小澤俊夫氏による「昔話大学」2005年1月9日の日記より朝7時前に家をでて、佐久より少し東南に行った春日温泉で、昔ばなし大学に参加してきました。 「昔話の語法」というテキストを使って、昔話と伝説の違いや特徴や「昔話は残酷か?」や文法について講演してくださった。日本のお話やグリム童話について語ってくださり、ラボのライブラリーになっているものもたくさん登場した。 昔話は抽象であって具体的ではない。決して無能力から生まれたものでなく、美術にも抽象的な絵もあれば、具体的(写実的)なものもある。そういう違いであって、決して優れたものではないとか不完全なものとはいえない。はっきりした形式意志(哲学の言葉)がある。 ギリシャ美術は肉体美…それが基準だった。そのうちキリスト教がローマ国教になって肉体美は認めないという風潮になり、さらに歴史が進んで復活(ギリシャ美術の)してルネッサンスへとつながる。何を持って人は美しいと感じるか?人が自分の感情を作品にぶつけて調和が感じられたら美しい、不調和なら美しいと思わない。それを感情移入説という。ゴシックの教会など直線的なものは、幾何学的美しさであり、古代エジプトのレリーフ(真横を向いていたり、45度に統一された絵)は抽象的衝動という感情。 文学は具象、昔話は抽象という美の違いであって、その中にも上手・下手がある。具象化すると全体が見えにくいが、抽象は全体を見る。大きな森とか、暗い森というと、森全体が想像できるのと同様。 昔話には鋭い輪郭を持つ硬いもの、個体を持って語られる。印象深い。指輪とかりんご、日本の場合木や石など。お菓子の家や蔵・家など狭い、硬い空間に主人公を閉じ込めることが多い。また昔話は原色を好む。黒・白・赤など。それは美の極致でもあり、市と背中合わせのもでもある。極端過ぎるほど。中間色は出てこない。 「昔話は残酷か?」 昔話は中身を抜いてリアルには語らない。残酷ではあっても残虐ではない。残酷さは、5つに分けられる。 1古代の信仰の名残…シャーマンとの関わりなど。 2戦い…人対人、人対超自然。 3ままこいじめ…2種類あって「灰かぶり」のように歴史の長いものはテーマそのものがそう。2000年も古い話である。初版は実母だった。初版通りにしておくべきだった。人間の本質は残酷性を持っている。今の世の中にもあること。継母としたことで偏見を作ってしまってよくないことだった。 4生命のあり方…「3匹のこぶた」主人公の命を奪ったもの、狙ったものは最後は抹殺されなければならない。ディズニーなどはかえって子どもに対して残酷なことをしている。昔話は人の命と同じ残酷さを持っている。でもリアルには語らないもの。それは感謝の念の第一歩につながる。命の大切さを教えている。 5「古い刑罰の名残」…白雪姫の母…真っ赤に燃えた鉄の靴を履かされた…中世の刑罰にある。今は中世でないので、どうしても語りたくなければ「厳しく罰せられた」と置き換えてもいい。そこが嫌いで語られないのはもったいない。語ることが大事。また状況によってもどう語るか違ってくる。昔話はちゃんとした教育力を持っている。 印象的な言葉は、最近の教育力は臆病になっている。子の成長をロングスパンで見ることなく、これはだめ、あれはだめと大人がストップをかける。それでは発展性がなくなる。現代人のほとんどが「文明病」にかかっている。高度成長の賜物でもあるのだが、文明病は人を臆病にする。数字に支配される。生きるための学力が大事なのだが、点数(狭い範囲での評価しかなされていない) 「子どもと昔話」という季刊誌が7月で廃盤になってしまうかも知れないとのこと・・・お話を深めるのに、とてもすばらしい本なので、是非皆さんも定期購読予約をしてください。 小澤征爾さんのお兄さんだけあって、音楽の流れと似ているものがあると水平的・垂直的転回についてもお話された。 ジャンル別一覧
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