タイとタイ語に魅せられて

2014/12/23(火)08:55

ロッブリーといえば猿だけど… ロッブリー日帰り旅[2]

タイ旅行記(789)

列車からロッブリー駅のホームに降り立ちました。 とりあえずホームを列車進行方向へと歩いてみますか。 すると左手に、 遺跡のミニチュアが。 ロッブリーはクメール遺跡で有名だもんな~なんて思いながら、 視線を上げてみてビックリ。真後ろに本物の遺跡が見えるではないですか! なんと駅の真ん前にあるのか。 あとで寄ってみましょう。 さらにホームを歩くと、やはり左手に バンコク行きロッ・トゥー乗り場があんなところに。 帰りはあれを利用しようかな。 ホーム端近くまで歩きます。 駅名看板の右にも遺跡が見えますね。 あそこへまずは行ってみましょう。 線路伝いに向かうと、 思ったより大きな遺跡でした。 案内板には、ワット・ナコーンコーサー(วัดนครโกษา)とあります。 ロッブリーの歴史はかなり長いんですよ。 タイ族がやって来る前の6~11世紀に存在したモン族のドヴァーラヴァティー王国が ラウォーという名の都市をここに築いていました。 ラウォーはサンスクリットで「水」の意味の「ラワ」に由来との説が有力。 で、ラウォー・ブリー(ラウォーの都)が訛ってロッブリーになったんだとか。 その後11~13世紀は、クメール王国(真臘)が断続的に支配。 アユタヤ時代の17世紀にはナーラーイ王がロッブリーを副都とします。 その後衰退したのち、19世紀に現王朝のラマ4世がナーラーイ王時代の王宮跡を整備、 20世紀半ばのピブーン政権時代に都市計画設定・軍隊配置をして町を復興し、 現在にいたっています。 前置きが長くなりましたが、このワット・ナコーンコーサー遺跡も そんなロッブリーの長い歴史を反映しているのです。 左のこんもりした遺跡がドヴァーラヴァティー時代、 中央の本堂と右の仏塔がアユタヤ時代、 写真には写っていませんが、さらにクメール時代の仏塔もある 歴史のロマンを感じさせる遺跡となっています。 うーん、ただ曇り空なのが残念! さらに線路伝いに北へと歩くと、 ナーラーイ・マハーラート通りのロータリーに出ました。 ロータリーの中央には廟が見えますね。何だろ? プラカーン廟(ศาลพระกาฬ)と書いてあります。 案内板を読むと、11~13世紀にクメール様式で建てられた仏塔の基礎部の上に アユタヤ時代にビシュヌ神を祭る廟を建てたものだそうで。 現在の廟は1933年築のものだとか。 狛犬ならぬ狛猿が鎮座していますね ^^ さすが「猿の町」として有名なロッブリーだけのことはあります。 ところでその猿は一向に姿を見かけないんですが…、 と思いつつ右手から裏に回ってみると、 うはっ、いたいた。猿がいっぱい! しかもあれがクメール様式で建てられた仏塔の基礎部ですね。 帰ってから調べたところ、元々プラカーン廟の周囲には木が多く茂り、 そこに住む猿が廟のお供え物のフルーツなどを食べにくるようになって この一帯に住み着き、数が増え、「猿の町」となったんだそうです。 でも今ではお供え物ではなく、 猿用のエサ場が設けられているのでした。 猿保護のためというより、こうしておかないと参拝客が猿に襲われるからかも ^_^;) さらには、 水飲み場まで。子猿が気持ち良さそうに泳ぎまわっています。 かわいいな~。思わずカメラを向けると… 手前の子猿が飛びかかって来た!! それを合図にさらに1匹、2匹と私目がけて飛んできてぶら下がります。 ぎょえ~!! こら、髪を引っ張るな! イテテテテ…(>_

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