|
テーマ:感銘を受けた言葉は?(281)
カテゴリ:教育問題・師弟不二
2006年11月17日 21:24:48 「新・人間革命」より。 「大白蓮華」とか「月刊公明」とか、読むものが、溜まる一方だ! ヤバイ!w 時間は「人並み以上」にあるはずだが。 『聖教新聞』2006年11月17日付 新・人間革命(3445) 凱歌 十四 何のために学ぶのか――多くの学生がその答えを見いだせないでいるのが、日本の大学教育の現状といえようか。 また、立身出世のためだけに、勉学に励むという学生も少なくない。 実は、そうした事態こそ、教育の根本的な荒廃の表れにほかならない。 山本伸一は、それゆえに、学問、そして人生の根本目的を教える創価教育の使命の重大さを、痛感するのであった。 彼は、パナマ大学の学生たちの答えを聞くと、微笑みながら言った。 「感動しました。すがすがしい答えです。 一生懸命に勉強し、パナマの民衆に、最も貧しい人びとに、幸福をもたらす指導者に育ってください。 大学に行けなかった人びとのためにこそ大学があるというのが、私の信念なんです。 皆さんの栄光を祈ります。また、いつかお会いできることを楽しみにしております」 学生との懇談を終え、構内を歩いていると、一体の像があった。 目の不自由な人が両手を前に伸ばし、手探りをしながら、前へ進もうとしている像であった。 その台座には「光に向かって」の文字がスペイン語で刻まれていた。 総長が語らいの中で、モットーとして紹介していた言葉である。 伸一は、しばらく、この像を眺めていた。 そこには、真理の光を求め抜く“意志”が、見事に表現されていた。 伸一の目には、この像と、パナマ大学の学生たち、そして、愛する創価大学の学生の姿とが重なって見えるのであった。 生きるということは、学ぶということだ。先師の牧口常三郎も、恩師の戸田城聖も、命の燃えつきるまで学びに学んだ。 軍部政府の弾圧によって逮捕された牧口は、独房にあっても必死になって読書に励んだ。 死去する一カ月余り前の葉書にも、「カントノ哲学ヲ精読シテ居ル」とある。 また、戸田も、生ある限り読書を怠らなかった。病床で大講堂落慶の式典の指揮を執りながら『十八史略』を読み、伸一にも、「今日は何を読んだか」と、厳しく尋ねるのであった。 命ある限り、学びに学び、戦いに戦うのだ。そこにこそ、価値創造の人間道がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月17日 21時25分16秒
[教育問題・師弟不二] カテゴリの最新記事
|