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テーマ:政治について(19828)
カテゴリ:公明党ニュース
2009年9月18日 22:30:04 57年とは、あまりにも重い。 ここまで来ると、造っても、造らなくても、どちらも「官僚主義」に思えてしまう。 「私たちは命懸けでやっている。ダム建設が住民の“希望”であり、生活再建の必要条件だ」(町長) みのもんた、どうするんだ……。 公明新聞:2009年9月17日 住民から見た八ッ場ダム〈下〉 「建設は住民の“希望”」(地元町長) 生活再建のゴールは目前に 整備された代替地では家が次々に建設され、新しい生活を始める町民もいる 八ッ場ダム完成で湖底に沈んでしまう水没予定地の340戸のうち、約8割の257戸がすでに移転し、新しい生活を開始している。町内の代替地などに移ったのは52戸で、近隣の東吾妻町や中之条町など町外に移ったのは205戸にのぼる(今年3月末現在)。 「最寄り駅まで歩いて5分だったが、今は坂道を歩いて15分になった」というのは、今年7月に代替地に移り住んだ60歳代女性。代替地はダム湖ができるため、より高地に整備され、結果的に不便になったケースもある。 また、町外に移転した人の中には、住み慣れた郷土を離れ、新しい環境と人間関係になじめず、体調を壊した高齢者も少なくない。近隣の町に引っ越した70歳代女性は「ダムが中止になれば、何のために移ったのか」と語る。ダム建設の中止は、新しい生活環境の根本を覆し、住民の心にさらなる傷をつけかねない。 今から57年前の1952年5月。国からダム計画が浮上して以来、長野原町内は賛成派と反対派に二分され、親族や近隣同士などの争い事が続いた。最終的には、治水・利水の両面から下流都県のために、地元住民は断腸の思いで、ダム建設賛成に大きくかじを切る。 しかし、その後も水没予定地などの用地補償が始まると、土地の境界線をめぐっての争いも起こった。 竹内元雄さん(77)は「兄弟同士や隣同士などで争いがあり、結果的に裁判になるケースもあった。それまでは仲が良かったのに……」とつぶやく。 高山欣也・長野原町長は、「これまで、住民は心からいやな思いをしてきた。それが、ようやくわだかまりが取れて、やっと一つになって生活再建できるところが、もうすぐ見えてきたのに」と、最終段階を迎えての政治の流れの変化に憤る。 高山町長は「私たちは命懸けでやっている。ダム建設が住民の“希望”であり、生活再建の必要条件だ」と力強く語った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月18日 22時58分06秒
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