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カテゴリ:亀吉の狂乱
時々思うことがある
自分の見てるものは果たして見てるままの姿をしているのか 自分の聞こえてるものは本当に聞くままの音なのか 自分は正しく現実を認識いているものなものか 自分は本当に形があるのか 目の前に箱があるとする。明らかに立方体である。でもそれは視覚情報が脳に行き、脳が補完しながらの映像。つまり数%の情報と脳の補完で"見ている"。数%以外はありのままの情報でない可能性がある。代表は見間違い。 誰かが話しているとする。聞き取った音は聴覚情報により脳に伝えられ、脳が知っている音に置換しながらの言語。つまり数十%の情報と脳の置換で"聞いている"。所詮は脳の置換。間違っている可能性がある。代表は空耳だ。 脳は万能ではない。それどころかよく誤作動を起こすもの。 こうして疑い始めると止まらない。そんな怪しいものに頼って生きている現状が怖くなる。 自分は一体どんな形をしている?自分は一体どんな声をしている?自分は一体どれほど歪んでいる、と。 そんな時、触っている。爪、手、腕、顔、体、ひとつひとつのパーツをしっかり触ってそれらを確認する。 そしてようやく僕は安心する。僕はここにいると。僕はまだここにいると。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月05日 22時57分15秒
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