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バスの運転手が/運転台に着くと/バスの運転手は/四角なバスである
ー吉野弘 氏 『ヒューマン・スペース論』より ー11月19日読売新聞朝刊 「編集手帳」より テューター(先生のこと)も、そうです。一度預かったラボっ子は、もう自分のからだの一部のようなもの。 きのうの父母会で、いろんなことを話し合いました。子育てのことから、世間話、アメリカのイラク駐屯についてまで。楽しかったです。 その中から、Sちゃんという女の子が、「みんなとはちがう自分」を認めてほしい欲求をいっぱい持っていて、でも堂々とはそれを発表できないというジレンマみたいな中にいること。学習意欲がとっても高く、「知る、覚える」ということが嬉しいのだということ。お話は大好きだけれど、テーマについて深く考えるのは抵抗がある。ラボのCDは英語がじゃまで好きじゃないこと。「表現する」ことが難しいと感じているらしいこと。などがわかってきました。 Sちゃんがしたいこと、できることを「できるね」と認めてあげることから始め、だんだんに、他の子のことを「見て」いられるように、そこからたくさんの栄養をもらえるようになっていけばいいなと、思います。 きょうも電話で「あのね。ラボやめるけど、英語の授業はするよ」と小さな声でいっしょうけんめい、つたえてきました。その声を聞いていると、いじらしくて。抱きしめたくなりました。まだまだ小さくて、不安をいっぱい持っている。自分で決めるなんてことは、まだつらすぎると思います。 それから、意外でおどろいたのが、夏まで会員だった一年生のKくんのこと。お母さまとよく話をしないうちの、突然の退会だったので彼の気持ちがつかめないでいたのですが、「絵をかくこと」が負担だったらしい、というのです。いつも、すばらしい絵を描いていたのですよ!Kくんの「おはなし日記」はすてきなんです。大人には(わたしには)ちょっとまねのできない独特の視点から、おはなしの一場面を切り取って独自の世界をえがいていました。いつも、わたしは「わあ。すごい」と感動していました。「いつもすごいねー」なんて、言っていました。とても几帳面な子で、色のぬり方も緻密でした。だから負担だったのかな?ラボをやめることになったとき、「もう、絵かかなくていいんだ!」と喜んでいたというのです。好きで描いているとばかり、思っていました。息子がそうなので… この話をきいたとき、「わたし誉めすぎたかな?」と一瞬思いましたが、でも、心からすごいなって、思っていたんですよ。感動したら、わたしはやっぱり、ほめことばを言うと思います、これからも。でもそれが、負担になることもあるということは、頭に入れておこうとおもいます。 お話の中に深く入っていくために、絵は良い手段だと思います。でも、描くってことは、すごいエネルギーがいりますよね。もう少し、らくにしてあげないと大変なのかな。 Kくんは、縁故関係で某BBクラブという英語の会にいった子と、一緒にそちらへ行きました。どうしているかなあ?らくになったかな。 らくは、楽しいのでしょうね。 あ~「種まき」というタイトルにしたのに中々本題に入れません。 ここまでは序章です。 つづきはまた、書けたら明日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2003.11.20 03:02:43
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