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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

混沌・誤解・曲解の海





混沌・誤解・曲解の海



皆様、
結局、定義と用語をはっきりさせないと、議論は混沌・誤解・曲解の海となります。

自分の頭の中にあるもやもやとしたものに基づいて、論を展開し投稿しても、結局他人にはなかなかわからない。

人の投稿の中にある単語や表現の中で、自分が触発されるところに反応するだけとなるが、それすら、投稿者の考えに反応するのではなく、そこから発想した自分の考えを述べることになることが多いだろう。

であるから、定義と用語をはっきりさせたいものです。


私の場合、自由意志についても、かなり明解な形でしか書いていない。

「あまりにややこしくなりそうなので、再追記しておきます。

自由意志によって決断すべき事項があるとして、その出発点は何によって与えられたか、とか、決断に至るまでのプロセスはどうなっているのか、とか、決断時の状況はどうなっているのか、とか、それを自由意志と定義するのか、とか、ややこしくなるので、一番簡単な工学的モデルとして、次のようなものを考えています。

自由意志をもった潜在心の器(=潜在意識のハードウェア)を仮定し、そこに、それがもつ自由意志によって、ある心的内容(決断させる心的内容)が生じたら、そこのメカニズムはどうなっているのか、ということを追求する、そういったモデル。
(潜在心の心的内容は直接には意識されない。その心的内容が意識の器に送り込まれた段階で意識される。意識という現象+その意識内容+自分という意識=顕在心)

それらすべて要検証。

用語の解説は過去の論の中に不完全ながらあります。

時間がないしまだまだ未完成なので、その解説は先の先のことでしょう。」



で、自然界における自発性を論じるとすれば、こういったふうになるだろう。

以下は、別に私の主張というわけではない。

宇宙の始まりは、どう始まったのか、その始まりに、「それは自然界の自発性による」という表現を与えるとすると、その自発性というのは、物理学的にはこれこれとなるが、神学的には創造神といったものの意志による、などとなるだろう。

哲学的には、いろんなものが可能で、「それは世界の意志である(宇宙はなかったが世界はあったとする)」とか、「この世界は存在するようにできている、生物も存在するようにできている、だから宇宙は始まったのだ、この世界の原理から生じる自発性でこの宇宙は始まったのだ。この世界に生物がいないとあまりにも寂しいではないか(蛇足。哲学では、こんな遊びも可能である。だから私は楽しい哲学も好きである)」などという論も可能だろう。

さらに、
知性が関与しないと、現在の地上での進化はありえない、そんな短い期間では、絶対にこんな生物の世界や人類の多様な、能力とその実現・文化文明は生じていない、という立場に立つとすれば、その証明をしつつ、自発性というのは、なんらかの知性的存在の意志であるし、人間にも知性(~心~精神)があるのだから、その活動の中には、自発性も含まれている(すべてとはしないが)のは当然である、などという論も可能だろう。


自然界における自発性とは、物理学的にはこれこれであって、そのメカニズムはどうのこうので(メカニズムを明かしたら、もはや自発性は消滅する、という仙人氏の主張もでてきている。哲学において人間に関していえばこれは「運命破りのパラドックス」の逆バージョンであって、「運命づくりのパラドックス」といえる。もちろん、用語や定義は前者に拠る。前者を崩壊させたら、後者も壊れるだろう。用紙にびっしり書き込んだが時間がないので投稿できない)とか、哲学的には定義はこれこれである、とか、神学的には定義はこれこれである、などとなるだろう。


ほかにもいろいろあるだろう。



さて、
かくいう私の論も他人にはなかなかわからないだろう。

だから、私は、定義と用語の体系を構築中であるし、私の論を検証できるようなものとして構築していっている。

検証できなければ、それはSFか紙屑である。

そういったふうに、心脳について論じるばあい、現実(心脳の現実)を記述して、その検証を目指すのが私のやり方である。

私は、いろんな論を構築中であって、哲学としては、証明も検証も要らないものもやっている。
しかし、私は、ここにはそういったものはできるだけ書かないようにしている。



おまけ:
「で、私が書いているのは、私が構築中の心脳工学の立場に立ってのことであって、ほかの方々の論には一切言及しない(といっても具体的には、建設的にコメントしている。そういう意味では言及している。否定しないという意味だ。自由になんでも考えよう! 当り前の話しだ)。

書き方がまずいので、誤解を招く個所があるとしても、そういうことですな。


その心脳のモデルから必然的にでてくる哲学的な要素の部分も、平明な用語で構築中である。」

「「意識の連続性」というのは何か? という設問だ。

まず、意識とはなにか?

「意識し感じ味わう機能というか現象」と定義する。

これは、思考実験、ついで、脳についてのデータなど、からでてくる結論である。

そこのポイントのひとつは分業である。

そう定義すると、「心」の定義も定まるのである。

今現在、「意識」と「心」の使いわけのできる人がいるのかどうか私は知らない。

(意識という単語だけですまそうと思えばすまことは当然できる)。

で、「意識」を分析すると、「意識の器」「意識という現象」「自分という意識」「意識内容」から成っている。

その中で、「自分という意識」が同じなら、意識の連続性が保たれる、となる。

その「自分という意識」を保つのは、自分の「意識の器」である。

その「意識の器」は、脳の小さな一部に対応している。

そこが同じであれば、それは自分である。

「意識内容」はまったく関係ない。

以上は、思考実験、ついで、脳についてのデータなど、からでてくる結論である。」

「その心脳のモデルから必然的にでてくる哲学的な要素の部分も、平明な用語で構築中である。

哲学をちらちら観察してきたけれど、今までのところ役に立ちそうなものには出会わなかったし、それらは、心脳のモデルから必然的にでてくるものなので、そういうことになる。」

といったふうに論じている。

心脳モデルから哲学的な要素の部分(それをそう呼ぶとすれば)がでてくるわけである。



以上、さっと書いただけなので、訂正したい個所があとから見つかるかもしれません。



(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)



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