2007/02/11(日)21:59
Zガンダム3 星の鼓動は愛を観た
2006年12月13日 20:54:56
劇場版「Zガンダム3 星の鼓動は愛」を観た。
泣いた! 「全米」も泣いてほしいほどに!!
「宇宙を統べる皇帝」にと、なるつもりかのような「シロッコ」(主人公「カミーユ」のライバル)は、自らも気づかないまま「宇宙の孤児」となっていた。
それに「無意識の同情」を寄せるかのような「女たち」さえも、彼は利用し抜いた。
「生命」を、それを生み育む「母」「女性」を、人の「生死=戦争」さえも、自らの「手段」とし、宇宙に憎しみと争いを撒き散らすシロッコ。
「地球の重さと大きさも想像できない」傲慢な「男」に、主人公・カミーユの「一撃」が炸裂した。
やけに胸がすく! いいエンディング!!
シロッコは「軍人」より「政治家(屋)」といえるか。
その「政治」が、「人間」を手段にする。これは「反逆」だ。
改めて、ガンダムは「生死の物語」だと感じた。
だからか、ふと思ったのが、「宗教」が「政治」を手段にするのと、「政治」が「宗教」を手段にするのでは、同じように見えて、まったく違う、ということ。
人は、どう生きるべきで、どう死ぬべきか――人の「生死」の問題、止むに止まれぬ思いから、「宗教」は発生した。人の哲学、信念の「結晶」ともいえるか。
その「宗教」が、その思想に基づき「政治」を良くしていこうとするのは、ある意味、当然のこと。
しかし、その「政治」が「宗教」を手段とすることは、人間の手段化への道であり、政治の傲慢であり、人への「反逆」とさえ。
でも、過去に、日本には、「国家神道」とかあったw けっこう、「業」が深いw