昼下がりの迷宮~

2006/10/05(木)13:10

荻原浩 『ハードボイルド・エッグ』

本の話(日本の作家・あ行)(43)

このところ気になっている荻原浩作品をまた一冊読みました。   ハードボイルド・エッグ フィリップ・マーロウに憧れ、マーロウのようにいつも他人より損をする道を選ぶことに決めた「私」と、ダイナマイト・ボディ(?)の秘書が巻き込まれた殺人事件。タフさと優しさを秘めたハードボイルド小説の傑作。 単行本の初版は1999年10月、文庫版も2002年10月が第1刷で、私の手にしたのは20刷です。読まれていますね。 荻原氏の名前は、このところ、新聞の本の広告欄でもたびたび目にしているように思います。 テーマは、初期に「ユーモア小説」と言われていたものから、最近では、病であったり、戦争であったり、孤独…ホラーもあります。多岐にわたるジャンルでありながら、調べ上げた主題を見せつけ、読ませるだけでなく、なにか温かいものが残るのが魅力なのではないでしょうか。 さて、この本はタイトルにもある通り<ハードボイルド>。 フィリップ・マーロウに憧れて、気温が上がってすらコートを手放さず、世の中を斜に見ては低い声でお決まりのセリフ。やせ我慢。…まるで滑稽ですらあるのに、世に憧れる男の何と多いこと。 カッコいいのはわかりますが、それはチャンドラー・ワールドの中のことだからです。 目の前で実際にこれをやられたら、3歩ほど後ずさりしてしまうでしょう。私はお相手のブロンド美人にはなれません…(頼まれることもないでしょうが) 先日、北森鴻のハードボイルド『親不孝通りディテクティブ』を読んだときに、そんなわけで楽しみきれなかった…という感想を書きました。 なのに何故、再び<ハードボイルド>と冠されている本を読んだのか。 それはやはり『親不孝通りディテクティブ』のせいです。 読み終えて、時間が経つほどに、彼らのことが気になって仕方ありませんでした。 面白くて夢中になった本の主人公のことを考える、というのとも違い、つまらなかった本のことを思い出す、というのとも違いました。 反感さえ感じていたような、気の合わないはずの同級生が、会わなくなって妙に気にかかる、そんな感じです。 作品の切ない幕切れが、どうにも、心に残るのでした。 そんな次第で、ハードボイルドの探偵さんに、少し親近感を感じてもいいかなぁ、と。 本作品の「私」は、探偵家業のご多分に漏れず、ペット探し8割・浮気調査2割で口糊をしのいでいるような状態です。 猫のチェイス、イグアナの大捜索、気障なセリフと正反対の結果。 笑わせられながら、「私」がどこか、悲しみを携えた男なのに気付かされます。 なぜマーロウに憧れるのか。 ただカッコいいからアウトローを気取っている、というのではないのでした。 鍵のかかった暗い部屋が怖い。昆布と蟹は嫌い。 ハードボイルド探偵にしてはこの弱点は滑稽です。けれどそれにもワケがあって… 軽く笑いながら読み始めたのを、いつしか後悔して、この探偵さんに心奪われていました。 ハードボイルド探偵になくてはならないのが、美人の相方だそうな。 そこで「私」は秘書を雇うことにします。応募してきたダイナマイト・ボディのはずの美女は、電話口でつややかな声を出していたはずなのに、会ってみれば… 大口をたたき、捜査にチョコチョコと頼みもしないのにお供してくる彼女。足手まといなようで、含蓄ある言葉に救われるようで、かと思えば何もわかっていないような秘書ですが、とても可愛いのです。 「私」が困らされてため息つくたび、読んでいるこちらは彼女が好きになります。 その2人、単純なはずのペット探しの一件から、もつれもつれて「憧れの」刑事事件へと巻き込まれることになります。 犬を探して入った森で見つけた無残な死体。 友人にかかってくる火の粉を払うべく、真犯人探しをする「私」の行く手には、横暴な警察やヤクザが立ちはだかっています。 これも(おそらくは)ハードボイルドの定石なのでしょうけれど、今回の探偵と秘書の活躍には、それを忘れさせる魅力・迫力がありました。 とくに「中塚組」組長の家で構成員に囲まれ、どつかれている「私」を秘書が救出する場面は秀逸! 事件のラストは鬼気迫る犯人からの逃避行、クライマックスはカーアクションです。 決してカッコよくはない。けれども読むのが止まらなくなります。 解決した後、2人はどうなるのか…恋におちたという伏線はなかったものの、それ以上に気になる関係ではありました。 それもきちんと書かれていました。切なく、胸をつかれます。 最後に「私」は、彼女とコンビニで買った2個入りのかたゆで玉子を分け合います。 なぜなら、「人生はかたゆで玉子」だから。 その意味、本書を読んでのお楽しみです。

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