ゆっくりと豊かに生きる人に贈るメッセージ 

2007/11/01(木)23:58

忙中閑画

文学・芸術(8)

今日も「忙中閑画」の「日々有情」からご紹介します。牛の画です。「風格堂々として 沈着 荘重  而して愛すべきは 身ににじむ 野趣也り」 とあります。野趣とは、「ひなびた味わい。自然のままの素朴なおもむき。 田野の風趣。」(広辞苑)こんな堂々として、素朴な姿に私もなれたらなぁと 感じました。 次は、ちょっと哲学的な画です。「いつか 崩れるとわかっていても 石をつみたくなるのが  人間というもの 賽の河原とはこの地球のことだろう  あの遥かえの旅立ちに何かを残しておきたい…  それさえも空しいことなのだろうか」この積み上げられた石と蜻蛉が なんとも言えぬわびしさを表しているように感じます。三度目の流産の後 妻は、初めて「水子供養」をすることができました。それまでの妻の心情は、私には推し量ることのできない 苦しみに満ちたものだったと思います。水子地蔵さんの前で、たまごボーロをお供えし 天国に旅立った小さな小さな命に手を合わせると 一陣の風が吹いて、風車がくるくると回りました。妻も私も自然とあふれるように涙が流れ 天から、赤ちゃんになれなかった命が これからも私たちを見守ってくれていると感じました。その時に、和尚さんがお話してくださったのが 「賽の河原」のお話でした。夫婦であっても、命の喪失に対する 悲しみや苦しみのありようには 大きな違いがあることも実感しました。妻はからだをとおして、リアルに感じる喪失感 や罪悪感、そして自責の念があったと思います。私は、その妻を支えようとする想い 新しい命の誕生に飛び上がらんばかりの躍動感 それが、急転直下、すべて帳消しになったような空虚さ。そして、どうしても赤ちゃんとして対面したかった 小さいいのちとの別れのつらさ。そんな、お互いになかなか向き合えない悲しみを抱えながら 風車の回るお地蔵様を見 和尚さんのお話を聴くという 共通体験をすることで 私たちは、悲しみに一区切りをつけ また新たに歩み始めました。父の言葉にもあるように、 この地上の世界こそが、苦しみや試練の場であり 崩れると分かっている石を何度も何度も 積み上げる世界なのかもしれません。人間である限り、この苦しみからは抜け出せない。 だからこそ、喘ぎながらもだえながら 魂の成長のプロセスを辿っていくのだと思います。そこにこそ、大きな喜びと人間賛歌があるのだと思います。こんなことを書きとめながら 今日もまた、一日が過ぎていきます。

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