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いま、日々、泥や砂や埃にまみれて、芸術祭の作品撤収作業中である。
10月31日に、105日間にわたる芸術祭が閉幕した。 祭りは非日常であるはずだが、3ヶ月半も続けばほぼ日常と化する。 仮初の日常は、あっけなく、たった1日でびりりと破られた。 芸術祭を象徴する青としろのバナーは街中と7つの島にはためき、景色に溶け込み始めていた。 それが無くなる。 ふと眼をこすりたくなる、間違い探しのように。 何かがない、けれど、それもあと1日あれば慣れ、本当の高松、本当の女木島、男木島、豊島、小豆島、直島、犬島に戻るのだ。 私は息をつき、半ば満たされ、半ば空洞になった胸をぎゅっと押す。 さて。 芸術祭は何を残したか。 誰に何を? ノコシタカ。 私の愛するこえびたち。 ボランティアとして関わって、まっすぐに声をかけてくれた人たち。 彼らとの出会いは宝である。 彼らも、小さなキラキラしたものを、胸に抱いて帰るのだろう。 そんな人たちを見るとき、芸術祭は何かを残したと強く思う。 強弱はそれぞれあれど、多分、彼ら彼女らの一生の一部に、何かの変化をもたらした。 それは疑いようがない、あの顔たちをみれば。 ああ、私のいとしい宝たち。 瀬戸内の美しい海と顔と顔と。 「二十四の瞳」の世界。浜辺の歌、しめつけられるほどに、懐かしい失われた世界。 オリーブの葉々、風にゆられ、細長い、やさしい楕円形が裏の鶯色、表の深緑をちらちらと交互に見せてくれる。 私は葉に触れる。 実を撫でる。 なぜ、小豆島の海だけが地中海と似ているのだろう? 島々は、なぜ違う海を見せるのだろう? ああ、海を見ればみるほどに思い出すのはいとしい越後妻有の景色と、大切な人たちの顔。 このあいだ、小豆島で再会できたのは、本当に人生のプレゼント、としか思えない。 私は私の道を行くしかないようです。 それでも、気持ちがあればきっと逢える。 人生は短くも、長い。 そう思えば、きっと逢える。 身勝手でしょう。そうなのでしょう。 でも私なりに、とてもあなたたちが大切なのですけれども。 サーカスごと、私を愛してください、と、つぶやくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年11月03日 20時20分51秒
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