「マルタの物語」(1)
「マルタの物語」1980年8月、39歳の私に赤ん坊が生まれた時、そのことをいち早く聞きつけてプレゼントを持ってきてくれたマルタという婦人は、私がエルサルバドルで出会った最良の友達だった。彼女は6人兄弟のなかの一人娘で、聡明で柔和な婦人だった。年齢は多分私より10歳は若かったろう。御主人は,大学で私の主人と仕事仲間だったし、うちの娘の誕生と前後して,この家族のほうにも女の子が生れたから,家族どうしの行き来も増えた。マルタの5人の兄弟は,歌が上手で,ギターをかかえてバンドを結成していたので,パーテイーなどには,その5人の兄弟を全部まとめて招いたりしていた。彼らはいつも仲間内の家庭パーテイーの楽しい主役だった。社会情勢が不穏になり,反政府勢力の温床と見られた大学が閉鎖され,次々と大学関係者が行方不明になり始めたある時,主人がそのマルタの御主人に頼まれて,我が家を宿として提供した事があった。ところがその友人一人を私に托して、その日主人はそのまま出張に出てしまった。うちに泊まった主人の友達は,次ぎの日,数人の仲間を招じ入れた。はじめ気がつかなかったが,其のうち私は妙なことに気がついた。そのメンバーが家を出入りする時,必ずカーテン越しに仲間のうちのだれかが外を見て,何かを確かめている。しかも「見張り役」は窓の外から見えないように、端に束ねたカーテンと壁の間に身を隠し、そっと外をうかがっている。私は不審に思い,それとなく観察していたが、そのうち,其れが何を意味するのか本能的に察知した。この人達,警察を警戒している。私は身体をこわばらせた。家には私と赤ん坊しかいない。何かが起きたとき、私はどうやって自分と赤ん坊の身を守るというのだ。無防備の私が其のとき取った唯一の方法は、まったく知らぬ顔をすることだった。無知で無教育で原語のわからぬ外国人として、徹底的に私はばかを装おおう。赤ん坊をあやし、ご飯を作り、掃除洗濯をすること以外に脳のない女になろう。「知る」ということの恐ろしさを、同時に「表明する」ということの恐ろしさを、私はすでに十分理解していたから。 私はもしものときのため、日本国籍を証明するパスポートを家の中でも携行し、マルタのご主人の仲間に何を言われてもニコニコ笑って、スペイン語が理解できないという表情を見せた。敵を欺くには味方を欺くしかない。私はその上で、赤ん坊を相手に、ベロベロバーとか、カイグリカイグリトットノメとかいう、日本の赤ん坊をあやす言葉を勤めて大声で言いまくった。其れからまた時が流れた。或る時主人はマルタの一家を家族ごと連れてきた。今晩からうちに泊めるよと彼は言った。主人は私が見たあの事を知らない。私は何も報告していなかった。私が知っていると言う事を主人に知らせるのも怖かった。そのことが時には,生死を分かつような事態を引き起こす事を私は案じたからである。二人とも何かを知っていたとしても、二人とも無言でいたほうがいい。「この人は何にも知らないのだ、」と何かが起きたとき、お互いにいうことができ、そして二人のうちどちらかが助かり、そして、生き残った方が赤ん坊を保護することができるだろう。マルタ夫婦と3人の子供がわたしたち3人の中に加わった。私はこの家族が警察の目から逃げ回っているのだともうほとんど疑わなかった。同じエルサルバドルの国内で、自分の家があるのにそこにいられないということは、それなりの事情があるのだ。それがどういうことなのかを私は知っていた。そして3人でく、8人が一緒にいることが2つの家族を全滅に追いやるかもしれないことを知っていた。全滅になっても人を助けることの高潔さを私は知らないわけではなかったが、赤ん坊を抱えた動物の本能はその高潔さを持たなかった。私は一人で苦悩した。赤ん坊はなんとしても守りたかった。他人の子供でなく、自分だけの子供を。危ない。いつかの主人の留守中の、マヌエル(マルタのご主人)とその仲間の怪しげな行動が目の前にちらついて仕方なかった。家は軍隊の駐屯地のすぐそばなのだ。ここで彼らが逮捕されるような事態が起きたら家族は二つと全滅だろう。全滅の家族を私はたびたびみてきた。それは「逮捕」などという形式を踏まなかった。いきなり踏み込んで銃激戦が始まり、一瞬のうちに家の中は血の海となる。恐ろしかった。私は最悪の事態を想像し、自分の家族だけは守ろうと、そのとき思った。何とかしてこの危険な家族に出ていってらおう。 子供達は小さかったから,いろいろないたずらをした。見過ごせる普通のいたずらである。其れを私は利用しようとひそかに思った。暗い本能が私の中に芽生えていた。私はこの夫婦が子供を私に預けて出て行ったとき,主人にいった。「自分は子供の扱いを知らない。経験が浅いから、自分の子供の世話で精一杯だ。あの子達勝手に冷蔵庫あけて、こんな非常事態に備えて計画して保存しておいたものを許可も得ないで勝手に食べるし、どこにでも入っていって、何でも引っ張り出して片付けないし、他人の子供だからいくらめちゃくちゃだからって、しつけようと思ったって遠慮もあれば、言葉も通じないし、いきなり言葉も習慣も違う子供を3人も押し付けられたらどうしてよいかわからない。事故でもおきたら責任取れないから困る。」もっともらしく言ってみた。主人は案外簡単に、反論もせず「そうか」と言い,なんとか話しをつけて,友人の家族は出ていった。主人がちらりと一瞥した表情の中に、私は彼が私の本心を悟ったのを見て取ったが、二人とも何も言わなかった。彼は私の本心を「了解」したのだ、と私は勝手に考えた。 その後彼らは,メキシコに逃れた。私はひそかにホッとし,自分の行為を自分に赦した。ところが,其れから3ヶ月後,彼らは,子供の就学の問題で帰ってきたのである。帰って1週間後,マヌエルは自分の子供を学校に迎えに行って、学校の構内で子供たちを待っていたとき、狙撃され、死んだ。狙撃したものも、されたものも、同じ学校の父兄だった。マルタはその父兄を知っていた。彼女は深い深い目つきをして私を眺め、自分はあの父兄を追求する気はないといった。その父兄にも彼女の子供と同じ年齢の子供がいた。あまりにも多くの子供たちが親を失い、そして、問題が何も解決しないことを彼女は知っていた。マルタは柔和な、気高い女性だった。彼女はたぶん人間的な情愛を超越した一段高い愛に生きる女性だった。そのマルタの崇高な態度を見て、自分は自分の行為を恥じた。自分が彼らを追い出した事と,彼の死とは確かに直接関係が無かった。しかし,私の心は痛んだ。私は自分と自分にかかわりのある家族のことしか考えず、自分の夫を騙し,彼らを騙し,助ける事を拒んだ。その事は,自分の心の問題として,一生私を苦しめるだろう。 ああ、マルタという人は、なんという高潔な人だったのだ。何が起きても心乱さず,何時もやさしく気品が有った。もっと人間らしく、または動物の本能の命ずるがままに無様をさらけ出す人間だったなら、私はどんなに安心しただろう。しかし彼女は終始態度を崩さず、御主人の死に対しても気丈に冷静に振舞った。取り乱した子供達には,「お父様は正直で正義感の有る方だったから,天国にいらしたのよ」と言って聞かせていた。まるで雛をかばう親鳥のように、残された3人の子供達を抱き寄せ、お腹の中にいた赤ん坊を気遣いながら、暗殺された御主人を誇りに生きていこうと決意していた。民衆の側に立って戦い、そして命をささげていったマヌエルへの誇り彼女を支えていた。 それから。それから事はそれだけで終わらなかった。彼や彼女と行動を共にした人,其れが単にマヌエルの葬儀に出席しただけの友人でさえ,次ぎから次ぎへと消えて行った。彼女の家族も消えて行った。あのバンドを結成していた,楽しい5人の兄弟も,拉致され監禁され,死体は路傍に遺棄され,老いた母と彼女だけが残った。最後におじが殺された時、彼女は彼の埋葬の場にまでやってきた,銃を持った軍隊に向かって,始めて叫んだ。 Hijo de puta!! Gran mierda!! (イホ デ プータ!!グラン ミエルダ!!)ひざを折り地をたたき,はらわたを振り絞ってほえた。この言葉はあの高潔な女性の気品の有る態度から想像もできない言葉だった。一体この言葉をどうやって日本語に訳したら良いのだ。胸かきむしり,目をいからせて,はらわた振り絞って発した彼女の絶叫を,私はどんな外国語にも訳せない。字面をそのまま移し代える事ならいつでも出きる。だけど,そのような,翻訳が何になろう。強いて訳すとするならば,この声を声として伝える以外に無い。聞けや,諸人,この声を。地を振るわせ,雲をつんざくこの声を。 グオオオオオオオオオオオオオツ !!グアラグアラグオオオオオオオオ!!