soul-eye

2014/02/09(日)19:59

極意

人の話を素直に聴くというのは大事なことなんだなあとつくづく知った今日。 よく寝た二日間だったけど、不意に自分でやった動きと読んだ本の中身で・・・ 「いいかsuga。今しか言わないぞ。これだけだ」 と寿司屋で教わった(俺がしつこく極意を教えてくれとねだった)形。 その意味を時々考えていたのだけど、アレ?っつと。 俺の場合出会った人が皆師匠になってしまう。つまり特定の流派なしでここまできた。 30の頃は合気道道場二つに友人たちに誘われたが、その先生たちに 「まだ力がありすぎるなあ。もっと年をとったらやれば良いよ」 と言われた。 その3年後に見事に体を壊し、半寝たきり状態。 ちょっと動けるようになった時、出会ったのが太極拳であった。 「よくここまで壊しましたねえ。これならすぐ太極拳の体になりますよ」 35から始めるとは思わなかった。 お母さんたちと練習したあとに個人レッスン。これたった5回。 その後先生とばったり再会して、約一年。治療最中に時間があれば教わり 一週間勉強しては教わりの繰り返しで、独習の癖もついた。 「接近すればこちらのものなんですが、それまでが大変。 サップが腕を振り回してきたら難しいですよ」 太極拳はサップを対象にしていたか・・・ 「この体の大きさを維持しながら治していきましょう。打倒サップです」 2mを超す米兵とぶつかった俺だが、まともに歩けない俺では無理だろうサップは。 先生は俺を励まし励まし色々教えてくれた。そして 「一度は武術を捨てたんですがね。家一軒買える分お金使っていますし、 やはり楽しいですよね」 と、どこかに帰っていった。 幸いに俺は格闘家に好かれる。 稀に変なのにも寄ってこられるが、それも若い頃よりずいぶん減った。 先生は見つかるものだ。 当然だが極意というものを知っている先生は口が堅い。 しかも俺はこの通りだ。 ただどこか真剣なのだろうね。それに身体が動かなければ他にする事がないのだ。 太極拳の先生から学んでいる時に、 段々と本が、眺めていたのから分かるようになってきた実感がある。 「極意は30分もあれば教えられます。コツですから。だけど人を選ぶんです。 あとはその人にあった技というのがある。sugaさんと私では体型が違いすぎます。 それにそれまで至る人生が違う。武術は一人一流ですよ」 なるほど。 「まあ中国拳法の場合、弟子に殺されるかもしれないから肝心なことは教えません。 それも秘伝が失伝したり一人一流なんて事になるんですが」 そうなんですか。 「文字が読めないと太極拳は大成できませんでした」 なので、後は一人で頑張れという事だったのだろう。 先生から貰った(喰らった)技を時折思い出しながら、また木刀を降ってみる。 そういや、全然技を教えてもらってなかった。たまたま出た手で褒められていた。 「下手な技は良い。人に怪我をさせないからな」 そして、卑怯な技を忘れている自分にちょっと満足。 「ああそう。中国拳法は暗殺拳ですよ。本当に汚い手があります。 死んでも暫く気がつかないとか」 あれれ。 これを書きながら言葉を思い出していると大変。

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