レユニオン島とインド南西部
今回、津波の大きな被害を受けた、インド南西部は、レユニオン島と、大きなかかわりのある地域です。今回の津波のインド南西部の被害は、レユニオン島の多くの住民にとって、家族の問題です。レユニオン島には、インド人、またはタミール人と呼ばれる人たちがいます。インドから来た、非イスラム教の移民たちのことで、実際に、インドのマラバル地方の出身でなくても、みんなひっくるめて、そう呼んでいます。地元の言葉で、マラバル(les Malabars)という言葉があります。でも、移住時代の苦しい思い出を思い起こさせるせいか、あまりいい表現とされておらず、実際には、人の口にはのぼりません。この人たちは、レユニオン島に、1848年から、1882年にかけて、移住してきた人たちで、当時の資料では、12万人。そして、現在、この人たちの子孫は、レユニオン島の人口の25パーセント、四人に一人の割合を占めています。もちろん、わたしの知り合いにもいます。町を歩いていても、インド系の顔をした人は、とても多いのです。そして、サリー風の金糸を裾にほどこした、色鮮やかな着物を着た女性も、たくさん見かけます。長い間、彼らの宗教、ヒンズー教は、カトリック教会によって禁止されていたのですが、現在では、自由に自分達の祭りや文化を守っています。レユニオン島には、ヒンズー教の色鮮やかな、青色の肌をしたの神々が祭られているヒンズー教寺院を、おおく見かけます。今では、タミールの祭りは、島の中でも観光の、一つの大きなイベントです。サモサ(春巻きの皮風のものに、具を入れて、油で揚げます)をはじめ、レユニオン島の揚げ物の食文化はこのタミール達から、影響を受けたものです。 レユニオン島のTVニュースでは、今回の津波の義捐金の呼びかけとともに、インドに住む家族を心配するタミールたちの様子が報道されていました。どうか、被害がすこしでも小さく抑えられるよう、祈るばかりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・楽しい島の生活の報告をしたかったのですが、津波のことが気になって、今日はなにを書こうか迷い、書きたいことがあやふやです。楽しみに読んでくれた方、ごめんなさい。表面上は、普通の生活なのに、私の中ではまだ、TVで見た、亡くなった方々を写す映像のショックが大きいです。亡くなったのは、水面下で息をとめる事ができなかった、小さな子供達が多かった、ときいて、胸が痛みます。驚きも苦しみもしていない、まるで眠っているだけのような亡くなった子供達が一列に並べられていた映像が、頭を離れません。<その後>レユニオン島の赤十字、国境なき援助隊をはじめ、フランスからも、かなりの数の援助隊グループ、ONGが現地に飛んでいるそうです。かなりの量の援助物質が、常に上位日されているそうです。こういうとき、フランス人の行動力はすごいなあと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<写真> ピマン・ファルシ(Piment farci)と呼ばれる、インドから影響を受けたレユニオン島の食べ物。インドには、バッジと呼ばれる、インド風、「野菜のから揚げ」があるそうです。しし唐とピーマンの中間くらいの大きさの「大きな唐辛子」(Gros piment)をのなかの種を取り除き、中に、ツナとニンニク、しょうがをすりつぶしたものを詰めて、油で揚げます。クレオルたちは、中の種を取り除かないので、激辛です。 参考文献・"Le guide de routard : Reunion-2002", Hachette, 2002.