soul-eye

2011/03/21(月)22:04

【震災】激甚地区を知るために

津波と逆流する川に切断された鉄道 ここを一番最初に見せられました。 直に私ができる事の最大値は収束し、いかに短期的取組に移行するかに入ります。 振り返ってみれば、三箇所の被災地で多くの情報を得られた事は 逆に見れば、被災者の皆さんの「伝えて欲しい」という気持ちが私に集中したからでしょう。 また、激甚地区へ入った3人の認識力が高かったからだと思います。 私が暖房を使うのをトラウマのように感じて 今でも部屋でコートを羽織り、食事もおにぎり一つにしているという事で 感じていただける方も居ると思います。 そうしろとは言いません。激甚地区以外の方は、 いざという時のために力と物資を蓄えていただかなければならない。 ただ、私はトラウマになっているのです。 比較的軽微な被災地から入った私でしたが、 やはり家屋を流された方々とお話しした時は、車中に戻り泣きました。 そうして激甚地区へと移動。 大槌町では、方面本部の自主防災隊、役場職員、教職員の方々が積極的に情報をくれ、 本部にも連れて行ってもらったり、当時は自衛隊がやっと道を作った最激甚地区にも入りました。 この時点では県よりも情報が深かったと思います。 それをうちの組織の対策本部に送りました。 特殊電話の電源が切れるまで・・・ 正直、私はパニック状態であったと思います。 そうした中、目の前の状況に瞬時に対応し、 うちの災害対策本部との情報を共有し対策提案ができたのは 被災地の方々の知って欲しいという強い思いであり、 心を一にしようと、被災地の方々が私達に気を遣ってくれたからだと思います。 認知していない事は認識できません。 知らない事は、相当想像力、感性や経験がないと認識できないものです。 私は激甚地区に入る前に色々な提案をしていましたよね。 今それが実現されようとしています。 ただ、私のこれまでの頭の中にそんな知識や発想はなかったのですよ。 なぜ、次々と情報が入り、次々と発想ができたか。 被災地の方々との共通認識をいち早くもったからだと思います。 <共通認識のため> 一日目が終わり眠っていると、 現場ではなくよく似ているけど別のシーンが頭に浮かびました。 復活の日 二日目の夢・・・このシーンは?? 35年ぶりに思い出した。 日本沈没1974 ラストシーンの藤岡弘の表情が映し出されました。 これは、福島から現在移動している方々、 そして、これから安全な避難地へ移動される方々の気持ちでしょう。 北海道、東京以南、東北日本海側の皆さんは今の現実を的確に認識できないでしょうが、 認知するために、この映画を、是非ご覧になって下さい。 本当の状況はこの映画を越えています。 私がパニック状態の中、様々な対応ができたのも、現状把握が適切だったのも、 この映画をどこかで覚えていて、ある程度自動的に体が動いたという要因があったからかもしれません。 今の東北を知るためにも、日本全土に明日起こるかもしれない事態のためにも 上記の映画は参考になるはずです。 私も悩みました。どうしたらはっきりと今の状態を伝えられるのか。 激甚地域以外の方が報道を的確に掴むためにも、この映画は役に立つと思います。 この時期に映画?? 不謹慎かもしれませんが、私は大槌の方々から、状況を伝えて欲しいと頼まれました。 今の東北を知るためにも、日本全土に明日起こるかもしれない事態のためにも見て下さい。 家の二階が市場に乗っている 私が所属する災害本部に帰った時、本当にこうでした。 ランボー2 認識の違いがありすぎました。全般的にうちはスピーディに対応した方だと思います。 しかし、想像を絶するところに対し、認識ができない。 大槌と盛岡ですらこうなのです。 私達の前に居た仲間はたった一人で堪えて、私達と交代しました。 互いに抱き合い、無事を確認して別れました。 私達の交代できた第3隊目は、 「私達は余計な事はするなと本部に命令されています」 「これに関しては本部の支持を仰がないと」 「まずは落ち着け」 などと云う始末。怒鳴りつけました。 私に怒鳴られているうちは良いのです。被災地の方々に怒鳴られたらどうするのですか。 本当はこんな事したくないのですが、 「あいつらがそんな台詞を吐いたのは、本部で誰かが言ったからだろう。 犯人を出せ。戻ったらぶん殴る」 と帰社中に携帯が繋がった時に言いました。 彼等のその気分は私達が次々報告する事が余計な事と思ったのでしょうか。 多分認識できなかったからオーバーヒートを起こしていたのでしょう。 私は少しでも緊張感を持ってもらうためにその暴言を吐きました。 当然犯人は出てきませんでした。 帰ってからも言い続けています。 その地区がどうなっているか、必死で想像してもらうために。 今はピリピリしています。 恐らく県や国などはもっと認識が低いのでしょう。 「許可制にします」 などと・・・今日、うちの副本部長に労われた時、やっと救われました。 県の状況の変化、国の状況の変化を教えられ、本部も喧々諤々だったと。 「しかしあなただけでしょう、認識ができたのは。他はどうなんですか」 言ってどうなるわけでもないけど、私は言いました。 うちの恥をわざわざ曝すのは、激甚地区以外の方々に共感して欲しいからなのです。 もし、このような認識なのであれば、何とか共感して下さい。お願いします。 特に行政府。 最激甚地区 そのための映画です。 改めて、子供の頃見た日本沈没のラストシーンを思い出します。 移住地への列車の藤岡弘のあの表情が約35年の月日を越えて思い出されます。 どんな気持ちなのか。 あの小説も映画もその後の事は描かれていません。 私なら…まちづくりのノウハウを抽象化して実施するのでしょうか。 ロシアの隣国日本発言 中国の自然災害は共通の敵発言 アメリカのOperationTomodachi 他何カ国もの支援…。 とうとう東日本はどの地域よりも、リアルに国境を外しました。 私たちミステリーハンターが言う勝手に作った境界線ですよね。 ただそれが、こんな形で実現するとは。 今の状況と亡くなった方、そして避難生活をおくられる方に対して、 新しい姿、より良い形を実現したいです。 野球はやるのでしょうか・・・日本沈没の最中に。 ロシアは大供給の準備をしてくれています。 ドームで野球ができる位電力がある日本“様”なら、 もっと手軽に、早く送ってくれるでしょう。 これが認識の違いです。 この記事で、私の中での緊急時対応は終了になります。 次は短期的取組と、その中に含まれる中長期的取組の策定に入ります。 無力感からか悔し泣きをしています。 あとは任せます。自衛隊、国、自治体。 高田さん、佐々木さん、私は結局何もできませんでした。 すいません。 (今は通信孤立状態で私が訴えるしかありませんが、 直に解消されて、多くの情報はtwitter、ブログで 現地から掲載されるでしょう)

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