夕陽が美しすぎるから
海がある。そこに、海がある。釧路は不思議なところだ。いや、実は何も不思議ではなく、わかっていなければならないのに、海はすぐに私の意識の外に消えているのだろう。朝、カーテンを開けると海が見える。ほんの数百メートル先だ。夕陽はこの窓に落ちていく。けれども、それは遠くに見える、穏やかな「面」に過ぎない。ある時、ちょっと足をのばして釧路の街中から抜け出してみる。昆布森という、昆布の香りのたちこめる美味しそうな港を通り抜け、太平洋シーサイドラインをいく。地図で確認してるから、この道は海と陸の際を通るはずだ、ということはわかってる。けど、突然、山の地の塊の間から「分厚い」海がぬっ!と顔を出すと度肝を抜かれるのだ。思うんだけど、切り立ったところから見る海は「分厚く」見える。なんでかな?とにかく分厚いんだ、これが。だから、その水の量ったら気が遠くなるほどだ。風呂桶何万杯分…?いや、それ以上。そして、波。海坊主、ナントカ入道はこんなとこから現れる。海は生きている、獰猛に。こんな光景が普段の生活のすぐそばに潜んでいるなんて、普通ありえないでしょう?!そして夕陽も。釧路の夕暮れはあまりにも危険だ。太陽が目を貫くほど輝いて、目を開けていられないほど、海面にはねかえる。痛い。こんな日は、いてもたってもいられない。夕陽はバキュームカーみたいに私をひっぱっていく。ぐんぐん、ぐんぐん。どんどん高いほうへと、どんどん海のほうへと、私は引きつけられていく。ひゅーーーん、と坂を上がった、見知らぬ場所。その風景に立ちすくむ。風と、一面の海原。これは現実の風景なのですか?瞳を刺す海面の光に、白い波。そして全てをオレンジと赤に染め上げる輝く玉、太陽。何百枚と見ただろう、世界で最も美しい海の絵たち。その絵の中に、私はいる。確かにいる。そしてわたしがいる絵には、顔をたたく現実の風が吹いてる。隣の人たちは、ブリューゲルの素朴な農民のように、異邦人を見る目で私を凝視する。彼らは、自分たちの宝物を、自分のものにしておきたいのだ。なぜこの地に住むのか?なぜ、激しい風雪にさらされて?だって、この夕陽があるから。いいじゃないか、それが、住み続ける唯一の理由でも…。"Parce que le coucher de soleil est trop beau ici..."Mais pourquoi pas, si c'etait la seule raison de vivre dans cette ville abandonnee.