UAE経由でシリア・ダマスカスへ上陸!タバコ吸いながら入国審査OK
7月30日イランのテヘランで、イランからトルコへの国際列車の切符が買えないことが分かると、その場でシリア行きの航空券をネットで予約した。その航空券は、エアーアラビアという航空会社でUAEのシャルジャ経由で、乗り継ぎが悪くてシャルジャで1泊する必要があった。それでも安かったので、その航空券を選んだ。気になる航空券の値段は、テヘラン⇒シャルジャ$63シャルジャ⇒ダマスカス$125である。予約してからは、慌てて荷造りを済まし、テヘランの空港へ向かった。シャルジャの空港からはタクシーでユースホステルへ向かった。タクシーの運転手。こないだはイエメン人の運転手だったが、今回はパキスタン人だった。さすが、外国人労働者が大多数を占めているUAEだ。UAEの宿代は高い。そして、バックパッカーが少ないためか安宿も少ない。UAEへはドバイも含め、何回か訪れていたが宿泊するのは今回が初めてであった。ネットで何とかシャルジャにあるユースホステルを見つけ、何とか手に入れていた住所をパキスタン人の運転手に見せて、彼も何とかユースまで連れて行ってくれた。ちなみにタクシー代は45Dh。(約1200円)ユースのドミトリーで40Dh(会員価格。非会員は55Dh)であった。 シャルジャのユースホステルユースにはフィリピン人のスタッフがいた。そして、彼に翌朝のタクシーを手配してもらった。他の宿泊客は、ロシアからイギリスに移住して今回は仕事を探しに来たという、ロシア人には見えない中東系な若いオヤジ、タジキスタンから仕事を探しに来たという、とても他人とは思えない日本人にそっくりな小柄で若い彼、韓国人バックパッカー、そしてアレキサンドリアから来て夜中にどっかへ行ってしまったエジプト人 etc日が暮れてもサウナのような超高温多湿な中、スーパーへ食料を調達に出かけた。おっ!!ラーメンが売ってる!!パンもある!!とにかく食材、日用品が豊富だった。イランとは大違いだ。3週間ぶりにイランから出国して、物資の豊富さに感動してしまったのだ。イランでは、スーパーというものがほとんどなく、商店といったサイズの店で限られた物を買うしかなかった。それはイランという国が貧しいのではなく、文化的に彼らにとって必要ないものが売られていないということである。イランでの食事は、主にチキンサンドに代表されるイスラム式サンドイッチ、ハンバーガー、ピザ、時にはレストランでご飯や魚料理、各種肉料理といったものに限られていた。ここUAEではお金を出せば世界中の料理が食べられる。私は迷わずカップラーメンと、袋詰めのラーメン、そしてパンを買った。ラーメンやパンは、シリアに持ち込んで食べるつもりだった。スーパーには、私と同じような金欠なアジア人、特にフィリピン人やインド人が多かった。7月31日まだ薄暗い早朝、予約時間通りにインド人のタクシー運転手がやってきた。シリアのダマスカス行きのフライトに乗るためだ。ここがインドだったら、ひょっとして彼は時間通りに来なかったかもしれない。でもここはUAE。祖国から出稼ぎにやってきたインド人たちは信用出来そうな感じがした。中国人の次に、世界中でどこにでもいそうなインド人。印僑という言葉もあるように、世界で働くインド人たちは商売熱心なのだ。世界中から注目されているUAE。その経済を影から支えているのはインド人でもある。タクシーに乗って、私がインドを旅した時の話をしながらシャルジャの空港へと向かった。彼の顔を見て分かったが、ここUAEには南インド出身のインド人が多いようだ。インドを旅した人なら分かると思うが、南のインド人は顔つきが北よりやわらかく、トゲがなくて気さくで優しい人が多い。北のインド人(デリー、アグラ、バナラシ、コルカタ等)は、キツイ顔つきでボッタクリや詐欺師が多いので十二分な注意が必要だ。 シャルジャ空港すっかり慣れたシャルジャ空港で、シリアのダマスカスへ行くためにチェックインを行った。ここで、間一髪で取ってきたシリアビザの出番だ。実は、過去のブログでも書いたのだが、日程の都合で東京のシリア大使館に行ったのが日本出発の前日で、何とかお願いして即日でシリアビザを出してもらったのだ。朝の10時代に、民家にそっくりなシリア大使館に着くと、インターフォンを押して中に入った。廊下には、あのアサド大統領のポスターが何枚も貼られていた。おお、これがシリアか!!それらしい、厳かな雰囲気で一杯であった。普通シリアビザは、申請した翌日に取得することになっている。日本語が堪能な若くてイケメンな担当官は、私がどうしても今日中にビザが欲しいと言うと、「ダメですね。出来ませんよ。」と最初は言っていた。「そうですか。そうすると、トルコかエジプトで取らなくては行けないんですよね?」すると、「いや、そこで取れるとは分かりません。東京でしか取れませんよ。」実際には、イスタンブールかアンカラ、カイロで取れることは彼も知っているはずだが、保障出来ないので、彼の立場上、取れるとは言えないのだ。困った感じをして、しばらく粘ってみると、明日のフライトなので今日しか時間がないことを分かってもらい、「ちょっと相談してきます。」と彼が言って席を外した。この時点で、ビザが即日取れる気がした。そして、「今回は特別ですよ!」といって、その日の午後にビザを出してくれた。シリアビザ翌日に取得出来るということは、おそらく、その日のうちに手配しているであろうから、何とかなりそうな気はしていた。レバノンやヨルダンからの国境でも取れているようなので、それほど難しいビザではないのだ。最悪、取れなかったかもしれないが、ある程度の自信があったのも事実だ。この旅でお馴染みとなったエアーアラビアに乗って、シリアの首都ダマスカスへ向かった。隣に座ったシリア人のおじさんは、オマーンかクウェートか忘れたが、そこで立派な仕事をしていて故郷シリアのダラーというヨルダンとの国境の町に住んでいた。今回は実家に帰るらしい。UAEで息子さんと会ったらしく、立派な携帯電話の中には彼の写真が入っていた。色々と気さくに話をしてくれ、良かったらダラーの実家に来ないかと言って、電話番号や住所を書いてくれた。その隣に座っていたのは、イラク人で私と同世代位の男性だった。ダマスカスに着いて、入国審査の列に並んだ。ここで驚いたことが2つあった。おい!シリア人らしき男性が、タバコを吹かしながらパスポートを差し出し、入国審査官も何食わぬ表情で応対していた。シリアはタバコを吸いながら入国審査が出来るのか!!しかも国際空港で。隣にいた韓国人の若い女性の団体は、嫌でも目立つデカいカメラで写真をバシバシ撮っていた。それも全く問題なし。入国審査台を通過するときも、1人1人のパスポートと顔を確認していなかった。写真撮影はご法度なはずの空港。しかもイスラム教の国で、シリアは特にスパイ監視の為に秘密警察が厳しく取り締まっているはずなのだが。。そのくせ、係官は一昔前の中国みたいな緑色のいかにも社会主義っぽい制服を着ていて、一見厳しそうには見えた。確かに首都の国際空港にしては、かなり頼りなかった。トイレは小さく、そこらへんの公衆トイレ並だった。シリア商業銀行のカウンターで両替をしようとしたら、誰もいなくて、しばらく待たされた。まあ、シリア人は優しいらしいし、それ位は別に大したことではない。市内へのバスに乗ると、先ほど機内で知り合ったイラク人と再会した。英語は話せなくて、大人しい彼だったが隣に座らせてもらった。バスは、いよいよダマスカス市内へと入っていった。イランより立派ではないが、古びた車やタクシー、乗り合いミニバスのセルビスで道路上は混雑していた。バスを降り、頼りない地図を片手に20kgのバックパックを背負いながら安宿を目指した。狭い道路に車やセルビス、通行人でゴチャゴチャしていて、交差点では警察官が交通整理をしていた。シリアの首都だが、ダマスカスの街は全く近代化されておらず、昔ながらの古臭い、人間臭い街の香りがした。このレトロな街並み、雰囲気がすっかり気に入った。渋い!シブい!そんな渋カッコイイ街・ダマスカスの街を、安宿へと向かって歩き続けた。シリア。世界最古の都市、ダマスカス。これは大いに期待できそうだ!! ダマスカス市内の様子。シブくてカッコイイ街だ!