の真実
結党間もない公明に託した周総理

続 記者座談会 28
日中友好を私物化した竹入
党の成果を「オレがやった」

続 記者座談会 29
竹入一家めぐる疑惑の渦
女房も“詐称”、息子は“裏口入学”

続 記者座談会 30
偽りと虚飾の人生・竹入一族
学歴詐称で得た勲章、即刻返上せよ

続 記者座談会 33
党資金を着服横領した竹入
女房の宝石指輪購入に充てる
公明が損害賠償を求め訴訟起こす

続 記者座談会 34
“芸者遊び”に狂っていた竹入
ひいきの娘の結婚祝いに50万円
“学歴詐称男”の下劣な本性

続 記者座談会 35
汚らわしい竹入の女性関係
変装までしてホテルで密会

続 記者座談会 36
デタラメ“回顧録”で墓穴掘る
竹入 党と支持団体の関係など歪曲

続 記者座談会 37
37 “党の私物化”を画策した竹入
「選挙は応援しろ、政治には口を出すな」
どの政党でも支持団体の意見聞くのは当然

続 記者座談会 38
大物気取りで狂った竹入
盆栽や宝石など 偉ぶってケタ外れの散財


続 記者座談会 39
竹入めぐる不明朗なカネ
2000万円菓子折り事件
辻褄合わぬ言い訳に終始

続 記者座談会 40
身内大事、一族主義の竹入
豪邸、豪遊に走り、他人には冷酷

続 記者座談会 41
 晴れない選挙との「取引」疑惑
竹入長男の医学部“裏口入学”問題

続 記者座談会 42
海外訪問のたびに“宝石漁り”
「日中」をカネ儲けに利用した竹入

続 記者座談会 43
地元支持者を足げにした竹入
「議員はカネ残すな」の陰で蓄財

続 記者座談会 44
女性弄んだ竹入の正体
沖縄で、都内の高級ホテルで
九州では新たな事実も発覚

続 記者座談会 45
女性の将来台無しにした竹入
「母親の無念の思いを晴らしたい」
家族が怒りの告発

続 記者座談会 46
「日中」で金儲けに狂った竹入
悪事や“回顧録”のウソ
二宮元副委員長の日記で明白に

続 記者座談会 47
“権力の魔性”に侵された竹入
カネ・名誉欲の愚劣な本性さらす


『創価新報』2006年4月5日付

政治を厳しく監視せよ!

政治家の「学歴詐称」は犯罪行為
何重もの詐称が発覚した竹入義勝
“彼は即刻勲章を返上すべき”識者


元大統領の勲章を剥奪

 韓国から興味深いニュースが流れてきた。韓国政府は3月21日、軍事反乱罪などで1997年(平成9年)に有罪が確定した金斗煥、盧泰愚元大統領を含む元公職者、不正に関与した経済人ら計176人の勲章を剥奪することを決定した。

 これは現・盧武鉉政権が進めている「過去の清算」の一環で、大統領経験者の勲章が剥奪されるのは初めてのことだという。

 新聞各紙の報道によれば、韓国国内では、以前から民主化運動を弾圧した元大統領らに勲章が授与されたままになっていることに疑問の声が上がっていた。

 そこで昨年、議員立法によって改正賞勲法が国会で成立。行政自治相が勲章剥奪案を閣議に提出して議決されれば、剥奪できるように制度改正されていた。

 今回の政府の判断に対して、国内の市民団体は「当然のことだ」と歓迎。二人の元大統領の出身政党の系譜である野党・ハンナラ党は「有罪判決が確定した事件に伴う政府の判断は妥当」と認めているという。

 大統領経験者さえも勲章を剥奪される。厳格な判断である。だが、それも当然であろう。

 そもそも勲章とは、国家に功労のある者に対し国家から贈られる栄典である。「非行」を犯した人間が受賞者に名を連ねてはならない。ただちに国家は勲章を剥奪すべきだし、受賞者は返上すべきであろう。

 日本にも、勲章を剥奪する「褫奪」という手続きが定められている。栄典制度が存在する限り「過去の清算」は絶えず行われなければならない。

経歴を偽り『勲一等』

 今回の韓国の事例とは次元が異なるが、日本にも「清算」されるべきものがいる。元政治家の竹入義勝である。

 この竹入は「学歴詐称」で代議士の座に居座り続けた“大ウソつきの悪党”である。ことあるごとに「旧制高千穂中学卒」「陸軍航空士官学校出身」と経歴を詐称して、支持者を騙し「議員バッジ」に卑しくしがみついてきた。

 揚げ句の果てに、日本の最高勲章の一つである「勲一等旭日大綬章」を受けたのである。

 竹入の「学歴詐称」は完全に確定している。陸軍航空士官学校の全卒業生の名鑑に竹入の名前は存在しない。

 当時の航空士官学校出身者も「竹入などいなかった」と口をそろえる。

 ところが、評論家の草柳大蔵氏が66年(昭和41年)に出したリポートで、竹人について「航空士官学校卒の重爆機長」とあったことが最近、判明した。

 「士官学校」だけでなく、「重爆機長」まで詐称するとは、驚くべき正真正銘の「詐欺師」である。

“前代未聞の不祥事”

 96年(平成8年)11月6日午前、皇居の正殿「松の間」。そこで竹入は「勲一等旭日大綬章」を受賞した。

 その時の「勲一等」受章者は、わずか8人。国務大臣経験者や、元最高裁判所判事らである。勲一等以上は天皇から親授される習わしである。当時の叙勲対象者が全体で4515人であるから、どれほど高位の勲章かが分かろう。

 その最高位の受賞者に紛れ込み、“詐称男”が天皇から勲章を受け取っていた。

 評論家の高崎隆治氏は厳しく指摘している。

 「学歴詐称の“サギ師”の勲一等は、この国にとっても前代未聞の大不祥事」

 「もし一片の良心があるなら、彼は即刻勲章を返上すべきである。それが彼になして得る人間としての唯一の贖罪である」と。

 まったくその通りであろう。

公職者失格の詐欺師

 そもそも、政治家の学歴詐称は「公職選挙法」の虚偽事項公表の罪に問われる“犯罪行為”である。

 最近では、新間正次元参院議員、古賀潤一郎元衆院議員の学歴詐称が発覚した。その結果、新間は公職選挙法で有罪が確定し、議員を辞職。古賀も2004年(平成16年)9月、議員を辞職した。

 それほど議員の経歴詐称は罪は重い。公僕として“最低の犯罪行為”なのである。

 竹入は在職期間の20年以上にわたって学歴詐称を続けてきた。

 もしも現職時代に発覚していたら、間違いなく辞職させられていたであろう。新間や古賀よりも悪質といわざるをえない。「政治家失格」「公職者失格」であることは誰の目にも明らかである。

 勲一等旭日大綬章の「受賞者の条件」「国家または公共に対し功労のある者」である以上、公職者失格の詐欺師・竹入が勲一等を受ける資格はない。

 前述した「勲章褫奪令」には、受賞者が「帯勲者としての面目を汚した時」、勲章の褫奪事由になると定められている(「勲章褫奪令」第2条4号)。また、その事由が発生したときは、都道府県知事または各省大臣が、それぞれ内閣府に申牒することとされている。

 内閣府は褫奪が相当と認められたときは閣議請議を行い、褫奪が決定する。メダルは没収され、受賞者の地位が消滅する。

 こうした手続きが定められているのだから、わが国当局もただちに「学歴詐称男」から勲一等を褫奪し、「過去の清算」を行うべきである。

 竹入もまた、人間であるならば「勲一等」を自ら返上すべきである。

 いずれにせよ、竹入の汚れた叙勲は日本の恥であり、国民への愚弄以外の何物でもない。



『創価新報』2006年4月5日付

政治を厳しく監視せよ!

国民に奉仕してこそ真の政治家
私利私欲にまみれた学歴詐称の竹入義勝
女房も経歴詐称 息子は裏口入学疑惑


 人間の真価とは、「学歴」「経歴」で決まるものでは決してない。しかし、つまらぬ見栄と虚勢を張り、その「学歴」に固執して、自らの経歴を偽り続けてきた男がいる。竹入義勝(元政治家)その人である。

 しかも、「学歴詐称」の問題は、竹入本人に限った話ではない。女房や息子までが経歴の“詐称”“捏造”を繰り返してきたのが、竹入一家なのである。

コロコロ変わる女房の経歴

 竹入は「旧制高千穂中学卒」「陸軍航空士官学校出身」等と、ことあるごとに学歴を詐称してきた。最近では「重爆機長」と、軍歴まで詐称していたことが発覚している。

 竹入の女房も本来は小学校しか出ていない。ところが、公式な履歴書等の記述によると、「女学高卒」「岩手私立職業学校」「高女卒」「女学院卒」等となっている。一体、何が本当の学歴なのかサッパリわからない。戦後、「美容師をやっていた」という話もあるが、免許を取った形跡すらない。

 しかも昨年、女房の経歴詐称の決定的な証拠が浮かび上がった。

 『人事興信録』という“紳士録”によると、竹入の名前が初めて掲載された昭和44年から平成15年版までは、女房の経歴として「高女(=高等女学校)卒」と記載されていた。

 ところが昨年3月に出版された最新版では、この「高女卒」という表記がコッソリと削除されているのである。

 同書では、個人の場合、本人からの申し出がなければ記載内容が変更されることは、まずないという。

 つまり、竹入側も女房の経歴詐称認め、自ら削ったとしか考えられないのである。

 それにしても、政治家としての体面を繕うために、夫婦そろって経歴詐称を繰り返すとは、何とも浅ましい限りである。

裁判取り下げ深まる疑惑

 さて竹入の息子にも、未だ払拭されていない“疑惑”がある。それが「大学生入学疑惑」である。

 昭和49年4月、竹入の息子は、新設されたばかりの大学医学部に入学した。

 ところが、これがいわゆる“裏口入学”ではなかったか、と指摘されているのである。

 入学から2年後の昭和51年、一部週刊誌が2度にわたって、この問題について報道した。

 タイトルは、こうだ。

 「T大学医学部が『竹入公明党委員長・長男』を裏口入学させた理由」(昭和51年7月29日号)

 「T大学『建学の精神』と竹入公明党委員長・長男の『裏口入学の精神』(同8月5日号)

 記事の内容は、おおよそ以下の通りだった。

 (1)公明党委員長だった竹入が、息子の医学部入学に対して大学側に働きかけた。

 (2)息子は、実際には入学試験すら出ていない。

 (3)息子が医学部に入学した3カ月後の昭和49年7月、T大学の総長(当時)の子息が参院選挙で熊本地方区から立候補。この選挙で竹入は、すでに決まっていた公明党公認候補をわざわざ降ろし、総長の子息を支援。その見返りとして、息子を裏口入学させた「バーター取り引き」があった――。

 つまり、竹入は自分の公的立場を利用して、受けてもいない大学に息子を不正に入学させた、というのである。しかも、見返りとして参院選の候補者が「バーター取り引き」されていたというのだ。

 この問題が明るみになるや、党員、支持者から真相究明を求める声が殺到した。

 慌てた竹入は、事実無根を主張。息子と連名で、出版社社長と週刊誌の編集発行人に対して、名誉棄損で東京地裁に提訴した。

 事実無根なら、とんでもないデッチ上げである。支持者も裁判の推移を見守った。

 ところが、審理が本格化する直前の昭和53年10月ごろ、竹入親子は、絶対をコッソリ取り下げた。

 なぜ、この段階で裁判を断念したのか。身の潔白を証明する機会を放棄したわけである。

 これでは不正入学が事実であったと、自ら認めたようなものであろう。

息子の卒業時にも圧力?

 さらに件の週刊誌は、“裏口入学”報道から8年後、今度は息子の卒業にまつわる疑惑を報じている。

 “竹入義勝は息子の大学入学だけでなく、卒業にも関与していた”というのだ。

 タイトルは「竹入委員長が『息子を医者に』デッチ上げるまでの『極秘メモ』(昭和59年10月4日号)。

 昭和49年にT大学医学部に入学した息子は、本来であれば昭和55年に卒業するはずだが、あえなく落第。翌年も卒業できず、やっと卒業したのは、昭和56年9月のことだった。

 記事によれば、竹入は、またもや大学関係者に働きかけ、息子を9月に卒業させ、秋の医師国家試験(当時は春秋の2回実施)の受験に間に合わせた、というのである。

 矢野書記長(当時)ら党幹部の関与も見え隠れしていたという。

 竹入らは、この事実を否定した。ところが大学側は党幹部と会った事実を認めている。

 ともあれ、息子はこの年の9月に卒業する。ところが、医師国家試験には不合格。2年後の昭和58年春、ようやく合格するのである。

 医学部に不正入学し、2度も落第。何とか卒業し、その後2年近くたってようやく得た医師免許……。

 竹入の息子の「不正入学疑惑」。そして「卒業疑惑」は、いまだに闇の中である。

 ともあれ政治家とは、本来、その権力を国民や支持者へ奉仕するために使い、社会貢献のために行使していくべきであろう。ところが竹入は、我が一族のため、そして、息子の立身出世のために、自分の立場を利用した。

 このような、支持者を裏切った私利私欲の愚行・蛮行は、断じ許されてはならない。



『聖教新聞』2006年4月3日付

竹入の「学歴詐称」「経歴詐称」一覧

「陸軍航空士官学校出身」の詐称

「読売新聞」(昭和42年2月17日号)
「所沢飛行学校に学び、陸軍航空士官学校で敗戦を迎えた」

「世界」(昭和42年4月号)
「陸軍航空士官学校で敗戦を迎え」

「文藝春秋」(昭和48年11月号)
「所沢陸軍飛行学校―航空士官学校のコース」

公明新聞昭和50年1月4日付
評論家の草柳大蔵氏との対話
草柳「しかも航空士官学校ですね(笑い)」
竹入「まあ、私は好きで志願していったわけですけれど」

「宝石」(昭和52年2月号)
「太平洋戦争の時、所沢の飛行学校、陸軍航空士官学校でまなんだ」

「現代」(昭和53年8月)
「所沢の飛行学校、陸軍航空士学校に籍を置いた」

「文藝春秋」(昭和56年12月号)
「アンケート特集・私と太平洋戦争」への竹入の回答
「終戦を迎えたのは、埼玉・豊岡にあった陸軍航空士官学校で、今の自衛隊入間基地跡だと思う」

■昭和57年当時、党に提出した候補略歴表
「20年8月陸軍航空士官2年」

「中央公論」(昭和59年4月号)
評論家の伊藤昌哉氏との対談
「伊藤『陸軍航空士官学校在学中に敗戦を迎える。驚きましたな(笑)』「竹入『アハハハ。昔の話ですよ』

「重爆機長」のウソ

「文芸春秋」(昭和41年7月号)
草柳大蔵のリポート
「航空士官学校卒の重爆機長」

「旧制高千穂中学卒」の詐称

■昭和57年当時、党に提出した略歴表
「19年3月高千穂中卒業」

「政界往来」(昭和61年6月号)
「働きながら高千穂中学に通学する」

「特攻隊だった」のウソ

「週刊女性」(昭和46年10月9日号)
「戦時中は特攻隊。出撃命令の出た日に終戦



『聖教新聞』2006年8月31日付

創立80周年へ
前進と勝利の座談会 29


小人ほど我が身を偽る

出席者
秋谷会長
青木理事長
大久保直彦 東京・杉並総区総主事
竹内青年部長
佐藤男子部長

 佐藤 前回は、あの恩知らずの竹入義勝の話が出た。あいつの大ウソを数え上げればキリがないが、その第一は、何といっても「学歴詐称」だ。

 秋谷 まっとうな人間だったら、学歴の詐称なんか、できるわけがない。それを40年にもわたって平然と大ウソをついた。どれだけ性根が卑しいか! この学歴詐称の一点でハッキリと分かるじゃないか。

 竹内 中国の大学者が“小人ほど我が身を偽る”と喝破した通りだ。

 秋谷 要するに人格がない。品性下劣。まともな人間じゃない。その何よりの証拠だ。

 青木 本当に、いやなやつだったな!
 だいたい、あの大物ぶった格好。何でも「オレがオレが」と出しゃばらないと気がすまない性格。言葉づかい一つとっても教養のかけらもなかった。
 みな、腹の中では誰も相手にしなかった。ゲラゲラ笑っていたっけな(大笑い)。

二重の詐称

 竹内 竹入は、本当は小学校卒だ。正確には「軽井沢尋常小学校高等科卒業」だ。
 ところが議員時代、党に提出した何通もの履歴書には「旧制高千穂中学卒業」「陸軍航空士官学校修了」等々と、ぬけぬけと書いていた。

 佐藤 それどころかNHKの番組でも、大新聞でも、週刊誌でも、紳士録等でも詐称していた。
 NHKの1975年(昭和50年)1月3日放映の番組では、こうあった。
 評論家が「航空士官学校ですね」と聞くと、竹入は「まあ、私は好きで志願していったわけですけれど」と言い放っていた。公共の電波で平然と詐称していた。

 秋谷 何が「好きで志願した」だ。
 私の学生時代の友人が「大ウソつきじゃないか。あの番組で、すっかり騙された。まさかまさかNHKの電波で、しゃあしゃあとウソをつくなんて思うわけがない」と激怒していた。

 青木 しかも「旧制中学校卒」まで詐称していた。「二重詐称」をやっていた。

 大久保 みなビックリ仰天だった。一度、公明党で調査班をつくって調べてみた。
 すると唖然も唖然、愕然も愕然。竹入の悪辣なウソが次から次へと分かってきた。

“回顧録”で発覚

 竹内 その通りです。あれは1998年(平成10年)8月のことだ。
 竹入のやつが、大新聞に捏造だらけの“回顧録”を出した。その竹入の経歴の欄には「特別幹部候補生のとき敗戦」と書いてあった。

 大久保 それで竹入を昔から知る人たちは「おかしい」と思った。
 昔っから皆“竹入は「陸軍航空士官学校出身」だ”と聞いていたからだ。私も、そう思いこんでいた。

 佐藤 軍隊の歴史に詳しい人や、元軍人からも「おかしい、おかしい」との声がわき起こった。この「特別幹部候補生」「陸軍航空士官学校」というのは、まったく別だからだ。

 秋谷 たとえば、原田稔副理事長のところには東京・渋谷常勝区の佐藤泰一副区長から連絡があった。
 「私も軍の幹部候補生だったが、その経歴から言うと、陸士(陸軍士官学校)出身の人間が特別幹部候補生になるというのは全く不自然だ。おかしいのではないか」と連絡があった。

 大久保 そして調査班のメンバーが詳しく調べた。その結果、竹入のやつの学歴詐称の事実がハッキリと判明したんだ。
 それで公明新聞(98年10月15日付)が「前代未聞の『学歴詐称』事件」とスッパ抜いた。

 秋谷 竹入が大物ぶって出した“回顧録”が、かえってアダになった。まさに「還著於本人」だ(笑い)。

 大久保 それ以降、竹入のウソが、どんどん暴かれた。

 青木 竹入本人どころか、女房の経歴詐称、息子の大学裏口入学疑惑まで続々と明るみに出た。

 秋谷 女房や息子の件は、また後日、詳しく語ろうじゃないか。

旧制中学卒?

 竹内 まず竹入本人の「旧制高千穂中学卒」のウソだ。
 竹入のやつは「昭和15年4月、旧制高千穂中学入学。昭和19年3月、同中学修了」などと詐称していた。

秋谷 この旧制高千穂中学校は、現在の高千穂商科大学の前身だ。当時は、東京・新宿に校舎があった。

 大久保 そこで公明新聞の記者が「高千穂学園同窓会名簿」(昭和58年発行)を入手して調べた。
 ところが、どこを引っくり返して見ても「竹入義勝」の名前なんか全くない。
 竹入がいたという当時に、実際に在学していた人たちにも聞いた。
 ところが誰に聞いても「そんな男は知らない」「聞いたことがない」という返事ばかりだった。

 竹内 しかも、だ。竹入のやつ、雑誌には「働きながら高千穂中学に通学する」「政界往来」86年6月号)などとハッキリ書かせていた。

 大久保 それも大ウソだ。
 調べてみると、当時の高千穂中学は全日制の男子校で、夜間のカリキュラム自体が存在しなかった。
 働きながら通学するなんて、できっこなかった(笑い)。

 佐藤 もっともらしく見せかけようと思って、さも苦学していたみたいにウソをついたんだな。
 それが返って墓穴を掘った(爆笑)。

 秋谷 要するに学問がない。教養がないんだ。
 だから、やることなすこと全部チグハグなんだ(大笑い)。





『創価新報』2006年11月1日付

青年部座談会 23

戸田先生 最も悪質な敵は内部に出る

竹入義勝の“学歴”は大ウソだらけ
・5年制の旧制中学校を4年間で卒業!?
・予科士官学校を出ずに士官学校に入学!?
・陸士を騙りながら特幹の同窓会に出席!?


竹内青年部長
佐藤男子部長
高木男子部書記長
棚野総東京男子部長
森山学生部長


 高木 前回は、あの竹入義勝の学歴詐称を追及した。あいつの大ウソを暴く新真実も紹介した。

 佐藤 埼玉県のある壮年から、聖教新聞社に電話があった。
 「青年部の座談会を読んで、竹入がいかに下劣な男だったか、よく分かった。さらに怒りが込み上げてきた。今後も、徹底して糾弾してほしい」と激怒していた。

 竹内 当然だ。あいつが、どれだけ支持者を裏切ったか。
 学歴詐称の大ウソ!
 芸者狂い、盆栽狂い、宝石狂い、遊興狂い!
 豪邸、別荘、土地を買い漁っていた贅沢三昧!

 棚野 しかも引退後、全く党のために戦わない。30年以上も、お世話になった支持者にさえ何一つ恩返しをしなかった。

 森山 恩知らずの畜生野郎!
 我々は未来永劫、断じて許さない。あいつの悪事を、塵も残さず暴き、断固、叩き尽くす!

 佐藤 徹底してやろう! それが「青年よ、心して政治を監視せよ。心して政治家を監視せよ」との戸田先生の厳命を実践することだ。

本当の学歴は?

 高木 ところで先日、ある男子部員から質問された。
 「竹入が“陸軍士官学校出身”と詐称していたのは、よく分かった。では、あいつの本当の学歴は何なのか」と聞かれた。

 竹内 竹入は「昭和15年3月、軽井沢尋常小学校高等科卒業」。これが、あいつの本当の学歴だ。

 棚野 「尋常小学校高等科」というのは、現在の学校制度にはない。
 今の青年部には、よく分からない。どういう学校だったのか。

 森山 調べてみた。当時の「尋常小学校」は、義務教育の6年制。6歳から12歳の児童が通った。
 竹入が出た「小学校高等科」というのは、おもに中学校に進学しない児童のために、小学校を延長する形で2年もしくは3年間の教育を授ける学校だった。

 佐藤 ところが竹入は、その後“旧制高千穂中学に入学”と詐称していた。これは明らかに大ウソだ。
 なぜなら当時、旧制中学校に進学する児童は尋常小学校を卒業後すぐ、12歳で入学した。
 竹入のように「高等科」に行った後、中学校に入学するなんてありえない。

 高木 念のため、公明新聞の記者が「高千穂学園同窓会名簿」(昭和58年発行)を入手して調べた。
 当然、どこを引っくり返して見ても「竹入義勝」の名前なんか全くない。

 棚野 竹入がいたという当時に、実際に在学していた人たちにも聞いた。
 ところが誰に聞いても「そんな男は知らない」「聞いたことがない」という返事ばかりだった。

 竹内 しかも、だ。竹入のやつ、旧制高千穂中学を「昭和15年4月、入学」「昭和19年3月、卒業」と大ウソをついていた。
 ところが当時の旧制中学は5年制だ。竹入が言うように4年間で卒業するなんて無理だ。

 森山 竹入のやつ、中学に行っていないから、年数さえ知らないんだな(大笑い)。

本物の陸士が糾弾

 佐藤 調べれば調べるほど、ボロが出てくる。
 竹入は「昭和19年3月、旧制高千穂中学卒業」後すぐ「同月、陸軍航空士官学校入学」と詐称していた。これも絶対にありえない。

 高木 その通りだ。竹入の年代の人間が、陸軍航空士官学校に入学するには、必ず「陸軍予科士官学校」を卒業しなければならない。
 この学校で2年間(第2次世界大戦末期は約1年間)の訓練を受けたうえで、ようやく士官学校に入学できる仕組みになっていた。

 棚野 “予科を出ずに本科に入る”なんて、言うなれば“仮免許も取らずに、運転免許証を取りに行く”ようなものだ(大笑い)。

 竹内 先日、公明新聞に、本物の「陸軍航空士官学校」のOBが怒りの手記を出していた。
 名古屋市在住の伊藤文男さん。正真正銘の「59期生」だ。

 佐藤 竹入も「59期生」を詐称していたが、伊藤さんの経歴と比べれば、大ウソが一目瞭然だ。
 公明新聞の記者に聞いたが、伊藤さんは、大正14年8月生まれ。大正15年1月生まれの竹入と同学年だ。

 高木 伊藤さんは、昭和13年に尋常小学校、同18年に旧制名古屋中学校を卒業。同年4月、陸軍予科士官学校に入学。翌年3月、同学校を卒業し、陸軍航空士官学校に入校した。
 これが本物の59期生の経歴だ。竹入とは全く大違いだ。

 森山 竹入の“学歴”は大ウソだけらけじゃないか。
 「小学校高等科を卒業後、旧制中学に入学」なんて、ありえない。
 「5年制の旧制中学を4年間で卒業」も、できっこない。
 「予科士官学校を出ずに士官学校に入学」も、絶対にない。


特幹の同僚も証言

 棚野 要するに「尋常小学校高等科卒業」以外は全部ウソ。
 あいつは、本当は何をやっていたんだ?(笑い)

 竹内 竹入は小学校を卒業後、国鉄の田端駅(東京)で連結手の仕事をやっていたようだ。
 そして昭和19年10月、陸軍の特別幹部候補生として、埼玉県の所沢陸軍航空整備学校に入校した。

 佐藤 「特別幹部候補生(特幹)」というのは、戦争末期、技術下士官などを早期育成する目的で作られた制度だ。
 下士官というのは、軍隊で「士官」の下にいる“下級幹部”だ。卒業と同時に士官になる、士官学校に入るのとは全く違う。

 高木 実は、竹入の特幹時代を詳しく知る人物がいる。以前、月刊誌「第三文明」に証言が出ていた。

 森山 僕も読んだ。この人は竹入と一緒に、陸軍の「八戸教育隊第四中隊」に所属していた。当時の任務について詳細に語っていた。
 「私たちは整備の部署に配属になった。八戸(青森県)で訓練を受けた後、昭和20年4月に埼玉県豊岡(当時)の材料廠に移った。竹入も一緒だ。
 そこでは飛行機の機体点検のほか、機体を山中に隠したりする仕事が主だった」
と証言していた。

 佐藤 つまり竹入は、終戦まで陸軍航空士官学校の敷地内にあった材料廠で働いていた。作業兵だった。

 竹内 その通りだ。あいつは陸軍航空士官学校の敷地内に「いた」だけた。それを「生徒だった」と大ウソをついたんだ。

 棚野 この特幹時代の同僚も、竹入の学歴詐称を知って激怒していた。
 「陸軍航空士官学校なんて、とんでもない。どうして特幹と言えなかったのか。
 あいつは、自分の経歴を巧妙にごまかしていた。我々に対する侮辱だ!」
と憤慨していた。

 高木 まったくだ。胸を張って「特別幹部候補生だった」と言えばいいじゃないか。

 佐藤 ところが、だ。竹入のやつは、なんと特幹の同窓会には、コッソリ出席していた。
 自分が所属していた「八戸教育隊」の親睦団体の同窓会に何度も出ていたんだ。


 森山 竹入が来た時の写真も厳然と残っている。昭和46年当時と平成5年の同窓会だ。
 あいつの顔がハッキリと映っている。

 棚野 しかも同窓名簿には、竹入の名前、住所、連絡先まで載っていた。まさに「動かぬ証拠」だ。

経歴を証明しろ!

 竹内 だいたい同窓会なら、竹入が詐称した陸士59期も「59期会」という同窓会をつくって、ずっとやっていた。
 昭和44年以降、つい最近まで1年おきにやっていた。

 高木 ところが、竹入は一度も来たことがない。同窓会で竹入の名前が出たことさえ全くない。

 佐藤 この「59期会」は詳細な名簿もつくり、3年に1度を目途に更新している。
 当然、その名簿にも竹入の「タ」の字もない(笑い)。


 森山 竹入! 陸士59期を名乗ってたんなら、いっぺん同窓会に出たらどうだ?(笑い)
 ほかの同窓会にはノコノコと出ているんだ。陸士の「59期会」にも出るのが、当然じゃないか。

 棚野 まったくだ。お前の名前がないのは、名簿が間違っているのか?
 だったら、今すぐ同窓会に連絡しろ! 自分の経歴を証明しろ!

 竹内 だいたい竹入の母親が、あいつのこと何と言っていたか。
 公明党の支持者に「学校も出ていない息子を、こんなに偉くしていただいて」と頭を下げていた。


 佐藤 有名だ。公明党の元区議だった原田隆さん(東京・北区)も明確に覚えている。

 高木 陸軍士官学校といえば、当時のエリート中のエリートだ。少年たちの憧れの的だ。
 竹入が陸士出身だったら、母親が「息子は学校も出ていない」なんて言うはずがない。

 竹内 戸田先生は「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は、内部に出る」と喝破された。
 また「あまりに、皆に守られすぎて、おかしくなっていく議員のやつらを、絶対にのさばらせてはならない。権力は魔性だからだ」と厳命された。


 棚野 我々は、一段と声をあげていこうじゃないか。
 威張る議員! 腐敗・堕落の議員! 恩知らずの議員!
 一人たりとも過ごさない。見つけ次第、容赦なく糾弾する。当然、議員OBもだ。





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