|
カテゴリ:カテゴリ未分類
筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。 特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。 で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。 (――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす―― ――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。 ・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。 しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。 ・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。 それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。 ・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・ 本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。 本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。 「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日・今加筆中の#3は、#882である) 筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。 ☆ 毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・ さて、今回は・・・ 1月13日の分が膨大じゃったので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・ ☆ グチを一言・・・ 読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。 筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。 ・・・つひでに・・・ 筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。 加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす。 それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。 何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。 (・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・ ――「オボシメシ」とは、新種のウメボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――; ・・・ついでに・・・ 「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、 「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている、と思う。 「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てくるが――) ☆☆☆ 加筆用(どこかに挿入): 思い――心器の思いは非物質的なんだが(この「が」という接続助詞はさまざまな働きをもち非常に便利である)、それは物質化する。 たとえば、怒ると、視床下部(これは心器と密接な関係がありそうだ。脳下垂体もそうだ)~脳下垂体~さまざまな内分泌腺sから種々のホルモンsが放出される(それらの生成も進む)~、という実態があることや、心器が思い行う言動によって、まずその身体から始まって、外界や物などを動かすことができる、という実態があるわけであり、それらは「思いは物質化する」と表現できる。 とにかく、心や意識は非物質であり、既にどこかに記しているように、それらは目に見えず、触ることもできず、それらを取りだして目の前に置くこともできない。 それであるのに、心は、物質の世界を動かすことができる。 以上の記述内容は、非物質の世界と物質の世界の関係を示している、とも理解できる。 しかも、物質の世界が非物質の世界(心の世界~意識の世界)に働きかける、という実態もある。 こちらは、物質や肉体からの情報が心に働きかける、ということである。 で、 人間と人間の関係においては、非物質の世界と物質の世界両方が絡み合って、人間と人間の間で相互作用している、と言える。 1・しかも、人間の心は、非物質的ななにかを求めるという実態をももつ(――美、楽しみ娯楽、生き甲斐、名誉、愛情、地位、そのほか、などなどを求める――)。 2・その前に人間の心は物質であるところの衣食住(これは、食衣住の順番だろうが)を求める(例外はあるかもしれないが)。 で、 3・人間の心が、人を求めるのは、非物質的ななにかと物質的ななにかの両方を求めている、と言える。 4・人間を含めて、人の心が生物を求めるというところにおいては、それ以外の要素があるだろう――上述「1」「2」「3」以外の要素があるだろう――。 人間は生き物である。 生き物は非物質と物質から成っているが、それだけの存在ではない、という根拠・証左(証拠)にもなる――「4」からの展開――。 ――生物とは何か、という追究内容は既にどこかに記している―― (加筆) 加筆用(どこかに挿入): ――このセクションは、ずっと後にある次なるセクションと関係が深い―― 「心器」と「意識器」についてさらに考察してみよう・・・ まず・・・ 「心器というフィールド」がどんなものなのか追究していこう。 心器は、ひとまとまりの小さな(局所的な)フィールドである(すべての心器sが存在する非局所的・全体的なフィールドもあるだろうが)。 心器は知性をもっており理活を行う。 知性の活動の原理はどうなっているのだろうか(それについて次のセクションでも追究している。今回はより物理学的な観点から考察していくつもりである)・・・ ここで・・・、 胃袋を連想した。 心器がやっていることと胃袋が行っていることとの間に似た要素がある、と感じた(発想した)のだった。 胃袋はさまざまな食物を取り込んで、分解し――小さな栄養素単位に分解し(歯で噛むことをも含めて)――腸とともに消化吸収を行う――そして、そこからのさまざまな栄養素sを身体が取り込んで、活用する――栄養素sの補給・新陳代謝・細胞の素子sの生成~修復などを行う(このばあい、「陳」は古いの意。新陳代謝を物質代謝とも言う)――。 そこには心器が行っていることに似た実体・実態がある。 つまり・・・ 素材を取り入れて分解し、なんらかに役立てる、組み立てる、という実態である。 代謝 発育 身体の構成 排泄 (加筆) それでも、胃袋~胃腸~身体が行っていることは、決まりきったことだ。 それはすべて自動的に進行していく。 ところが、 心器が行うことは、必ずしもそうではない。 心器は今までにやったことのないことをも行う。 そこには、「学習した能力によるところの決まりきった活動」、を越えたなにかがある。 学習したことのない能力(――ここの表現はむずかしい。その能力からたどり着いた結果が、学習したものの中にはない、という意味である。もちろんそれをなす心器は、さまざまな学習の結果をももっている――)を発揮して、それまでになかったなにかを創り上げる(――それも学習の結果である、という見方と、そうではない、という見方が可能だ――)。 ――ここらは表現がむずかしい・・・能力以上のなにかを創りだす・・・しかも創りだしたなにかが、今までにないものである・・・そういったところに着目したい・・・それだけではないが・・・ で、能力には先天的なものと後天・学習によるものがある・・・その先天的な能力はどこからきたか・・・ここらもむずかしい・・・表現もむずかしい・・・それに類する内容は既述している・・・あと、既存の知性体がかかわってくる能力もあるだろう・・・ そういう先天的なすごいなにかがあっても、それだけでは物事は納まらない・・・そこにおいて、すべてを納める枠組みと知性があるとすれば、なにも試行錯誤は要らない、ということにもなる、そんな枠組みと知性はいつ生まれたのか、どうやって生まれたのか、という謎と設問もでてくる・・・ ・・・複数の内容を同時に書くことはできないので、少し遡って・・・ 「学習することができる心器」という存在があるわけであるが、 「学習できる」のであれば、それをなにものが創ったのか――その「A・なにもの」は一体どんな能力をもっているのか――・・・ 1・「学習できる能力」 2・「単に機械的な反応をするだけの心器」 3・「単に機械的反応をすることの中に学習能力が生まれえるか、存在するか」 ・・・「1」「2」「3」の絡んだ、そういった謎と問いもでてくる ・・・―― さらに・・・ Z・「A」は、すべて気の遠くなるような時間の経過の中にある試行錯誤の結果でてきた Y・「A」は初めからあった X・「Z]と「Y」の中間あたり(この表現は、どちらかにより近くあるケースをも含む) それらの中のどれなんだろう、という謎と設問もでてくる。 しかも、途轍もなく永い時の経過と共に「Z」「Y」「X」の割合が変化していく、という可能性もある。 (むずむずするくらいむずかしい・・・むずむずどころか、むかむかしてもくる・・・) (加筆) さて・・・、 心器・・・ 精妙・精緻なフィールド 学習能力 知性 自由意思(意志) 心器・・・ 超微細な素子sから成っている それがどう働くか (電子機器などを参考にして考えてみるか) (加筆) ――まあとにかく、心器は物理法則を越えた知性をもっている―― 今度は別な展開~表現でいこう・・・ 心器が扱うのは、エネルギーの粒々――「心的内容・エネルギー非経時変化・粒子モード情報スペクトル要素s」←「情報粒子s」と呼ぼう――である。 ――ちなみに・・・意識器が展開するのはエネルギーの波――「エネルギー経時変化波動モード意識内容」←「意識内容波動」と呼ぼう――である―― (以上の2項については、既に何か所かで詳述している) で、 心器というフィールドに、「情報粒子s」が入った――心器が取り入れたという感じか――としよう。 ・・・「入った」、と、「取り入れた」では、実態が異なる――そこにも研究課題がある――・・・ややこしい・・・この追究はどこに書こうか・・・手っ取り早くここに端的にそれを書いておこう・・・ 「入った」だと、心器の知性が取り入れたのではなく、「勝手に入ってきた」、「偶然入ってきた」、ということであり、 「取り入れた」だと、心器の知性が「必要に応じて選んで取り入れた」、ということである。 ――これは、「(筆者の心器が)さっと発想して書いた内容」を分析して記した内容だが、こういう研究のやり方もある、という実例である――。 ・・・実際、我々の生活においても、むこうから勝手に飛びこんでくる情報と、こちらが求めて得る情報や選択して得る情報がある。 さて、 そこで、心器というフィールドに「情報粒子s」が入ったとして・・・ 1「その一部が、そのフィールドに埋没――つまりそのフィールドにエネルギーを供給しただけ――・・・そしてそのエネルギーによって新たな情報粒子sが発生する。埋没しなかった情報粒子sは、そのまま残っている」 2「それら全部がそのフィールドに埋没――・・・そしてそのエネルギーによって新たな情報粒子sが発生する」 「1」のばあい 心器のもつ知性 心器のもつ情報粒子 残った情報粒子 その、「新たに発生した情報粒子」――これは心器の知性が生成したものと、偶然生成されたものがありそうである―― それらとは別に心器が新たに生成した情報粒子――それにおけるエネルギーはどこからくるか、という謎と問いもある 以上を心器の知性が扱う 「2」のばあいでも、「1」とほぼ同じである――そこでは、 【その「新たに発生した情報粒子」――これは心器の知性が生成したものと、偶然生成されたものがありそうである――】 がないだけである さてそこで・・・、 心器の知性が生成する「情報粒子」 そこに働く知性とはなにか その知性はどういう機序――仕組みと運用力――をもっているか という謎と問いがでてくる (加筆) 心器は知性をもっている その知性は与えられた知性と、学習した知性からなる さらに心器は自由意思(意志)をもっている――何か所かで詳述している―― (ここにも以前書いた謎と問いがでてくる・・・いちいち書くのはメンド草草めんど草・・・) この世界の謎sは、追究していっても答えがでないのではないか、と思われるくらいだ そうなると、無限の時を経て今の世界ができ上がったという推論・結論が第一にでてくるだろう ・・・うーん・・・そうとしか思えん――今はちょっと頭が鈍っているので、これ以上は発想できない・・・といっても、いつでも筆者の頭はおおいに鈍っていて困るんだが――・・・ (加筆) ――ここでは、心器の機構を物理的に解明することを目指している・・・それができれば、意識器の機構――仕組みと運用力――も同じ手法で解明できるだろう・・・―― さて、以前、マジックについて何回か述べたことがある・・・ それらを再掲してみよう・・・ で、ここで何を言いたいのかというと・・・、 「心器・知性体という存在がある」、ということの傍証を記す、ということなんだが・・・ 再掲・・・「マジックで、タネも仕掛けもないパフォーマンス、というものが実際に多数存在する。 それらはもう不思議であり神秘であり奇跡である、そういったマジックsがたくさんあるのだ。 それらにおいては、マジックをなす本人の心器がやっているケースもあるだろうが、多くは知性体(狭義の)が行っているパフォーマンスsが多いだろう。 (――それらを観るときには、目玉が跳びださないように注意しないと、あるいは、目玉が跳びだしコンタクトレンズがはずれるかメガネが割れるか、といったことがないように注意しないと、というくらいのもんだ・ ◎_◎・◎д◎・☆д☆――;) ・・・さて、これもここでは重要なことなんだが・・・、再掲になるが、現代物理学は、ほとんどすべてを「場(フィールド)」で記述しようとする。 「場場場場場場場場場・・・」である(爺爺爺・・・ではない)。 既に詳細に記しているが、そこからいくと、「なんでも在り」なのである。「なんでも在り!」である。 「心器というフィールド」も「意識器というフィールド」も、「以下に述べるフィールド」も、当然存在するだろう・・・ ・・・ついでに・・・そこからいくと、「奇跡」も「不思議な事象」も「神秘的なこと」も、なんでも在り・実際に起こる、ということである(――どこかに述べているとおりである――)・・・上にもほかのところに書いたが、マジックの中にはタネも仕掛けもないものがかなり多いのである――つまりそれらは不思議・奇跡・神秘であると言える――。 ・・・ほかにもありそうだ・・・ こう並べてくると、「なんでもありだ、なんでもありそうだ」という感想がでてくる。 となると、テレパシーとか呪術とか、なにか不思議な実態sが起こりうる? ・・・ ・・・マジックの中には「もの凄い」のが多いが、その中にはどう見てもどう考えても「タネもしかけもない」ものがある? つまり・・・その「不思議な実態s」という意味のマジックというのがあるのかもしれん、という結論に至る。 ちなみに・・・超弦理論を用いて記述される「心器と情報量子」が現実に存在する、とすると、重力子やさまざまな量子・粒子――内部構造をもたない素粒子、内部構造をもつ基本粒子(とここではまとめる)――を発生させることができる可能性がある。そこからさらに・・・さまざまな宗教関係の書sなどに記されている奇跡も実際に起こりうる、という仮説についても既に記している・・・――。 さて、さらには、・・・既に軽く触れたように・・・宗教などで伝承されている不思議な実態sや奇跡sも、そこから説明がつくだろう、というところにまで至る。種も仕掛けもないマジックも同じくそうだ。 ・・・そういった領域は筆者にとって、跳び抜けて飛び抜けておもしろいんだが――そういう方も多いことでしょう――以上、控えめに書いておこう・・・。 以上、心器と意識器における情報構造から上のことがいえる。 以上において重要なこととして・・・外界・物質世界(意識のそと)が、人間に見えているそのままであるとみなすと、「二重スリット実験」も「EPRパラドックス(既述)」も、タネのないマジックや宗教における奇跡など(既述)も、解明できないし説明がつかない。・・・ (・・・ということは、特定の条件下・特定の領域で相対論は成り立つ、ということになりそうである・・・ ・・・「二重スリット実験」については、問題なく説明がつく・・・ ・・・「タネのないマジックや宗教における奇跡など」についても、問題なく説明がつく・・・) で、心器はそのデータベース(既述)から情報を受ける~取り出すわけであるが、心器がそのデータベースに干渉できるのだろうか? つまり・・・心器はそのデータベースを書き換えることができるかどうか? 1・できる 1・1・完全にできる 1・2・部分的にできる 1・3・ほんの少しの部分についてできる 2・できない 以前にも直前でも述べたが、マジックの中にはまったくタネのないものsがある。いってみれば・・・奇跡が起きているマジックsもある。 ほかにも宗教における奇跡やそれに類する事象・事実などもある。 それらについては、「非常に発達した心器~知性的存在」がデータベースを書き換えたと理解すれば納得がいく。 とすると、心器~知性的存在は、そのデータベースの外に存在する可能性が高い、ということになるだろう。たとえば、人間が地上にあって、自分の服の襟首をつかんで持ち上げることができないように――人間はジャンプはできるが、それは地球との間で力~運動量のやりとりがなされるものの、すぐ以前の状態に戻るということである。 それは一時的には書き換えが可能というたとえにもとれるが、すぐに元に戻る、と」 ・・・以上、マジック関係の記述の再掲・・・ ・・・もうひとつ別な方面からの論考を別なパラグラフから再掲・・・ 「(加筆) ・・・さらに・・・、 筆者は、心器は絶対にあると思う。 なぜなら筆者はいくら泥酔していても、やるべきことはちゃんとやれるからだ。 心器が脳の一部であるなら、泥酔したら、言動がめちゃくちゃになりそうなものだが、筆者のばあいそんなことはない(――泥酔に至る過程で、泥酔のいくらか前までは、脳の感受性や活力が高まる。それによって、脳から心器に活力のある情報が行く、という実態はある――)。 つまり、脳が泥酔して、ニュ-ロンsの働きがふだんとは異なる状態になっても、心器は、泥酔の影響を受けずちゃんと働く、という結論がそこからでてくるのである――いくらかは脳の酔いの影響を心器は受けるが(脳が発する情報スペクトル要素sによって・・・上述のカッコ内に書いている)、基本的に、「酔うのは脳」、「心器は酔わない」、ということである、と結論できる・・・。 それに、 脳には心として心脳を統括する部位はないことははっきりしている――既述――。 ・・・以上、そこらのところは、心脳科学(仮説)を参考にされたい・・・ それから・・・、 「心器は絶対にある、と筆者は実感する」、 と筆者の心器が言っている(笑)――これを書きたくて、このパラグラフを始めたのであるが、この結論だけでは、ふにゃ論であり説得力に欠けるので、この前にさまざま述べたわけである――。 結論として・・・ 「心器はある」・・・ (――それに関連してほかのところsで、さまざまを多く既述している――)・・・。 ・・・以上、再掲・・・ ・・・以上の再掲内容とそのほか(既述)から、心器~知性体は存在する、ということが言えると思う。 さらに、既に何度も詳述しているが、脳における情報処理のようすと情報構造から論じると、心器というフィールド(と意識器というフィールド)の存在は必須なのである(――そして人が昇天しても、その心器はなくならない。同じく意識器もなくならない――)。 結論として・・・心器の物理的仕組みは今までのところ、中途半端にしか迫れていないが(上述、その他のところで既述)・・・、 心器というフィールドは存在し、それは学習能力と知性と自由意思(意志)をもっており、心器ではそれらが働いている、ということになる。 さて次は意識器について・・・ 意識器というフィールドも心器のそれと似ている。 ただし、その性質と働きは異なる。 心器のフィールドは、知性をもち、情報の理活を行う――そして心的内容を生成する――。 意識器のフィールドは、情報を意識し味わう働きをもつ――意識内容を意識し味わう――。 ・・・そのふたつは、脳(と心脳)における情報処理と情報構造の実態 ――脳においては、デジタルでバラバラ・ギザギザな情報処理・・・情報においてと、かつ、情報処理において、内容的にも空間的にも時間的にもバラバラ・ギザギザ―― ――意識の実態として、滑らかな情報変化・変化情報をもつこと―― から、必然的に導きだされる(本論で詳細に何度か論述している・さまざまな論拠を挙げて)・・・ さて、まずここに必要な再掲だが・・・、 【心器が扱うのは、エネルギーの粒々――「心的内容エネルギー粒子モード情報スペクトル要素s」←「情報粒子s」と呼ぼう――である。】 心器で扱って(理活し)一コマにまとめられた「情報粒子s」(=心的内容情報スペクトル)が意識器に入れられる。 意識器というフィールドにおいては、その一コマにまとめられた「情報粒子s」が、「情報波動」(=エネルギー経時変化波動モード意識内容)に変化する――たとえとしてそれは・・・見る対象からやってくる光の波動混合体に似ている・あるいは、音楽の演奏集団からやってくる音の波動混合体に似ている――。 で、「意識器というフィールド」の存在は、既述の根拠により確実にある、ということになる。それがないと(心器というフィールドも同じくそうだが)心脳の現実は100パーセント成りたたない。 で、(心器と)意識器という存在について言えば、それら以外の、物質的な存在とそれらの場sの存在と同じく不思議だ。 しかし、それらは、どうしても、ある程度以上の追究はできない――最も深いところは言葉では理解できない――人間にはわからない―― そこらのところを文字にしてみると・・・ 「現にこの宇宙は存在するが、なぜこの宇宙があるのか」 「どういう原理・法則によってこの宇宙があるのか」 「物理的に、多くが場の理論で説明がつくのであれば――と言っても、その原理が存在する~その原理を存在せしめている、大元はわからない――、心器というフィールドと意識器というフィールドの存在についても、ある程度以上の説明はできなくてあたり前であり当然である」 さて、既に書いているが・・・、 心器と意識器の説明のために「池の水とそこに砂粒sを無数に落とすたとえ」をここで持ちだしてみよう・・・さらにそれに新しい説明をもつけ加えよう・・・ それら無数の砂粒sは、情報粒子sのたとえである。 砂粒sを落とす人間が知性をもつ心器のたとえである。 その心器は、どんな大きさの砂粒sか、どんな形状の砂粒sか、などについて考え観察し、砂粒sを選びだし、最も好みの波(波動)を池の水の表面からかなり下まで発生させるよう、知性を働かせて砂粒s――ひとまとまりの情報粒子s=心的内容情報スペクトル――を池の水に落とす。 すると、池の水は複雑精妙な波やうねりをもつことになる――それが意識内容情報波動=エネルギー経時変化波動モード意識内容である――。 で、ここでは、池の水は意識器というフィールドのたとえである。 その池の水――意識器――は、その複雑精妙な波やうねりを意識し味わうことができる――意識器はそういう働きをもっている――。 ・・・心器と意識器について、物理的かつ完璧に説明することには、まだ成功していないが、これからそこにも挑戦していこう・・・(――それは既にどこかに何回か書いたように、完璧な解明と説明は不可能だろうが――)・・・ (・・・むずむずむずかしい・・・霧頭化思惟・・・つひでに・・・この「頭」の音読み・つまり中国的読みは「とう」と「ず」などがあって――発音が似てない――似ているとも言えるが――、不思議な感じの漢字だと思う・・・つひでに・・・訓読み・大和言葉では、あたま、かしら、つむり、こうべ、かぶり、おつむ、など多彩である・・・) (加筆) 加筆用(どこかに挿入): 理活――心的内容論理活動――につひての研究もやってきてゐるわけだが、さらにとぅどぅけよふ・・・ 本スレッドにおいても、筆者はところどころに、筆者の心脳の現実―― 研究のようす、ジョーク・ユーモアを考えるようす、連想のようす、どういうふうに書くか・その実態、発想のようす、とゐったことにおける活動の実態とそこからの結果など ――を言葉で記してゐるんだが・・・ (・・・それらを探しだして再掲するのは、めんど草草めんど草、なので省略して・・・) 今回はそれなどをもとに「理活(心的内容論理活動)」につひて研究してみよふ・・・ さて、理活だが・・・ 理活とは・・・主に、心器による心的内容論理活動(論理的でない理活もあるが、それもそう呼ぼう)のことである。 そこでは・・・ 心器 自由意思 連想・共鳴(共振) 知性体の参加 脳でのニューラルネットワークにおける論理活動―― ニューロンsの感度の調整と、その論理回路の実行、と説明しておこう (ニューロンsの感度の調整という表現は正確ではないかもしれないが、学習の一種である――それは、たくさんの標本データsをもとに、設定した目的に至る確率がもっとも高くなるようにニューロンsの感度を調整する、ということだろう、と推測している) ――も参加している 以上で成りたってゐそうだと、今は考ゑてゐる。 そこで、それに関係のありそうな概念sをもつ言葉sを羅列してみると・・・ 想像・・・発想・・・創造・・・ 共振・共鳴 膨らむ(素材sの数が増える・を増やす――そこに知性が関わるケースとそうでないケースがある――) 連想 集象(抽象と捨象に対して集象;情報の素材sを集めること) ☆フィルタ・漉しとる・漉し捨てる(不必要なものsを捨て、必要なものsを集める・・・そこの基準と識別がむずかしい・・・「心器とニューラルネットワークが行う・知性体が参加するケースもあるだろう」=「知性が行う」――ニューラルネットワークの働きも一応知性に分類できる――) 捨象(不必要なものsを捨てる) 収縮(素材sの数を減らす・が減る) 素材sの組み合わせ(順列組み合わせ的にやると、あまりに膨大になるし、無意味・無価値なものsだらけになる。かなりな程度知性が関与すべき) 選択(知性が選択する(本論~このスレッドでは、知性とは感性と理性などをも含む)) 抽象(対象の内容から骨格・原理を抽出する・漉しとる) 帰納(たくさんの具体s・素材sから、それらをまとめえる、抽象的な、骨格・原理を抽出する) 演繹(抽象的な骨格・原理から、具体sを導きだす) 素材sの組み合わせにおける 必然の結合 結合の必然性 ジグソーパズル;ピースとその形状とその図柄~それらと全体との関係 音楽や歌におけるコードsとコード進行、それらとメロディーとの関係 音楽や歌における対位法 音楽や歌におけるリズムと打点(打点の専門用語を忘れた~それはリズムだ? と思うが、音符とその演奏の時間的な性質のことを、打点と、ここでは表現) 音楽や歌における拍子とリズム(リズムと拍子) 音楽や歌における楽器sの音色の効果 音楽や歌における、緩急や強弱、ビブラートなどの効果 音楽や歌においての、以上の組み合わせ 文学・文章などにおける、単語の組み合わせとその効果 言語における文法 種々の色sの組み合わせとその視覚効果 形状と色の相乗効果 などなど・・・ 以上をもとに考えていこう・・・ ――以上のほとんどを既にどこかに記しているのだが、ここからが難しい―― (・・・むずかしい、むつかしい、むかつしい、むかむか、かむかむ・・・「何を噛む噛む? 」・・・やけ食いではありもうさぬ・・・つまみ食いなり・・・) (加筆) ・・・注: 自由意思と知性がないと、想像~創造、新しいなにかの発見、研究、などはできない(だろう)。 ・・・そこには、連想や記憶、先験的知性――それはほとんどのばあい、起源情報スペクトルから来るだろう。知性体から来るものもあるだろう――や体験などによる体感(複雑な記憶の一種で、知性の一種となる)も参加しているケースが多いだろうが(まったくそういったものを必要としないケースもある)。 そこに、知性体がかかわっているケースもあるだろう。 ――以上から、洞察性・洞察力もでてくるのだろう―― ・・・以上は、生物の発生や進化についても言えるのではないか・少なくとも知性がかかわっている、と・・・これについては既に詳述している―― (加筆) (研究中・・・研究中という中学校に入学・・・若返った・笑・・・中学生が、酵母君たちが食い散らかしたカスの飲料を飲むと、中学校を追放される・そこは残念・・・なまけ中・・・今度はなまけ中学校にも入学・・・なまけコンクールで優勝・・・) 加筆用(どこかに挿入): 心脳科学(仮説)の重要ポイントを端的に書いてみよう・・・ 脳における情報処理や脳についてのさまざまなデータs、と、「心・知性」と「意識」についてのさまざまな洞察・考察、そしてそれらすべてを総合的に勘案斟酌判断すると(それを本論で種々さまざまに解説している)・・・ 脳での情報構造と情報処理の在り方は「デジタル主体。バラバラ処理(情報自体もバラバラ、情報処理する個所sもバラバラ)」、 それに直接つながる、心・知性(心器)における情報構造と情報処理の在り方は「デジタル主体。バラバラ処理(すべての情報においてバラバラ。時間情報・空間情報までバラバラ)。それらを最終的にひとまとめにする」、 さらに、意識における情報構造は「アナログ・流体的・滑らかに変化する(場面転換では切り替わる)」、 である、という結論に至る。 そこでは、 「心器(心と知性の器・うつわ・フィールド)」、 「意識器(意識し味わう器――自分という純粋意識があるフィールド――)」、 というふたつのフィールドsと、上述の情報構造sと情報処理の在り方が必然的に導きだされる。 ――以上は相互に複雑に絡まっているので、その洞察や研究の思索の過程をそのまま記述することはできず、こうやって記述すると、不完全になるが、それはどうしようもない(詳細な解説は既述)―― さらに解説しよう・・・ 心脳科学(仮説)において、非常に重要なところの意味と内容が「一発でわかる」ネーミングをくふうしてみた・・・ ・・・ただし、ある程度勉強しないと「一発で意味と内容がわかる」ということにはならないが・・・つまり、「一発でわかる」、という意味は、「一発でわかるように、ほとんどすべての要素sをそこに言葉で盛り込んだ」ということである・・・ さて、それは・・・ 「心器における情報構造と情報」について、新しいネーミングをなした・・・ 心器においては・・・ 今までは「心的内容情報スペクトル(――スペクトル要素と起源情報スペクトルが理活され→スペクトルになる)」とネーミングしていた(ほかにもいくらかある)。 それででも「一発で意味と内容がわかる」のであるが、さらに詳細にネーミングしてみた。 それは・・・ 「エネルギー・非経時変化・粒子モード情報スペクトル心的内容」 または 「エネルギー・非変化・粒子モード情報スペクトル心的内容」 である。 (これは新しいネーミング) ――スペクトル要素の一団と起源情報スペクトルが理活によってスペクトルとなる―― ――その「粒子」は粒子といえども周期をもっている―― ――「粒子」だと、心器が、なんらかの論理のもとに、取り入れたり捨てたりして、操作・加工が可能である。 一方、重ねあわされた波動だと、それができない。粒子sに分解しないと、それ「操作・加工」は行えない―― (ハイゼンベルク描像はある意味これに似ている) 意識器においては・・・ エネルギー経時変化波動モード意識内容 (これは以前のネーミングのまま) ――波動でないと、意識器は意識し味わうことはできない・・・その説明はほかのところsにいくつもの例えsをもってなしている・・・一例として、固体の食品は流動化させないと口の中で味わうことができない、アメでもそうである・溶けないと味わえない、など(この例えはかん違いを招くかもしれないが)―― (シュレーディンガー描像はある特定の意味でこれに似ている) ・・・以上の内容は、「量子論における量子のもつ【粒子性】と【波動性】」、それら2つの性質が、心脳においても活用されている、とみなしていい概念内容である。 ただし、心脳における「波動性」は、ド・ブロイなどの主張する「物質波(現実にあるところのエネルギーの波動)」――というより「エネルギーの波動」の世界であって、量子論的確率の世界にはない。 今度は上述とは別な表現叙述で行ってみよう・・・ 心器で「エネルギー非経時変化・粒子モード心的内容情報スペクトル要素s」から成る、ひとまとまりの「エネルギー非経時変化・粒子モード心的内容情報スペクトル」を構成し、 それを意識器に入れると、 「重ね合わせの原理・・・あるいは混在の原理・・・どこかで例えとして記した、砂粒sを落とした池の水の波やうねり、が参考になる」 によって、 「エネルギー経時変化波動モード意識内容」 になる、 という仮説を、本論において立てている――さまざまで多くの根拠sをもって、さらに、多くの事例sをも挙げて――のであるが、 そこにおいては、逆方向の分解も可能である(既述)。 そこを、逆フーリエ変換的変換と、フーリエ変換的変換、と、以前は記してきたが、上述の本論における仮説ではそこからはなれることができる――「的変換」というのにはそういう意味もある――。 そこ「上述の本論における仮説」における変換と、 「フーリエ変換(逆も)の系(めんどうなので略記)」とは異なるわけであるが(似たところもあるが)、 そこ【「上述の本論における仮説」における変換】にある大いなる利点を述べておこう。 1・周期(周期関数の周期)が一切問題にならない――上述の「フーリエうんぬん(略記)」の世界では、それは大問題であり、それは超不自由で超貧弱な世界である――。 2・恐ろしく複雑で精妙で無限の内容をもつ「エネルギー経時変化波動モード意識内容」の世界が存在する――「フーリエうんぬん」の世界はその反対である――。 3・無限に豊富でいくらでも長い「エネルギー経時変化波動モード意識内容」の世界が存在する――フーリエうんぬんの世界はその反対である――。 4・場面転換も自由自在である――フーリエうんぬんの世界はその反対である――。 ・・・――「フーリエうんぬん」の世界においては、基本周波数とその自然数倍の周波数sを扱うが、本論におけるその仮説においては、可能性として述べた既述の赤外線sでの事象・事例のごとくである――たとえば、として――。 そこには、「起源情報スペクトル」という、現実と心脳にとって完璧に有効な情報も存在するだろう――既述――・・・ (加筆) ☆☆☆ 西山浩一(世界人・春楽天) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.22 20:59:35
コメント(0) | コメントを書く |