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カテゴリ:ココロのことば
母の母子手帳をもらってきた。 私が母から生まれたことの、ひとつの証。 165cm、37kg がりがりのやせっぽちだった母。 そんな母の身体を見て判断したのか 医者は帝王切開をすると母に告げた。 それを知った母の姉(私の伯母)が 『生む力があるから身ごもったのだ』 と医者を説き伏せ、自然分娩させた。 そして予定日から9日後、母は元気に私を生んだ。 2,900g 51cm ひょろ長い赤ちゃんだったと母は言う。 昔話は尽きない。 私が生まれる前のことばかり話す日もある。 『認知症』 それが母の病名だ。 59歳のとき突然倒れ、1週間の昏睡から生還した後 年月をかけ、じわりじわりと発症した。 『命だけでいい』と神様に母の命乞いをしたのだから どんな状態でも生きていてくれるだけでありがたいのだけれど それでも正直、母が壊れていくように感じるのは、せつなく寂しい。 だんだん小さくなる母。 私が高校を卒業する頃は、母の方が背が高かったのに いつのまにか母の目線は、私よりうんと下にある。 毎日毎日同じ小言を、何百回何千回と繰り返しながら 私にありったけの愛情を注いでくれた母。 今でも、服に糸くずがついてるとか、ボタンが外れてるとか 相変わらず細かいところばかりチェックして、 ほらほらと手を出してくる。 そんな母の手は、まだまだうんと温かい。 生きていてくれるだけでいいと、改めて思う。 母とはいつまでも、見えない臍の緒でつながっている。 母が教えてくれたことは、いつまでも私の中で生き続ける。 だからもう何も心配せずに、心安らかな日々を送って欲しい。 私を生んでくれてありがとう。 厚生労働省の決定により、今年1月から 『痴呆症』の呼称が『認知症』に変わった。 『認知症』という呼称にも賛否両論あるようだが 母の場合、今現在の事実認知がうまくできないという状態なので 私個人としては、適切な呼称だと歓迎している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 8, 2005 10:11:03 PM
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