Lake Moraine ~Book Cafe~

2009/03/16(月)02:38

ドラマ 銭ゲバ 

映画・ドラマの感想(95)

とうとう最終回を迎えた 銭ゲバ 毎週 驚きの展開と言うか 衝撃的で  一体どんな結末を迎えるのかと ドキドキで迎えた 最終話 、、、、、、、、、 実は相方と予想をそれぞれにたてていて    ◯ 緑さんが小屋に入って来て導火線を消して 「勝手に死んでしまうなんて許さない。私がずっと憎んでいく ためにボロボロになったまま生きて生きなさい」と言う by ◯ 土壇場で死ぬのが怖くなって あがいてあがいてなんとか 導火線の火を消して小屋を飛び出した風太郎に向かって 緑さんが 嘲るような悲しそうな少しだけほっとした表情で 「人を殺すことはできても 自分が死ぬのは怖いのね」と                あざ笑う by  などなど好き勝手(でも我こそ当たりと真剣)に      想像してたんですが (二人とも脚本家じゃないから 予想した展開から     どう結末にもっていくかまで考えることは放棄)  ホームドラマ ですか?!       というこれまた驚きの展開でした。 ダイナマイトを身体に巻き付け 導火線に火をつけ 爆発の瞬間を待つ風太郎の目に入った「幸せ」の文字! そして彼の脳裏に浮かぶのは  自分に許されたかもしれない、起こりえたかもしれない 風太郎が思い描く   普通の 楽しく心穏やかな 人の生活 そして EDのかりよし58「さよなら」    (シンプルな旋律が秀逸でした)の流れる直前の 「世間には自分のような銭ゲバだらけで         自分が死んでも次々とあらわれる」 という風太郎のメッセージ (私的には?でした) う~ん 苦肉の作で 二つのエンディングを  用意したともとれました。 TVドラマという公共性(?)にふさわしい倫理観と 銭ゲバ(ここでは原作)の表現した世界のすりあわせを     放棄したかったんじゃないかと 最終話にして 失速感は否めないのですが それでも ここまで まっ正面から 銭ゲバという作品に 取り組んでいった制作スタッフ、主演の松山ケンイチさんはじめ 迫真の演技を披露してくれた俳優陣には敬意を評したいです。  暗い 救われない 明るさとは皆無な作品でありながら 毎週 観ていて それぞれの逸話や 作品全体に対して  意味と言うか 自分が感じることに対して 「なぜなんだろう」と自問自答をしていました。 「金のためならなんでもするズラ」 毎週毎週 相方に  「ああ~ 暗~ぇ 何でこんな暗い話観てるんだか」と 揶揄され続けた銭ゲバ (注:こやつも必ず一緒に観ていました) 実はドラマ化を知った当初 「あんな暗くひどい話 絶対観ない」  と言っていたのはこの私 全話を読んだわけじゃないのですが  子供の頃 何かのはずみに目にした ジョージ秋山作 銭ゲバは ホラー漫画なみに怖かったのを覚えてました。 そして ドラマ第一話 派遣先を切られた風太郎の同僚が 金目当てに風太郎を襲い返り討ちにあうシーンでは 今の社会背景もあって 「うわ~ やばすぎる」と 戦慄したくらいなのですが 一話を見終わった後には 次週も観ようと! 堅く決意をしました。 「なぜ?」 その理由がみつからないゆえに見続けたのか? お気楽でベタ甘な ドラマと 違うゆえに  (視聴者馬鹿にしてんのかっといったベタベタ展開は苦手) 「観る」理由を考えると同時に  風太郎よりも 彼をとりまく登場人物達の行動や言葉の意味を  いつも 「考えて」いました。 父や姉からそそがれる愛情にこたえることを拒み  自分を利用した風太郎の偽りの愛情を   偽りと知りながら 心の糧として   風太郎へ 真摯な愛情をそそぎ 絶望しながらも  風太郎を愛することを決してやめなかった茜の心 大金に惹かれてすりよってくる人間を前にして  「人間 大事なのは金です」と     自嘲とも嘲りともとれる風太郎の父の言葉と 病気の妻の治療のため 金にコロビ 風太郎に言わされる  荻野刑事の 慟哭をこめた 同じ言葉の   ”金”の意味の違い!  風太郎が 銭ゲバとして生き始めた分岐点  取り戻すことのできない ボタンの掛け違いの重さ、罪悪  人の情を受け止めることも 与えることもできない  自分の業に対する恐怖感  それを思い知っている故の        風太郎の”銭ゲバ”人生 色々考えながら 今もっとも心に残っているのは  ”人を殺してはならない”  

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