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2019年06月15日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
・以下に「水瓶座時代 マドモアゼル愛オフィシャルブログ」の
 ブログ記事を転載します。






 2019-05-22 12:13:02
 カラスはお友達
 https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12463063288.html

 都会に多い鳥はカラス。
 カラスには悪いけど、
 それなりに不気味な雰囲気を漂わせる鳥なので、
 カラスが大好きという人は
 そうはいないかもしれません。
 
 私もカラスは苦手ですが、
 よく顔を見ると結構きれいな目をしていて
 可愛い仕草をしています。
 ツヤツヤ光る黒毛もよく見るときれいですが、
 やはり飼いたいとまでは思いません。
 
 しかし、この鳥は、
 人間とけっこう仲良くなるようです。
 記憶力も優れていて、
 意地悪した人を覚えており、必ず逆襲するとか。
 知り合いの中年女性が
 ゴミをあさっているカラスを見て追い払ったところ、
 次の日から毎朝カラスに追いかけられた、、
 という話を聞いたことがあります。
 
 以前、出版社にいた女性編集者は、
 小学生の時にカラスの赤ちゃんを拾ってきて
 育てたらしいのですが、
 カラスは少女に非常になつき、
 家のそばに常にいて、
 家から出てきた少女の上を
 いつも回っていたということでした。
 
 朝、学校に通学する際は
 頭上を旋回しながらついて来て、
 放課後、家路に向かう際も
 頭上を旋回しながら一緒に帰ったということです。
 ただ時折、
 同じ色の服を着ている子の方に
 間違えて行ってしまうこともあったとか。
 カラスは服の色がわかるんでしょうか。
 
 有名な話では、
 ダライ・ラマがチベットから脱出する際に、
 カラスが助けてくれた話があります。
 ダライ・ラマを乗せたカゴが進もうとすると、
 カラスが襲ってきて、
 担ぎ手の手を攻撃して行く手をはばんだというのです。
 もしその道を進めば、
 先に共産軍が待っていたということ。
 カラスが攻撃しない道を行くことで、
 ダライ・ラマは無事にチベットを脱出したという話です。
 
 私もカラスに何度か助けられたことがあります。
 それは決まって忘れ物と関係していました。
 実は今朝、管理人さんがやってきて、
 ゴミは夜には出さないでください、、、
 と言うのです。
 通常はゴミは夜には出していませんが、
 かなり早朝に出したもので、
 それがまずかったらしいのです。
 
 道一面、ゴミが広がっていた、、、とのこと。
 カラスが全部つついてゴミを出してしまったわけです。
 なぜ、そのゴミが私のゴミと特定できたかですが、
 管理人さんが調べてみると、
 ゴミの中から、カギがでてきて
 そのナンバーから私の家であることがわかったというのです。
 確かに私はカギを紛失していました。
 カギはナンバーが記されたもので、
 失くした場合はカギ一式をすべて変更する義務があったのです。
 
 失くしたカギは家の中にあるはずなので、
 ゆっくり探すつもりでしたが、
 ゴミの中からカギが出てきたとなれば、
 それは紛れもなく紛失の運命です。
 カラスがゴミをあさってくれなければ、
 カギは永遠に出てこなかったわけで、
 カラスのおかげで
 数十万円の損害を避けることができたことになります。
 ただし、お掃除をされた管理人さんには
 大変なご迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。
 早朝にゴミは出しません。
 
 そして思い出したのが、
 かなり昔のことですが、
 やはりカラスに助けられたことがありました。
 日曜日の朝、私は楽し気に家を出ました。
 その日は10名近い仲間達と旅行に出かける楽しい朝でした。
 お天気も最高で意気揚々と家を出たのは良いのですが、
 私の真後ろから何だか不気味な音が急速に近づいてきて、
 私の頭を何かがつついていくのです。
 カラスが低空飛行で
 私の頭を後ろからつついて行ったのです。
 
 あまりの恐ろしさで引き返すように家に戻った私。
 カラスが見えなくなったのでおそるおそる歩き出すと、
 また襲ってきた同じパターン。
 おそらくさっきのカラスが
 再び私の後ろから攻撃を仕掛けて来たのです。
 かなりの恐怖心で家の玄関前に戻る私。
 
 暴力カラスの行方を探すと、
 今度ははっきり見える場所で
 私の方をじっと見ているカラスを発見。
 あきらかにこっちを見ている、、、
 今度は正面から来る気か、、、
 と、恐怖心はピークに。
 
 しかしその時、ふっと
「大変だ。新幹線の切符を忘れていた」ことに気づいたのです。
 10人分、すべてのチケットを私が持っていたのです。
 もし忘れたまま東京駅に向ったら大変なこと。
 家に戻って切符を持って玄関を出た時は、
 今度はカラスの妨害は一切なしでしたので、
 カラスが教えてくれたに違いありません。
 
 もう一度、カラスに助けられた忘れ物は、
 財布でした。
 携帯電話を持たない私は
 緊急の連絡はメール以外になく、
 端末を持参していない日でしたが
 何か大事な要件があり、
 駅前のネットカフェに立ち寄って
 メールを確認するかしたのです。
 ネットカフェを出て、電車に乗り、
 目的地で降りて歩き出した私。
 そこに私の行く手をふさぐようにして現れた
 一匹のカラス。
 
 気にせずに歩いていきましたが、
 あきらかに私の行く手をふさいできます。
 それでも進もうとすると、
 今度は低い塀の上にとまって私を見つめる。
 その道はその部分だけが細くなっていて、
 カラスと目の高さが同じ位置になるため、
 もしカラスが私の目をつついたら、、、
 と思うと恐怖心が出てきました。
 
 しかし、そんなに悪辣な印象のない、
 かわいらしいカラスに思えたので、
 思い切って狭い道を
 カラスとは目を合わせないようにして歩いて行ったその時、
「あっ、財布を忘れた」と気づき、
 急いでUターンしてことなきを得たのです。
 
 貧乏な私でも
 なぜか50万円程のお金を
 その日は支払いのために入れていたのですから、
 本当に助かったわけです。
 カラスさんありがとう。
 
 鳥が人間に何かを伝えることは昔から有名ですが、
 私の場合はカラスが忘れ物を教えてくれたことになります。
 
 これは一見、
 私の特殊な体験のように思われるかもしれませんが、
 そうではないと思うのです。
 ある鳥が、、、ある虫が、、、ある音が、、、
 ある光が、、、ある植物が、、、
 何かはわかりませんが、
 必ず、あなたにもそうしたコミュニケーション対象がいて、
 重要なメッセージを持って
 あなたの前に現れているに違いないのです。
 ただ悲しいかな、
 私たちがそれに気づくことが少ないだけ。
 
 自然現象の中に、動物との関係の中に、植物との接触の中に、
 こうしたものがあると思うだけでも、
 人生は豊かになっていくでしょう。
 みんな仲間、、みんな友達、、、みんな私、、、、。
 
 学校ではそういうことをまず最初に教えるべきだと思うけど、
 反対のことを教えるのですよね。
 人間をどんどん一人にしていくことを教える今の教育。
 良い成績取らないと大変よ、、、
 受験で負けないで、、就職よ、、、あんたダメね、、、
 
 すべてが一体であり、
 この世のすべてが自分であるとすれば、
 世界は有り難いものになっていきます。
 この世界が私たちに苦悩を与えるはずがないのです。
 ただ世界は私たちの考えや意識に反応しているだけ。
 世界に信頼があれば、世界はきっとそれに応えます。
 私が苦しく思うから世界も苦しいものを持ってくるのです。
 
 私が楽しいと思えば、世界の楽しいものと共振します。
 内を変えずに外を変えることはできません。
 あなたと縁ある動植物や天気や何かしらを、
 まず友にしてみること。
 そこからあなたにしかわからない、
 面白い対話がきっと始まることでしょう。












 立葵と老夫婦


















 2019-05-08 12:56:54
 流転止まず
 https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12459820653.html

 人は死んでからお化けになるのか、、、
 
 人は死んでからお化けになるのでしょうか。
 違うと思います。
 人は生きている時にすでにお化けになるのです。
 もちろん、すべての人がそうではありませんが、
 生きている時にすでにお化けになっていなければ、
 死んでもお化けになれないはず。
 
 天国も同じでしょう。
 生きている時が天国でなければ、
 死んでも天国に行けるわけではありません。
 
 これはすべてに共通した法則です。
 今幸福でない人が
 未来に幸福になることはできません。
 将来幸福になりたいと願うのは人情ですが、
 法則的には今幸福でない限り
 未来も幸福ではないのです。
 
 要するに今と未来の関係です。
 未来を作るのは今ですから、
 今が変わらなければ物事は永遠に変わりません。
 
 人が不幸のどん底にいたとしましょう。
 不幸だ不幸だと思っている状態が長期不幸です。
 普通は相当な不幸が襲っても、
 時には気分が変わったり感情が変化したり、
 考えが変わることがあります。
 
 それなのに、
 変化を拒否してかたくなに気分を変えない、、、
 かたくなに考えを変えない、、、
 かたくなに感情を変えない、、、、
 これが不幸が続く原因です。
 
 恨みや怒りを変えない、、、、
 何があってもそれを維持し続ける、、、
 それがお化けです。
 人は生きていながら、
 こうしてお化けの世界に
 足を踏み入れていくわけです。
 
 何でこんな話をまだ夏でもないのに始めるかと言うと、
 けっこうお化けで生きている人が多いことに
 気づいたからです。
 何かにこだわり、
 それをかたくなに変えようとしないまま生きている人は、
 少なからずお化けの状態になっています。
 
 そして生きる現場のリアリティよりも、
 現実と異なる幻想の思いこみのウエイトの方が重いとき、
 私たちは段々とお化けになっていくわけです。
 この世は変化こそがとりえであり、
 変化が大きい恵まれた世界です。
 この世に理不尽なことが多すぎるのは
 困りものかもしれませんが、
 その分、色々な変化のチャンスに恵まれた、
 可能性に満ちた世界なのです。
 本当は悪いことも良いことも含めた変化こそが
 私たちの世界からのプレゼントであり宝物です。
 
 天候の変化、四季の変化、環境の変化、
 人間関係の変化、訪れる事柄の変化、
 肉体の変化、感情の変化、考えの変化、意識の変化など、
 様々な変化に充ち溢れています。
 
 そして変化を受け入れることで
 過去を流し去っていきます。
 変化を受け入れさえすれば、
 過去が人を苦しめることは基本的になくなります。
 また変化があれば
 必ずそこにはエネルギー現象がありますので、
 変化=エネルギーとなるわけです。
 
 お化けにはエネルギーが少ないのです。
 お化けは変化にエネルギーがあるなどとは認めず、
 物にしか、また過去への思いにしか
 エネルギーがないと思っています。
 お化けの考えは凄く現実的なんです。
 だから死んでもこの世に関わるのです。
 現実的だからです。
 物や過去が好きなんです。
 
 私もお墓に停めておいた車が、
 わずか30分後に戻った時、
 ラジオも聞こえないほど
 バッテリーが完全に上がってしまったことがあります。
 お化けにやられたのでしょう。
 お化けはエネルギーを欲しがるので
 バッテリーはごちそうだったのかもしれません。
 
 お化けは変化を拒否しているので、
 慢性的にエネルギー不足に陥っています。
 ですので、外界からエネルギーを得ることを考えた結果、
 電気を好んだり、人からエネルギーを奪おうとするのかもしれません。
 一緒にいるとやけに疲れる、エネルギーを奪われる、、、
 という経験は誰にでもあると思いますが、
 それはその相手が変化を認めない人の場合に多いはずです。
 
 相手ばかりでなくこちらも変化を認めなければ、
 お互いでお化け合戦になりますので、
 恨みや怒りが増幅します。
 変化を認めず、双方が変化なしで物事を解決しようとする時、
 私たちはお化け合戦の恨みあいに入っていくのです。
 
 どちらの我を通すのではなく、
 お互いに変化することで問題解決に導くことが
 エネルギーワークとなりますので、
 そうすれば物事は必ず発展します。
 取り決めだけの事務的やりくりで
 平成は30年やってきましたので、
 エネルギーを失っているわけです。
 
 おそらく令和の時代は変化にとんだ時代になるでしょう。
 私たちの生き方も変化を受け入れることで、
 自ら変化に身を置くことで、
 エネルギーを得ることを考えたいと思います。
 
 四季を愛でる、、、
 一日の自然現象の変化に喜びを見出す、、、
 季節の食べ物の変化を味わう、、、
 地球は変化によってエネルギー現象を起こしていますので、
 それを見たり味わうことが、
 文化として定着してきたわけです。
 
 お化けには四季も夕日の美しさも鳥のさえずりもありません。
 ただ自身の思いの世界があるだけ。
 変化したら自分がいなくなることを恐れているのでしょうか。
 いなくなれば大きな世界に入るわけで、
 肉体が無くなる変化を
 最終的には人は受け入れるわけです
(お化けはそれを拒否します)。
 
 生まれたら死ぬのはセットです。
 死の変化を受け入れることが、
 永遠の世界の入り口に
 私たちを導いてくれるわけですが、
 せめて生きている間にも、
 変化多き人生を歩み、
 お化け的な生き方から自由でいたいものです。
 
 変化多き人生とは、
 何も激動の人生であるというのとは違います。
 変化を受け入れる姿勢で生きることです。
 変化を楽しめるということです。
 
 ゲーテは
「とどまれ、お前はいかにも美しい」
 という最終目標を
 ファウストに言わせて、
 この世の意味と生きる意味についての答えを
 得ようとしています。
 しかし、とどまったら、止めてしまったら、
 変化に完成があることになり、
 何か違うように感じてしまいます。
 
 その点、東洋思想は異なる考え方です。
 易経は東洋哲学になくてはならぬものですが、
 易経の最後の最後の卦は、
「流転やまず」です。
 火水未済という未完成で終えます。
 私たち東洋人は、
 何かを求め、形を求めて生きつつも、
 そこに完成を見ず、
 流転やまずの意気で
 自らの人生を何かに捧げていくことをよしとします。
 
 色々な考えはあると思いますが、
 変化がエネルギーであることを認めず、
 物にエネルギーがあるとする今の科学の限界を、
 私たちの心だけでも
 越えて行かねばならない時代に来ている気がします。





















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最終更新日  2019年06月15日 20時08分56秒
コメント(4) | コメントを書く


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 Re:カラスはお友達(06/15)   穂咲青二才 さん
lalameans様

 ご無沙汰しております。
 カラスの話を拝読して思い出したことを書かせていただきます。

 中学生の頃だったと思います。
 弟がある日、
 「お兄ちゃん、原っぱにヤンバルクイナがいる!」
 と大騒ぎして、私についてくるように言ってきたのでついていくと、
 そこには巣から落ちたカラスの子がいました。

 確かにカラスの子は翼も無く足だけが発達していて地べたを歩き回るので、ヤンバルクイナに似ているのです。

 放っておけばよかったのですが、かわいそうだと思って家に連れ帰って育てることにしました。
 カラスはすぐに馴れました。
 その頃の我が家には鯉がいて、餌であるスイミーがたくさんあったので、それを水でふやかして与えました。

 初めは私の部屋で育てていたのですが、翼が発達すると外に出しました。
 外には黒犬がいて、犬小屋の屋根がカラスの居場所になりました。

 カラスは犬の鳴き声を覚え、「ワン、ワン!」と鳴くようになりました。

 黒犬とカラスは仲良くしていましたが、カラスが隙を見て犬の餌を盗むので、黒犬は前足で押さえつけて懲らしめることがよくありました。

 そういう時のカラスは、まるで殺されるかのような勢いで
「ギャー!ギャー!」と鳴き叫びましたが、黒犬は平然とした顔で押さえ続け、しばらくしてからカラスを自由にしてやっていました。

 カラスは早起きで、その頃の私は祖母の部屋で一緒に寝ていたのですが、部屋の窓ガラスを夜明けとともに鳴きながら嘴でつつき続けて餌を強請るので、祖母が嫌がり、私が学校に行っている間にカラスは捨てられてしまいました。

 田舎の農家の納屋の軒先に置いてきたとのこと。

 とてもなついていて可愛かったのでがっかりしましたが、仕方がないと諦めました。
 
 まだまだカラスとの思い出は多いのですが、今日はこの辺で。

 それでは、また。 (2019年06月16日 07時09分38秒)

 Re[1]:カラスはお友達(06/15)   lalameans さん
穂咲青二才さんへ

 興味深く面白いエピソードをありがとうございます。
 また機会がありましたら
 ぜひカラスとの思い出の続きを
 よろしくお願いします。

 おかげさまで風邪も腰痛足痛も
 ほぼおさまった感じになりました。
 そしてやはり転載したいなと思うブログ記事を読んだ時に、
 あらためて文節を区切りながら読みつつ
 転載する作業をすると、
 すごく体に入ってくる感じがするので、
 やはり少しずつでも続けていきたいなと
 あらためて思っています。

 今後もよろしくお願いします♪

(2019年06月16日 11時35分32秒)

 Re[2]:カラスはお友達(06/15)   穂咲青二才 さん
lalameansさんへ

 体調のご回復とお母様の息災を御慶び申し上げます。
 先のお便りで一番大切なことを書き忘れましたことをお詫びします。
 
 カラスとの思い出ですが、私は毎日雛のカラスに話しかけていました。
 ありきたりですが、カーコという名前を付けて。
 
 「カーコ、今日はいい天気だね」
 とか、
 「カーコ、今日は雨で困ったね」
 とか、
 「カーコ、お腹すいたか?」
 とか。
 
 話しかけられたカーコは少し首をかしげて、「アーッ!」
 とその度ごとに答えてくれました。 

 「カーコ」
 と名前を呼ぶと、
「アーッ」と必ず答えてくれました。
 人間との会話が成立しているかのようでした。

 カラスは人間の言葉のニュアンスを理解できると思います。
 犬や猫と同じように。
 いや、もっと頭がいいのかもしれません。

 人間に飼われたカラスはカラスの集団に戻ることができないようで、成長してもカラスの仲間のところへは帰りませんでした。
 
 というより、本来の仲間のはずのカラスを嫌っているかのようでした。
 普通のカラス側からすると、カーコのようなカラスは仲間はずれの対象のようです。

 犬小屋の後ろに高い建物があって、その屋根の天辺にとまれるようになってからは、私が外に出るたびにそこから飛んで降りてきてくれました。

 カーコは学校へついてくることもなく、いつも屋根の天辺に一人で居るか黒犬の周りで遊んでいるかしていました。
 私以外の人間に話しかけられても受け答えしているようでした。

 本当にカーコの仲間は人間と黒犬でした。

 今でも時々カーコのことを思い出します。
 あれからどうなったのだろうと。
 考えると切なくなります。

 お腹が空いたカーコは、餌をねだって私の鼻の近くに嘴を寄せて「アー」と鳴くのですが、その息がとても臭くて難儀しました。 が、今ではそれも懐かしい思い出です。

 私の場合、これまでここに書かせていただいたように、普通の方々と比べると非常に多くの動物と関わってきたように今更ながら思います。(黒猫のミータロー、ウズラのみすず、毒殺された可愛そうな犬の件等)
 (その他、コジュケイ、雉、ヤマカガシ、鳩、ビション、チワワ、パピヨン、ダックスフンドなどなど、思い出話はたくさんあります)
 

 お母さまのお世話、大変でしょうけれども、無理なさらずご自愛ください。

 それでは、これにて失礼します。

 と、書いたら、ドカングラグラが8:00ぴったりに来ました。 (2019年06月17日 08時02分31秒)

 Re[3]:カラスはお友達(06/15)   lalameans さん
穂咲青二才さんへ

 興味深く面白いエピソードのつづき、
 ありがとうございます。

 やはりカラスがすごく頭が良い、
 それも人間に近いタイプの頭の良さだということが
 あらためてわかりました。
 何か鳥類の中でも特殊な感じはしていたのですが、
 それがすごく裏づけられる感じがしています。

 私は今まであまり動物とかかわらずに生きてきているのですが、
 穂咲青二才さんはマドモアゼル愛氏のように、
 亡くなった動物たちも含めて
 動物たちに守られているのではないかと
 そんな気がしてきました。

 母のリハビリは順調で、
 来月には退院できるのではないかと思います。
 あまり先のことは考えすぎずに
 今できるベストのことをしていこうと
 思っています。

 今朝の地震は
 いつもよりもけっこうやばい感じがする地震でしたが、
 いつも通りにすぐおさまってホッとしました。

 今後もよろしくお願いします♪

(2019年06月17日 13時08分21秒)

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