タイとタイ語に魅せられて

2016/08/11(木)09:02

日本軍上陸モニュメント アーウマナーウ~空軍基地内のビーチへ![6]

タイ旅行記(789)

宿泊ホテル「ファーチョムクルーン」の横から海沿いの道で 空軍施設ゾーンとロームムアック山麓へ行ってみることにしましょう。 右手はこのとおりビーチなんですが、 このあたりで海水浴をしている人影は皆無ですね。 禁止なのかな? ふとその近くに看板が建っているのが目に留まりました。 奇跡の双頭ヤシの木 へ? あー、確かに上の方で2本に分かれてるけど、 これって珍しいことなんですか? まあいいか ^_^;) さらに自転車を漕いで行くと前方に 検問が出現。 ほう、空軍管理地域内なのにさらに検問があるのか。 「国民身分証」と検問の若い憲兵さん。 外国人です。 「パスポート」 はい、これです。 受け取って預かりながら、 「何をしに行きますか?」と。 景色を見に行きます。 で通してくれました。 かなり走ったところで大声で呼ばれた気がしたんですが、 戻るのが面倒なので聞こえないふり~(笑) たぶん通行許可証兼引換証を渡し忘れたんでしょう。 滑走路の端をかすめつつ海岸沿いをひたすら漕いで行くと ↑歴史公園 との看板が見えたのでそちらへ進んでみますか。 すると、 写真で見たことがあるぞ。 見事な巨大石版の彫刻ですね! 場所はここ(グーグルマップ) 1941年12月8日未明の日本軍奇襲上陸時の様子が刻まれています。 左端から ・タイ国旗を掲げたタイ軍 ・旭日旗を掲げて上陸する日本軍 ・タイ国旗を振り機関銃で迎撃するタイ軍 ・飛行機へと走るタイ空軍パイロット ・左をタイ軍、右をタイ人住民に挟まれた日本軍 が描写されています。 石板モニュメントの手前には、タイ語・英語・日本語併記の 説明板もありました。日本語は、 石浮き掘り絵。この第5航空団歴史庭園における石彫り浮き絵は、仏歴 84年12月8日の英雄の勇敢な行為を思い出すために、60トンの緑砂岩を用いて 作られたものである。表の絵には、日本軍による上陸との対戦を表す。裏の絵 には。停戦条約の締結を表す。 (原文ママ) 誤字があったりでこなれていない日本語ですが、 意味は通じますね。 しかしこの時しっかり読まなかった私は、裏面に 停戦調印式の模様が描写されていることに気付かなかったんです。 またしても詰めの甘さが出てしまいました -_-;) 近くには、 「1941年12月8日の英雄碑」も。 足元にあるのはサーフボードに見えて首をかしげたんですが、 たぶん飛行機のプロペラを模したんだと思います。 ちなみに左手奥の木造建物は、第5航空隊の歴史を 展示したミュージアムとなっています。 でも開館は週末のみ。今日は見学できません…。 さらにその背後に聳える山が、タイ軍が住民とともに 最後までねばって籠城したカオ・ロームムアック(ロームムアック山)。 英雄碑の男性の向かわんとする先には、 トーテムポール状の「犠牲者氏名碑」が建っていました。 恐らくタイ側で死亡した42名の名が刻んであるんでしょう。 この碑のすぐ先はもう、 海岸です。 カオ・ロームムアックは陸繋島になっていて、 繋がった砂州の部分に滑走路や空軍施設があります。 で、アーウマナーウ(マナオ湾・マナオビーチ)はその砂州の南側の海岸。 目の前の海岸は砂州の反対側、つまりプラジュアップ側の海岸になります。 1941年12月8日に、二手に分かれた日本軍が ここからも上陸したに違いありません。 <旅費交通費> 貸自転車代まだなので:0バーツ ここまでの合計:1,753バーツ ※旅は2016年5月24日(火)に行いました。 つづく ※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ 『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。 そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。 旅の参考になれば幸いです。 ★★★お薦めのタイ語入門書です★★★  ◇旅行・ロングステイ向け◇      『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社   ◇しっかり学ぶ入門書◇      『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社      ◇単語集◇      『キクタン タイ語

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る