みんなのこども
「みんなのこども」ひさびさのブログです。らぴすとで書くのは、瀬戸内サーカスファクトリー代表という立場よりも、「こども」に対する自分個人の思いを、今日、綴りたくなったからです。今日は、こどもサーカス教室「リバティキッズ☆ジム」。いつも通り、いつもより更に、子どもたちが可愛いなと感じました。今年度、残すところあと2回です。今年度、と言いましたが、実はこどもサーカス教室は2016年から準備を始めて、昨年2019年春から、ようやく定期開催ができるようになった、念願の事業です。丸亀市の誠心こども園が、この事業の意味を見出してくださり、週一回の希望者クラスと、月一回の園全員クラスとして受け入れてくださっています。しかし、せっかく軌道に乗りかけたこのクラスを、半年間お休みさせていただくことを、昨年末に決意しました。自分は頑固だな、と思うのですが、どうしても、「リバティキッズ」の講師は、自分が本当に納得し信頼できる講師でなければならないと思っていて、もちろん人材がいないわけではないのですが、思い描く「講師養成システム」が昨年度のうちに実現できなかったのです。サーカスが、大人にはもちろん、子どもたちの成長にとって非常に有効であることは、フランスをはじめ、北欧、カナダ、オーストラリアほか世界で証明されているし、自分の目で見てきたことです。これを本格的に日本で発展させるためには、やはり講師の質とカリキュラムの確かさ(もちろん安心の設備も)が何より重要だと思っていて、そこを納得できる形で達成せずして、ずるずると継続することはどうしても出来なかったのです。それは、来年度(2020年度)の私たちの活動のなかで、どのように発展するか、報告していくことにしましょう。今日、ここに書きたかったのは、自分がリバティキッズにかける個人的な「思い」の部分です。自分には子どもがいません。欲しくなかったわけではなく、人生のターニングポイントのたびに、子どもか自分のプロジェクトのどちらを優先させるかを、若い時はあまり深く考えず、子どもを持てるギリギリの年齢のときには「あ、無理だな…」と諦めるしかなかった状況でした。子どものいない女性が子どもが嫌いなわけじゃないし、大切と思っていないわけじゃない。むしろ自分は、35歳でサーカスと出会い、すでに新分野にチャレンジするには遅いくらいの年齢だったので、人生の持てるエネルギーと時間をすべてを賭けなければ、絶対に成しえない目標を持ってしまったので、「自分の子どもはサーカス」と思うようになりました。それは自嘲でも諦めでもなく、ほんとうにそうなのです。何も無かったところから、手塩にかけて育てたものです。2011年に、サーカスにすべてを捧げる人生を、瀬戸内で始めました。けど、瀬戸内を選んだ時点で、「芸術としてのサーカス」という、ピュアに芸術を結実させることが目標ではないことはわかっていました。その時に見えていた、「芸能とは、日常生活の中にある」という感覚。人間の本質と文化芸能は深く結びついていて、つまり、古代より、あらゆる人の生活のなかに芸能はあり続けてきたわけで、それが、現代になって、唐突に人々の生活から切り離され、「プロ」「アマチュア」という二分化が起こり、一般の人々はなまじっかアートにかかわると「にわかアーティスト」みたいに嘲笑される風潮になってしまいました。自分は、人々の中にある芸術を取り戻したくて、瀬戸内に来ました。瀬戸内に降り立ち、最初に行ったのは、地元芸能・祭事の調査でした。いまでも鮮明に覚えていますが、高松市の勅使という地区の獅子舞に惚れ込み、3年連続で通っていた時、稽古の様子を見に地区の集会場に入って圧倒されました。3歳と5歳の男の子2人が真ん中でお面をつけて一生懸命稽古しています。大人(男性ばかり)がその周りを円形にぐるり、30人くらいいたでしょうか、小さな子どもを囲んでいます。稽古の間、それこそ四方八方から「もっと低くしゃがむんじゃ!」「手が遅い!」とか、容赦ない大声が中央に飛んでいきます。誰が子どもの親なのか、見ていたら全くわかりません。それくらい、皆真剣に、同じように子どもに稽古をつけているのです。厳しい稽古の時間が終わるや、子どもはぴゅーっと親のもとへ。あ、あの人が親だったのか!と、あきれるやら感心するやら、その頃には、男たちもくしゃっとした笑顔に戻り、子どもを撫でたりしています。これが、集落皆で子どもを育てるということなんだ!自分の人生で見てきた子育ての概念が、がらがらと崩れた瞬間でした。そこに、大きな希望を見出した瞬間でもありました。それから何年たっても、そのイメージは去ることはなく、「みんなの子ども」という考え方が自分の中に育っていきました。もちろん、親は親です。でも、親はひとりぼっちじゃない。「リバティキッズ☆ジム」を始めたとき、このイメージがありました。私も講師も、自分が親のつもりで、子どもたちを育てる。きっと、世の中の先生方の多くはそう感じていらっしゃると思います。けど、自分にとっては、生まれて初めての「わたしの子どもたち」だったのです。末っ子で、若い時は、小さな子どもに慣れていなくて、子どもがいても一緒に遊ぶこともできない自分でした。それが大きなコンプレックスでもありました。生まれて初めて、4歳と5歳の子どもたちに囲まれると、子どもたちは「ねぇ、なんで今日はおしゃれしとるん?今日、なにがあるん?」「〇〇ちゃんが髪ひっぱった!」「ひざのとこ、打った。痛い」なんのためらいもなく、どんどん寄ってきて話しかけてきます。1年かけて、ほぼ毎週会ってきた子どもたちは、自分の体の一部みたいに感じるようになってきます。それは、本当にうれしい。それに、これが、本来地域が果たす役割なのだろうと思うようになりました。***最期に、もう一度、自分の話を少しだけ。40歳を過ぎ、いつものように生理が訪れたとき、ふいに自分の子宮の存在を感じました。12歳の初潮から、毎月毎月、忘れずに、子どもがいつできてもいいように、準備をしてくれていた子宮。私が忘れていても、いつも忘れずに「いつでもいいよ」と言ってくれていた子宮。そのことに気づき、はっとして、涙がぼろぼろ出ました。何10年も、毎月毎月、こうして準備してくれていたんだね。それなのに、一度も本来の役割を果たさせてあげられなくて、ごめん―。自分はなにか、生物として欠けた存在のように感じる。けど、本当はそうじゃない。私の場合、本当にサーカスを生み出せたことで役割を果たしているのだと思うし、また、サーカスを通じて「みんなの子ども」という感覚を持てたと思う。ひとは、全てを持てるわけでも、全てを成し遂げられるわけでもない。役割があるんだと思う。自分の役割がわかったなら、それは幸せなことなのだろう。*写真 誠心こども園での「リバティキッズ☆ジム」 講師は吉田亜希さん、素晴らしい先生。