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インド洋に浮かぶフランス、レユニオン島

インド洋に浮かぶフランス、レユニオン島

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2005.12.19
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この小さな、かわいい島、見てください!




 





まるで、天国に一番近い島、といってもいいくらい、平和で、ちいさくて、なにもなくて、


存在しているものは、鳥と、インド洋を渡る激しい風に耐えうるだけの草や、カニくらい。



島全体を、美しい砂浜が囲んでいるから、別名「砂の島」とも呼ばれます。


そして、その美しい島を取り巻く、汚れてない珊瑚。



この島の標高はたった7メートル。

あまりに激しい風が吹き渡るので、しまの盛り上がりは、風で吹き飛ばされてしまったのです。






一キロ平方、総面積3,7kmという、とっても小さな島。



このちっちゃなちっちゃな、雫が海に落ちるような形の美しい島。




そして、風があまりに激しいことと、


インド洋の中でも、ぽつんと忘れ去られたように、遠く離れた場所にあることと、

(マダガスカルから600km、レユニオン島から535km)


砂浜の広がりのため、船でこの島に上陸することは、不可能です。




だから、誰も住んでいません。

(1953年に、フランスはここに気象観測所を作りました。それ以来、観測員が常時いるようです)







けれど、歴史を紐解けば、この小さなちいさな島にも、かつて、何十人もの奴隷が、生死をさまようぎりぎりの中で、生きていた事実が浮かび上がります。


この島が発見されたのは、1722年ですが、あまりにも小さな島であったため、入植は不可能でした。


ドラマの始まりは、1760年11月17日のことでした。


東インド会社が海軍から買い付けたウティル号(L'Utile)は、インド洋の貿易のため、フランスはバイヨンヌの港を出港しました。



マダガスカルで、60人あまりの奴隷を購入し、ふたたび、ウティル号は、モーリシャス島に向けて出向します。




 

<漂流の様子>





しかし、ここで、思いがけない出来事が、ウティル号を襲いました。激しい嵐によって、航海のルートが全くそれてしまったのです。


激しい風の中、ウティル号は、1761年7月31日、「砂の島(トロムラン島)」にたどり着きます。


しかし、トロムラン島の暗礁に乗り上げた、船底はすっかり打ち砕かれ、17人の水夫、奴隷の一人が溺死しました。


最初のうち、漂流者たちは、漂木や船の残骸の中から、生活の必需品をかき集めました。


幸いなことに、島にいた、亀やカニ、魚のおかげで、食べ物はなんとか、集めることができました。


真水のないこの島に、彼らは井戸を掘り、さらに鍛冶場も作ったのです。



厳しい自然の中、フランス人と、60人あまりの奴隷たちは、なんとか生き延びました。








漂流して2ヵ月後、漂流者たちは、なんとか一隻の船、プロヴィデンス号を建設することに成功しました。


1776年9月26日の夜、プロヴィデンス号は、浸水に成功、島を離れる希望の瞬間でした。



しかし、悲劇はここにはじまります。


プロヴィデンス号には、122人のフランス人が乗船したものの、奴隷たちを乗船させる余裕がなかったのです!


60人あまりの男女の奴隷たちは、「必ず迎えに来るから」という言葉とともに、この小さな「砂の島」に残されることになったのです。





 

<鳥たちには、天国の島>





数日後、フランス人たちは、無事にマダガスカル島にたどり着きました。


そして、その後、当初の予定であったフランス島(現在のモーリシャス島)に、到着します。


彼らはすぐに、島に残された奴隷たちの報告をしたのですが、フランス島の総督は、奴隷たちを助け出すための船を出すことを拒否したのです!



なぜなら、バイヨンヌを出航したウティル号は、実は、マダガスカルで奴隷たちを乗船させる許可を持っていなかったのでした。


つまり、ウティル号に乗っていた奴隷たちは、密売された奴隷たちだったのです。






新しい総督が任命され、幾度か、奴隷たちをすくうため、船を出す計画があったものの、すべては、失敗におわりました。



月日と共に、トロムラン島に残されたウティル号の奴隷たちを覚えているものも、少なくなりました。



しかし、15年後、1776年11月29日、やっとラドーフィヌ号が、このトロムラン島に、奴隷たちを迎えにやってきたのでした!





島に残された60人の奴隷のうち、残っていたのは、たった7人の女と、一人の少年だけ。



絶望した奴隷たちの中には、いかだを作って島を脱出しようとしたものもいたようです。

しかし、彼らの行方を知るものは、誰もいません。






トロムラン島で生き残っていた女奴隷たちは、救出された後、自由人の身分を与えられた、との資料も残っています。






何百年も前、この美しい、小さな島で起こった奴隷たちのドラマ。



今は、トロムラン島は、自然保護地域に指定され、観光はもちろん、その上空の飛行も禁止されています。



いまでも、インド洋を渡る風だけが、この島の歴史を忘れずにいるのかもしれませんね。





きっと、今このときも、真っ青な海のなかで、トロムラン島は、白く砂浜を輝かせているのでしょう。







島の名前は、1776年、この島に奴隷たちを迎えに来たラドーフィヌ号の船長、ジャン・マリ、ブダン・ド・トロムランから、名づけられました。







このトロムラン島をめぐって、実は、フランスとモーリシャス島は、所有権の争いをずっと続けています。



インド洋の歴史には、世界の歴史のエッセンスが詰まっています。







 





明日は、インド洋に浮かぶレユニオン島は、「奴隷制度廃止記念日」の休日です。








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Last updated  2005.12.19 20:32:49
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