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2007年07月23日
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カテゴリ:日々のできごと

                  Water lilies.jpg    

先週木曜日の夜、9時58分に、91歳の妻の祖母が病院で亡くなりました。

これまで、何度も危機をのりこえてきたおばあちゃんでしたが
天国のおじいちゃんが「もう来てもいいよ」と言ったのか
お祖母ちゃん自身が「もう行っても、みんなも準備はできてるな」
と思ったのか、あるいは両方かもしれませんが、
お祖母ちゃんは天国に旅立ちました。

お祖母ちゃんのことを、近くでずっと看病し、悩み、介護してきた
義母さんには、遠くから駆けつけた親族みんなに
お祖母ちゃんの最期を看取らせてあげたいという想いがありました。

その想いがちゃんとお祖母ちゃんに伝わり、
お祖母ちゃんは、みんなが一旦帰ろうかという時間に
小康状態から急に危篤状態になりしまた。

そして、息子・娘たち、孫たち、ひ孫たち、そしてそれぞれの配偶者たちが
ベッドを取り囲み、
「おばあちゃん、おばあちゃん」
「おばあちゃん、ありがとう」
と声をかけ、顔を撫でる中で
お祖母ちゃんは、最期の呼吸をして、心臓が一旦止まり
また、復活し、呼吸を始め、そして本当に「息を引き取る」
その瞬間をみんなに見せてくれました。

ひ孫の小学6年と中学2年の女の子たちは
優しかったおばあちゃんが、ついに天国に行ってしまう姿に号泣しました。

あと一週間で5歳になる私の息子も
母や祖母に言われるように、曾祖母の枕元に行き
「おばあちゃん、ありがとう」
と声をかけました。

お祖母ちゃんは、ほんの2、3週間前までは
寝ていても、このひ孫の声を聞くと目を開けてくれ
元気な時は、たくさん話しかけてくれたので
妻と息子は毎日のように病室に顔を出していました。

お祖父ちゃんが亡くなり、寂しくなった祖母と
中学生時代に一緒に住んでいた妻は
いつかやってくるこの日が怖くて怖くてしかたなかった、と言っていました。

でも、最期を迎えたときには、ただただ深い感謝の想いで一杯で
溢れ出る温かい涙を止めることができないようでした。

長女である義母は気丈で繊細な人なので、
いつも、自分のことよりも母や周りの人たちへの気遣いを優先していました。
周りが涙にむせいでも、一人冷静に振舞っているようでした。

その義母が、ときおり、たまりかねたように流す涙は、私の心の奥を揺さぶりました。
義母の献身的な姿は、私の母に対する想いに重なったのでしょうか、
義母に対する愛おしさといたわりの気持ちで、私の胸は一杯になりました。

義母は自分の家族の生活と、息子と二人で暮らす実母の介護の狭間で
精一杯、何ができるのかを考えていました。

それまでは、ご飯や身の回りのことを援助するだけだったのが
家でこけて、ベッドに寝たきりになり、身体介護が必要になりました。

ホームヘルパーの利用を始めましたが、私の目から見ると、
最初は遠慮がちに利用し、できるだけ義母自身が介護をしようとしていました。

でも、夫や子ども、そして私の息子である、孫の世話もしてくれながら
実母の介護をするのは、体がいくつあっても足りないような状況でした。
それで、段階的にヘルパーの回数も増やしていきました。

お祖母ちゃんが紙おむつを嫌がって、夜中にはずしてしまった時に
そのヘルパーの事業所の責任者がいきなり、母に説明もなく
「つなぎ服」を着せたました。


私や妻は、それはおかしい、虐待のひとつだと
義母に説明しました。


義母は、おかしいと思いながらも
夜中にオムツを取って、汚物が手やふとんに付き汚れることで、
同居している弟か困ることを気にしていました。
また、どういう方法が良いのかもすぐには分かりませんでした。

事業所やヘルパーにお世話になっていることで
言いたいことも抑えてしまう面もありました。

義母は妻と一緒に事業所に抗議し、つなぎ服は直ぐになくなり、
事業所から謝罪の言葉をもらいました。
親身になって介護してくださるヘルパーさんには、介護をつづけてもらいました。

どんどん介護度が増えるにつれ、義母は施設入所を決めましたが、
すぐに入れる特別養護老人ホームや老人保健施設は
ありませんでした。

義母は自分が、毎日自転車で通えることを条件にしていました。
義母にとって、お母さんを施設に入れることは苦渋の決断でしたが、
それには、亡くなるまで自分が現実にできる最大限のことをやり遂げるという
決意も伴っていました。

とりあえず、ショートステイを利用しました。
お祖母ちゃんは、最初は自宅から出るのを嫌がっていましたが
認知症が進んだことと、施設での宿泊に慣れたことが相乗的に働いたのか、
2回目以降は、スムーズに行ったようです。

しかし、施設での介護は、入浴や食事などの面では
「理想的な介護」とは言えませんでした。
家族から要求して、ようやくしてもらえることもたくさんあったようです。

私自身も特養で働いたので、施設の人員体制など
困難問題がたくさんあるのも承知しています。
それでも、やはり「あたり前の生活」「あたり前の介護」とは何かを
施設職員には考え続けてほしいと思いました。


義母は、
訪問介護事業所のケアマネジャー
施設のケアマネジャーや相談員
市役所の福祉部などに連絡を取り続け
お祖母ちゃんは、ようやく、家の近くの老健に入ることができました。

しかし、入所4日目に、容態が悪くなり、入院することになったのでした。

そして50数日目に、最期を迎えました。
驚くほど元気になり、病院側から退院を打診され
やむなくまたも、入れる施設を探し
数日経ったら、近くの病院の療養型病床に移るかという状況になりましが、
ここ一週間ほどで急にご飯を食べられなくなり、今回の最期を迎えたのでした。

でも、義母は、そんな次の施設探しをしながらでも
この病院で亡くなることを予見していたようです。
きっと、私たちには分からない何かを感じていたのでしょう。

お通夜を終え、翌日のお葬式を迎えるときに、妻は、私に相談してきました。
「このまま、なんの変わりもないお葬式で終わるのは
いややと思う。
○○や○○(上で書いた、小学生と中学生の孫たち)が
書いてたおばあちゃんへの手紙を読んでもらうのは
どうかなぁ」

私は、「そうやね。すべではお母さんが中心でやってるから
お母さんに相談してみたら」と言いました。

義母は、妻の提案にすぐに賛成して、会館の職員に
伝え承諾をもらいました。

二人の孫たちは、妻の提案にどぎまぎしていました。
お祖母ちゃんの棺に入れる手紙なので
誰にも読まれることはない内容だったということも
ありました。
また、親族だけでなく、地域の方々もたくさん
お通夜に来てくださっており、それだけの人数の前で
手紙を読み上げる決心がすぐにはつかないようでした。

もう一度、孫たち二人で手紙を書き出しました。
妻は何度も、応援に行きました。
最後の最後まで、自分たちで読むか、会館の職員に
読んでもらうか迷っていたようですが、
職員さんの優しい
「私が読んでもいいけど、二人が読んだ方が
おばあちゃん、喜ぶと思うよ」という言葉で
「わかった。読むわ」と決めたようです。

その手紙は
おばあちゃんのこれまでの優しさから始まり、
入院してからご飯が食べられなくなって
どんどん痩せていくつらさ、
息がとまり、天国に行くのを見送る想い
天国でおじいちゃんに会えたかなぁと想像し、
最後は「おばあちゃん、ありがとう。大好きだよ」という
言葉でした。
後半の部分からは、こられきれず
泣きながら読んでいました。

この手紙に会場全体がむせび泣き
そのあと感動の静寂が包みました。

私にとっても、こんなにも、率直で、優しくて、温かで
ユーモアのある手紙は初めてでした。

この提案をした妻にも、手紙を読んだ子どもたちにも
よかってね、感動したよ、ありがとうと伝えました。

二人の子どもたちの晴れやかな、どこか自信さえ漂わせる
姿は、もう一度私に感動を与えてくれました。
こうやって人は、経験し成長していくのだと思いました。

息子は、お通夜やお葬式の最中に、何度かぐずることも
ありました。母が流す涙を見るたびに
「なくなよ」と言って母を叩いていました。
止めに入った私にも、手や足をばたつかせて
振り回していました。

自分の目からは出ない涙を母や周りの大人たちがたくさん流し
そして、一番近い存在である、姉のような大好きな○○ちゃんも
号泣している、
その状況・世界が、自分に理解できない苛立ちが
あったのかもしれないなと思っています。

それでも、最後まで一緒に過ごし
火葬場で灰と骨だけになったおばあちゃんの姿を
しっかりと見ていました。

「おばあちゃんの骨みたこと、言うわ」
保育所の先生やみんなに報告すると
言ってます。

今は理解できず、言葉にならない経験も
息子が大きくなった時に、きっと素晴らしい経験として
蘇ると思います。

こうやって、ひとまず3日間の儀式が終わりました。
カトリックの父母の元で育ち、小さい頃から親戚づきあいが
苦手だった私は、大学で学生運動を始めてから
ますます、このような「生活者の日常」から遠ざかる生活をしていました。

障害者施設で働き、結婚し、子どもが生まれる中で
何度かお葬式に参列することがありました。
その中で、このような日常と非日常の生活のかけがえのなさを
少しずつ気づいていきました。

それでも、今回のように、人の死に際の最期の瞬間に立会い
病院から自宅に運ばれ、また、葬儀場に運ばれ
親族みんなの見ている前で、入浴させてくれ、綺麗に身支度を
してくれることなど初めて体験でした。

こういう儀式の中で
大切な人とお別れすることを現実のこととして、少しずつ受け入れていく
過程が進むのだと思いました。

一晩中、お祖母ちゃんの棺の前で親戚の人たちや
義理の弟と話したことも忘れられぬ記憶となると思います。

                 Sunset.jpg

そして、このすべては、お祖母ちゃんの贈り物だと感じています。

私はお祖母ちゃんに出会えて、本当に良かったと思いました。
そして、いつまでも一緒だと思っています。






 

 

 






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最終更新日  2007年07月23日 11時47分10秒
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