000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

インド洋に浮かぶフランス、レユニオン島

インド洋に浮かぶフランス、レユニオン島

●レユニオン島の周辺・マダガスカル

現在整理中ですが・・・

マダガスカル島の旅日記

●マダガスカルの「旅人の木」
●マダガスカル、国道二号線沿いで見つかるお店
●南の島の動物達、マダガスカル・レユニオン編=カメレオン、その他
●マダガスカルの人たち
●マダガスカル旅行記?
●マダガスカル・豊かな大自然と「貧しい」人々


マダガルカルへの旅行の最中、その後、どうして世界には貧富の差があったり、どうして私達は日本に生まれ、彼らはマダガルカルに生まれたのか、なんて、答えのない疑問が、胸の中で湧いては消えます。

こういう現実を見ても、わたしは今、協力隊員になってそういう世界に飛び出すことが、わたしの「すべきこと」とも思えないし、いったいこの気持ちをどう消化すればいいのか、そんなことを考えていました。

旅行の最中、数週間前に読んだ「もしも世界が100人の村ならば」(なかのひろみ訳)のメッセージがずっと、胸の中にしまわれていました。そのメッセージとは、以下のとおり。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「もしも世界が100人の村ならば」

-もしも今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら現実が違って見えるかも
 
 
もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。

その村には・・・・
  57人のアジア人
  21人のヨーロッパ人
  14人の南北アメリカ人
  8人のアフリカ人がいます。

  52人が女性で
  48人が男性です。

  70人が有色人種で
  30人が白人

  70人がキリスト教徒以外の人たちで
  30人がキリスト教徒

  89人が異性愛者で
  11人が同性愛者

  6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍

  80人は標準以下の居住環境に住み
  70人は文字が読めません
  50人は栄養失調で苦しみ
  ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています
  ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け
  そして、ひとりだけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、相手をあるがままに受け容れること、 自分と違う人を理解すること そして、そういう事実を知るための教育がいかに 必要かは火を見るより明らかです。


 また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。


もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じることが出来たなら・・・ あなたは
今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています


もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・・・ 世界の5億人の人たちより恵まれています


もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら・・・・ 世界の30億の人たちより恵まれています


もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら・・・・あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福で


もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら・・・・・ あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です


もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・・・それはとても稀なこと


もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間 2倍の祝福を受けるでしょう。 なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです


昔の人がこういいました。わが身から出づるものはいずれわが身に戻り来る、と。


   お金に執着することなく 喜んで働きましょう
   かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
   誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
   誰も聞いていないかのごとく のびやかに歌いましょう
   あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう


このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください。

マダガスカルの海
 
 
アメリカの友人からのメッセージ 3.2001
作者不詳 訳 なかのひろみ

(前半はDonella Meadowsさんの The Global Citizen 5/31/1990 掲載原稿が原本といわれています。 この訳文が元で、後に「世界がもしも100人の村だったら」マガジンハウス・池田香代子再話のベストセラーに)

● 訳者なかのひろみ(中野裕弓〉さんの許可を得て、ホームページから転載させていただきました。
もしも世界が100人の村ならば

中野裕弓さんのホームページは、元気の出てくるページです。
中野裕弓HP


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしは、このメッセージを読んで、「世界には、もっと貧しい人がいる、だから、私はラッキー」と思いませんでした。

本当に心に残ったのは、詩の最後の5行でした。

こうした世界の状況を知った上で、「無邪気」(無邪気にというのは、損得、利害など、頭の中で計算をせずに、ということ)に、世界をたくさんの人と共有したい、そう強く思います。

幼稚園の子供同士が友達になるのに、親がお金持ちだろうが、そうではなかろうが、あまり関係がありません。あったおもちゃを、みんなで使いまわして楽しむことができるはず。

その上で、わたしの「今日」、「今」をもっと大切にしたい、そう思いました。そして、わたしの「今日」、「今」が幸せと喜びの感動で一杯になったとき、その感動の輪がどんどん広がってくるのでは・・・、そう信じています。

例えば、マダガスカルの人に悪いから、そう思って、今日食べれるおいしいものを我慢しても、一体、誰のためになるのでしょうか? タクシーのドライバーにも、「ちゃんと寝れるベッドがあって、テレビがあるなんて、多くのマダガスカル人にとっては、すごい贅沢なことだ」、そう言われました。でも、わたしは、今日から床の上に寝たり、パソコンのない生活に我慢したりしたくはないし、きっとできもしないのです。

でも、今あるものに満足し、心から喜ぶことができたら、「もっと、もっとほしい」という気持ちが、不思議に、どんどん小さくなってくるのです。そして、自分の持っているものを、人と共有したい、そんな気持ちも生まれてきます。

わたしの生活は、嬉しいことに、きれいなものに感動する心で一杯です。このHPを訪ねて下さる方にも、そんな感動を共有したい気持ちで一杯です。みなさんの感動も、ぜひぜひ教えてください。

そう思ったとき、わたしの今回のマダガスカルの旅行も、深い深い意味があったのだな、と強く思うのです。

どうか、これを読んで、共感してくださる方がいたら、「100人の村」のメッセージをだれかに伝えてください。



© Rakuten Group, Inc.
X