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どうしても抜けられないもの。
「自我」「自己」中心、的感覚。 極端な表現は、エゴ・サントリック、という。 まさに「自分が中心」ということ。 「モノゴトがうまく回ってるな、と思う人って、自分のことやなく、人のことを思って行動してる人やで。」 そういえば、ボスのF氏も同じようなことを言っていた。 「僕は自分でやりたいと思うことって案外ないんですよ。全部、誰かから相談されて、それじゃやりましょうかっていうことでやってる」 アートディレクターとして全国、いや世界でも知る人の多い人の言葉としてはどうにもピンとこなくて、ハァそうなんですか?、とか気の抜けた返事をしたのを覚えてる。 たぶん、それは本当。 そのボスに何度となく「あなたは野心があるから」と言われた。 野心? 夢と野心はどういう違いがあるのだろう?あるいは同じなのか? 冒頭に「モノゴトがうまく回ってるな、と思う人って・・・」の発言をしたマナブさんは、野心に関するボスの発言に、ははん、という笑いを見せながら言った。 「そりゃ、あんたが他人の土俵で自分のやりたいことをやろうとしてるから、そういう意味で「野心」って言ったんやろ」 その言葉にムッと口を結んでみたものの、反論の言葉は出なかった。 自分がやりたいことを実現しよう、から始まっては、絶対にうまくいかない。 何をやろうとしても、まったくの白紙状態からということはあり得ないから。 そこに住む人たちがいて、そこで働いている人たちがいて、環境があって・・・ 私は越後妻有で何を見てきたのか?何を学んだのか? あるいは瀬戸内で。 そこから本当に自分の「行き方」を問いただせなければ、きっと何も変わらないだろう。 私の周りには本当に「自分自分」じゃなく、生きてる人がたくさんいて。 自分のビジネスを猛烈にやっているようでいて、誰々さんがいま何をして何を必要としているか、を常に考えていたり、さらにいえば、自分は「居る」ではなく、ただ「有る」、と思えている人もいる。 そういう人はみな、「自己」を振りかざすことの危険をよく知っていて。 ワタシハ、ソンナヒトニ、ナリタイ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年11月14日 19時55分00秒
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