囲碁と数学
人の脳は、論理的に働く回路とイメージ的(感覚的)に働く回路があるようだ。囲碁も数学も基本的には論理的なんだろうが、が、、どうもスタートはそうであっても、いずれは感覚的に捨象されるのでは?と、最近思い始めている。論理的思考、言語的思考ということで左脳がクローズアップされたこともあるが、それが進化すると、そのひとの趣向のイメージに進化するのではと思うのである。私の碁は「こう打ったら、こう来て、で、こう打って…」を複合的に考える。従って途方もない時間を費やす。(ま、その費やすことに喜びを感じているのだから始末に悪い。)しかし、プロのヨミはイメージだという。ひとつの派生に黒石に白石がまとわりついて一段落の図が見えるというのだ。とても信じられない。が、が、言葉で考える私達は、経験を積み重ねる打ちに、その言葉をドンドン抽象化する。抽象とは、論理的な積み重ねによるイメージなのではないかと思うと、プロの思考も頷けないことはない。私達は、論理と感覚の間で試行錯誤しているのではないかと思うのである。で、今の教育は?これがむづかしい。(また時間があるときに続く)