Last Esperanzars

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楽園のサジタリウス3 十一

「なに、殺されなかっただけありがたいと思わなきゃ」
「は……」
 干し肉をつまみながら、一機はまた酒を飲み干した。唖然としたマリーもあわてて注いでやる。
「本家の長子ともすれば次期当主だ。的場くらいの家になると分家にも勢力ってものがある。そんなところに無能な本家兄と有能過ぎる妹なんていてみろ、世継ぎ騒動の元凶にしかなりえんさ。財産を巡ってのサスペンス劇場さながらっていう血で血を洗う抗争になる可能性だってある。だったら、本家にいてもさして使えない愚兄から当主の資格奪って追い出し、賢妹に継がせて後顧の憂いを断とうって考えは自然だよ。ま、勘当より殺した方が確実だけど、それされなかっただけ優しいな」
 苦笑する一機に対し、マリーは化け物を見るかのような視線を向けてきた。ビビらせてしまったらしいと少し後悔する。以前この話をした麻紀が眉一つ動かさなかったら鈍くなっていたが、やはり他人からすると結構キツい内容らしい。
 ――あるいは、鈍くなってるのは俺の方かもしれんな。
 小さいころから次期当主として育てられたし、周囲もそれを当然として過ごしてきた。一機自身それなりに努力してきたし覚悟もしていたはずだった。
 だがそれは、一機が無能であることを証明する日々であったようだ。期待に答える才がない自分の不実が原因なのだから、恨みはしたことがない。まあ、ショックを受けなかったといえば嘘なのだが。
「――それで、あんた追い出されてからどうしてたのよ」
「隠居してたじいさんとこに行った。なんか一族でも変人扱いされてる人で、まあ実際変人なんだけど、家がわりと近いから昔から交流あったんだよな。砥ぎとか料理とか色々教わったわ。で、そのじいさんが亡くなってからは俺が一人で暮らしてる」
「お金は?」
「じいさんの遺産があるからな。元々金ある家だし、よほど豪遊しなけりゃ一生働かず過ごせるだろ」
「……やっぱ、幸福じゃん」
「いや、多分違う」
 酒をくいとまた飲み干し、自分で注ぎ直す。視線の先には、今はもういない自分の祖父がいた。
「じいさんは有り余った金でそりゃもう好き放題だった。気が向いたらどんな新しい遊びでもスポーツでも初めてさ、七十とっくに越してるのにパラグライダーやるって聞いた時は自殺志願者かと思ったね。常に新しいことやって遊んで、働きもせずそれができる生活ってたしかに幸運なんだろうな。勿論、同じ環境にいる俺もだよ」
 ふと、酒に映った自分の顔を覗き込む。ところどころ怪我しているが、基本的な造形が変わるわけはない。無気力で貧相な、世間に埋没した引きこもり特有の死人の面だ。
「だけど――じいさん、いつも飢えてたんだよ。何か欲しくて、それが何なのかわかんなくて、だから散々面白そうなことやって探してた……いや、空虚なの誤魔化してたんじゃないかな? じいさんは幸運ではあろうが、果たして幸福だったのかね? ――結局、俺もじいさんの欲しい『幸福』が何なのかわからずじまいだしな」
 酒を一気飲みし、天を仰ぐ。夜はまだ深く、赤い月が不気味さを演出する。月見酒はこの世界では難しいな、なんてアホなことを考えていると、マリーが地面に横たわった。
 倒れたのかと思ったが、顔をのぞくと別に体調不良ではなく、ふてくされたようにしているだけだった。
「……そんなの、金持ちの無い物ねだりよ」
 ぽつりと、こちらに伝える気があるのかというほど小さいその言葉は、一機の耳にきちんと捉えられ、そして一機はクックックと哄笑しだした。
「はは、そうだな――まったくその通りだ」
 実際その通りだし、マリーからしてみれば自慢話にしかなるまい。しかもマリーの現状は……
「それでさ、あんた今その金も何もあったとこからいなくなったわけじゃん?」
「うん? ああ、こっちの世界に来たってことね。んなこと言われなくてもわかってるよ。とりあえず親衛隊で世話になってるが……」
「やめちゃいなさいよ、親衛隊なんて」
 吐き捨てるようにこちらの話を遮るマリーの声はさっきより硬質化しているようであった。
「だって、親衛隊って女限定なんでしょ? 男がいられるわけないじゃない」
「あーはい、一応俺は親衛隊雑用見習い補佐もどきという立場ですから」
「何その階級。信用できるのそんなの? 第一、親衛隊なんて名ばかりの弱小部隊にいたって先無いわよ。おまけに隊長は王族の人間なんでしょ? アマデミアンなんて蛮族呼ばわりしてんだからどんな目に遭うか……ほらあんた、傷だらけじゃん」
「いやこれは隊員にリンチされたからで……あ、一緒か」
 今更ではあるが、マリーのシルヴィア王国に対する偏見はかなりねじくれている。偏見、というよりはコンプレックスとか憎しみと言った方が正しいかもしれない。そりゃ生まれた時から敵と教えてられれば当然だろう。思えばヘレナたちだって悪逆非道の蛮族とか呼んでいたし。
「――なんで、顔も名前も知らない奴を憎めるのかねえ」
「なんか言った?」
「ん、いや何にも。話戻すけど、親衛隊がどんなとこだってねえ、俺はあいつらの保護がないと生きていけないわけだし……」
「ねえ、一機」
 不意に、マリーが口を開いた。意を決したような固い表情をして。
「だったらさ――ここに、残らない?」
「――残る? それって、この峡谷にか?」
 疑問形ではあったが、一機はその提案に驚いていなかった。さきから執拗に親衛隊やシルヴィア王国を悪しざまに語っていたのはこのためなのだろう。
「うちならさほら、みんなアマデミアンとか少数民族とかばっかだから、あんたのことなんか気にしないって。あんた親衛隊なんかいても先無いよ。それよりもあんな奴ら捨てちゃってここにいた方がいいって、ね?」
 極めて明るく振舞っているが、一機を勧誘する様子は必死そのもの。その訳も、自分を勧誘する理由も見当がついている一機は一度天を仰いだ。
「……まあたしかに、悪い提案ではないかもな」
「でしょ? だったら――」

「でも、こんな広いとこでお前と俺二人きりってのはさすがに寂し過ぎないか?」

「――――え?」
 息を呑んだ、というより呼吸が停止したと表現した方が正しいほど、マリーははっきりと動揺した。
 最初何を言われたか理解できず、脳が一機の発言を把握していくほど彼女の顔はあおざめていく。
「な、な、何? 二人きりて。さっき言ったじゃない、ここにはあたしと同じ『守護の民』がたくさん……」
「いい加減バレバレの嘘はやめてくれないかな。つーか、四十五年前ならともかく、こんな狭くて不毛の大地に千人も人が暮らせるわけないだろ」
「そ、そりゃ千人は言い過ぎだけど、あたし以外にもここには……」
「いいや、断言していい。『守護の民』はもうお前しかいない。いや――」
 そこで一瞬ためらったが、意を決して決定的な言葉を放つ。
「本当はお前もここを守っていない。違うか?」
「え……?」
 青ざめるとか、凍りつくなんて表現が単なる表現ではなく、極めてそのままを記した単語であることを一機は初めて知った。まりーの困惑をあえて無視しつつ続ける。
「お前、実はここからほとんど出たことないって嘘だろ。ホントはちょくちょく――もしくは、ここにいることの方が少ないんじゃないか?」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、どうしてそう思うのよ?」
「キャベツ」
「へ?」
 ぴしりと、一機はさっき作ったスープの残りが入った鍋を指差した。
「こっちでのあれの名称が何だか知らんがな、葉野菜なんてすぐに腐るもんだ。でもあれは新鮮そのものじゃないか。恐らく、今日くらいに仕入れてきたものだろ」
「あ、あれは仲間が持ってきて……」
「買い出しに出てる仲間がいるはずなのに、塩買いに行かなくちゃとか言ってたの誰だ? あと酒屋と懇意にしてるんだよな? 峡谷に仕掛けられていた罠は無人でも機能する。誰もここにいなくても問題ない。ていうか、五十人近くここにいるなら、防衛一人に任せて後は留守にするなんてあり得ないだろ」
「な、なんでさ?」
「なんでさ? アホか、ここに《サジタリウス》……『炎の魔神』があるんだぞ? シルヴィア王国が攻め入る唯一の目的じゃないか。普通なら一番防衛に力入れなきゃいけないのに、一人除いて空っぽにするなんてあり得るか。しかも、今その敵軍が来てるのに?」
 他にも、マリーの言動には不可解な点が多過ぎた。五十人以上いるなら必要な食料や調理器具、衣類など生活用品が転がっているはずなのにどれも一人分くらいしかない。防衛するために必要な武器どころかMNも《サジタリウス》を抜けばマリーが罠製作用に使っていた《ゴーレム》一体のみ。というか《サジタリウス》の整備や罠製作だって一人でやっているようなことを語っていた。隠しているつもりだったろうがモロバレである。
「……どこから?」
「んー、最初から、いやそれ以前かな。俺はてっきりここ誰もいないのかと思ってたし、ヘレナ……親衛隊の連中もそう思ってたんじゃないか? 明らかに緊張感足りなかったよな」
 一応敵地に乗り込むのだ、ヘレナだってある程度ドルトネル峡谷の情報は事前に耳にしていたはず。峡谷の中にいる残党が少ないかもういないかもしれないなんて聞いていたかもしれない。だったら隊の緩んだ雰囲気も納得がいく。予想通り襲撃もないので、途中でのんびり温泉――なんて気分にもなるだろう。もっとも、さすがに非現実的過ぎて誰も口には出せなかったが。
 一機自身、一人か最悪無人の本拠地に潜りこんで『炎の魔神』を取ってくるつもりだった。石ケン投げた奴がいることは想定していたが、そんな人数はいないと踏んだので突撃した。というかそうでなければ一機ほどのチキン野郎がこんな大胆な真似はしなかったろう。
 まさかモグラもどきに刺されて気絶する羽目に陥るとは思わなかったが、とりあえず墓守の内部に入ることは成功した。そうしてここでマリーの様子や周囲を観察して何故この女以外だれもいないのかの推測も立った。
「……なあ」
「……なによ」
「他の墓守――『守護の民』は、みんな戦死したってわけじゃないんだろ?」
「……なんでそう思うの?」
「墓がない」
「……あるわよあっちの奥に。こじんまりしたのだけど」
 もはや隠す気はないようで、低く亀が甲羅に閉じこもったように硬質化した答えを返すマリーの姿がその解答となっていた。
「――出てったのか、みんな」
「――逃げたのよ、『守護の民』の役目放棄して」
 マリーは一機の方を見ていなかった。伏せられたその瞳には怒りと悲しみがぐちゃぐちゃにかき乱された複雑な色をしている。
「どいつもこいつも……もう本国からの救援なんか来ないって、あんな鉄くず守っててもしょうがないって……シルヴィア軍だってまともに相手にしなくなったのに、いつまでもこんなところで防衛してるのなんか馬鹿馬鹿しいって、みんな逃げてった……あたしが生まれた頃からだいぶ減ってたんだけど、お母さんが死んだ頃になるともうほとんどいなくて、それで……っ」
 その後は言葉にならなかった。涙がにじんできてまともに話せなくなっている。
 マリーの様子からして、母親が死んだのはかなり昔のことのようだ。それから幾年経ったか知らないが、その間マリーは一人でここであのFMNを守ってきたことになる。
「――どうして、お前もここを捨てなかったんだ? あんましいないんだろホントは? だったらいっそこんな峡谷なんか出て、外で暮らした方が……」
「できるわけないじゃない!」
 涙で頬を濡らしながらマリーが叫ぶ。鬼気迫るその顔に圧倒され一機は二の句が告げなくなった。
「だってここは、『守護の民』が、一族のみんなが……お母さんが、必死に守ってきたのよ? 『炎の魔神』だってちゃんとまだある、敵だって来る。それなのに、どうして逃げなくちゃいけないのよっ」
「……っ。わかってるんだろ? 四十五年間も放ったらかしにしていた残党を今更敵陣に入ってまでグリードが取り戻そうとするか? ロクに動かせない鉄くずを。シルヴィアだってFMNはともかく半世紀近く前の残党なんか興味がない。お前が逃げたところで誰も追いかけたりしないさ。あんなもの守るため戦ったって無意味……いいや、お前の命が危険にさらされるだけで何の価値もない。そんな馬鹿な真似をどうして――」
「だったら! ――お母さんはなんで死んだのよ」
 一機は絶句した。血の気が引いていくのを感じつつ後ずさると、「シルヴィア軍との戦いで、あたし庇って死んだのよ」とマリーは震えながら続ける。
「『魔神』を、絶望の国から転移してきた自分を助けてくれた人たちを守るため死んだのよ。あたしにその役目を託して――それが無意味!? 何の価値もない!? 冗談じゃないわよ!」
 声と共に血を吐いているような凄まじい叫びを全身に受け、一機は硬直するしかなかった。悲痛としか表す術のない、いっそ悲鳴としたほうがいいマリーの咆哮は終わらない。
「あたしは――たとえ一人になっても、どんな大軍が攻めてきたって……『魔神』が本当の鉄くずになったとしても、あれを守って、戦い続ける。だってそれが、あたしの、『守護の民』の定められた役目なんだから――」
 最後の方は小さくなり、ひくひくと泣いているマリーの姿に、一機は察する。
 マリーは馬鹿じゃない、自分の、ここの状況を理解してないわけじゃない。
 理解したくないのだ。自分が生きてきて十七年、母や同族が守ってきて四十五年。その日々と、《サジタリウス》防衛に費やしてきた命と苦労、さらには自分のようにこんな狭いところで外界との交流を断ち人としての楽しみを捨てた者の無念。それら全てが無意味と思いたくなく、思考停止している。
 やっぱり馬鹿じゃないか。そう言うべきなのだろうが、一機にその舌は持てなかった。
 無能の烙印一つ押されただけで自暴自棄になり、それを跳ね返そうとせず名家の後継者としての役目から逃げた男に、たとえ愚かでも己の役割を果たそうとするマリーや、ヘレナに対し何か言う資格など、ありはしなかった。
 ――人生なんて理不尽なもんだ。誰もが背負いたくもないものを背負ってる。それに苦しみながら歩いていくってのが普通の生き方だ。ま、たまにそれを捨てちまう奴もいるが、な――
「――捨てられたのか、あるいは捨てたのか」
「……ふぇ?」
 泣いていたマリーは、一機の呟きがよく聞こえなかった。聞き返そうとしたが、一機の目はマリーを捉えておらず、過去に向けられていた。
 かつて勘当され祖父の家に転がり込んだ後、いくら経ったか知れない時祖父がそんなことを言っていた。当時は意味がわからなかったが……もう、理解できる。
「――わあったよ、好きにしろ」
「はえ? え?」
 コップに酒を注ぎ直し勧めてくる一機に、マリーはそのまま受け取る。
「ここにいたいってんなら、そうしろよ。お前の自由意思を阻害する気は、俺にはない」
「……あ、あんたはどうするの?」
「さて、どうしようかね。ここに残るってのも悪くはない気がしてきたが」
 マリーの顔がぱあっと明るくなる。当たり前だ。今までずっと一人だったのだから、仲間が欲しいと思うのは自然。必死なのもわかる。
「しかし、あいつらには色々助けてもらったし、このまま黙って出てくってのもなあ」
「ちょっと、はっきりしなさいよあんた」
「ははは、優柔不断ってよく言われるよ。主に一人の悪魔だが……ま、今日は難しいことは後にして、飲もうじゃないか」
 そう言って、マリーのコップに無理やり酒を注ぐ。あわてて口をつけて減ったところにまた注ぐ。
「わ、ちょっ、ちょっとそんな飲めないってば」
「嘘言うな、平然とした顔してるくせに。俺と違ってうわばみみたいだな、もっとアルコール入れないと飲んだことにならないんじゃないか?」
「何あるこーるって。あたしは顔に出にくいだけ……あーもう、だったらあんたももっと飲みなさい!」
「おっとっと。わかってるよ、今日はトコトン付き合おうじゃないか。ほら、俺が持ってきた菓子くれてやる。つまみにいいぞ?」
 こうして、さっきの重苦しい雰囲気はどこへやら、ドンチャン飲み会が再開された。
 ……少なくとも、表面上は。

 そうして、どれくらいの時間が経過したかわからないが、夜も更け闇が濃くなった。
 松明に照らされた二人飲み会会場は、まき散らされた菓子の袋と倒れたコップ、空になった酒ビンが数本、それと干し肉を口にくわえたままでイビキこいて寝ているマリーと、同じくテーブルに突っ伏して現世から意識を離した一機がいた。両者いわゆる寝落ちである。
 初め騒いでいた二人も、アルコールが体内に浸透するうちに勢いは弱くなり、やがてぱたりと倒れるようにそのまま泥のように眠った。――否。
「よっこらせ……と」
 今の今まで爆睡していたはずの一機が、ゆっくりと起き上がる。いや、寝たふりしていたわけでなく実際眠っていたのだが、泥酔したはずなのにこの覚醒の早さは異常。……とはいえ、まだ頭は半分眠っていて大アクビをかましているが。
「ああ……変に鍛えられた体も、役に立つことはあるもんだな」
 そう一人ごちる。幼少より自分に酒を与えた犯罪者祖父を思い出しつつ、あまりしたくない感謝をした。
 何せずっと昔から飲んでるのである。弱くてすぐ悪酔いするが、かわりに回復も早い。数時間うーうー唸っていれば元に戻る。それとマリーが食べさせたあの薬草も効いたのかと推測できる。
 しわくちゃの制服を整えて大きく伸びをする。そうして意識をはっきりさせてから、マリーの方へ近づく。
「……うい」
 頬を指で突いてみる。ぷに、と褐色がかった肌は柔らかく跳ね返った。「ううぅん……」なんて艶めかしい声を出すが起きる気配はない。
「……胸とかも触ってみようかな」
 起きないか確認するためなのに起きたら確実に命がないことをしようとする。大概エロガキであった。
 かなり胸元に接近したが、途中でさすがに良心が働いて手を止めた――わけではなく。
「――無いからいいや」
 というある意味触るよりよっぽど酷い理由からだった。たしかにゼロ距離で確認したヘレナの巨乳や裸身から見た麻紀の意外と大きい胸に比べればマリーのそれは「無い」と断言しても過言ではない寂しいものだが、起きていれば絶対に怒りを通り越して泣いていただろう。
「さて、と」
 かくして胸フェチ一機の変態行為は脇に置いて、寝ていることを確認した一機は手を組んで考え込んだ。
「どうするか、ねえ」
 どうするか、とは勿論無乳を触るか否かではなく、これからの一機がどう動くかについてだった。
 さっきは言葉を濁したが、このままマリーと二人峡谷に留まるという選択肢はなかった。というより、不可能だ。深夜の今さすがに勢いは下がったらしいが、親衛隊が罠を解体している音は聞こえてくる。ここに到着するのはどれだけ長くかかっても半日はかかるまい。罠が無ければ一体しかない《ゴーレム》で防衛など無理だ。
 しかしながら、マリーは逃げたりすまい。あの女はここで《サジタリウス》を守ることが自分の全てだと思っている。否、思っていたい。それが一族と、母親との繋がりだと信じているのだから。逃げるくらいなら戦って死ぬとか言いそうだ。
《サジタリウス》を峡谷の奥深くに移動させる、という選択肢もない。《サジタリウス》自体は動かせないし、外見からして《ゴーレム》より圧倒的に重量があるはず。引きずるようにしてもこれからでは到底逃げ切れまいし、峡谷内がいくら広くてもいずれは追いつかれてしまう。《サジタリウス》の防衛はもはや絶望的だ。
 それよりも問題はマリーの処遇だ。戦死なんて問題外、仮に捕まったとしても、相手五十年前シルヴィアを荒らした皇国軍の生き残り。ヘレナはともかく、本国に送られれば処刑は免れない。マリーは気にしていないが、自身の命すら危ういのだ。
 だからと言って、ヘレナに事情を話して撤退してもらうなんてできない。予言だか何だか知らないが、元老院からの正式な命令に背く訳にはいかない。ただでさえ立場の弱い親衛隊なのだからどんな任務でも成功させる必要があるはず。おまけに動かないとはいえ《サジタリウス》の持つ大砲の破壊力は本物である。戦力不足の親衛隊なら喉から手が出るほど欲しいはずだ。蛮族の少女のため退くなんてあり得ない。
 それに一機だって《サジタリウス》が欲しい。《サジタリウス》、FMNの力が本物であったならば、自力でそれを手に入れ制すればそれは『権力』になる。あの大砲を自在に操れば親衛隊内で地位を約束されるだろう。麻紀の処遇に口出しすることだって可能になる。
「う~ん……」
 しばし目を閉じて思案する。どうするのが最善か、深く深く考えることにした。だけど時間はない。グズグズしているとヘレナたちがやって来てしまう。その前になんとかしなければ。
できれば、誰にとってもいい結果を出す方法で解決したい。ヘレナにとっても、マリーにとっても、麻紀にとっても。そして……自分のことは後回しでいいか。皆にとってプラスに働く何らかの方法はないか。こうも互いの事情を聞いてしまった今、誰かが不都合を背負うことはしたくない。出来れば穏便に済ませたかった。
だがそんな都合のいい手段が、馬鹿の一機に思いつくはずもない。結局思いついたのは、皆が少々の不都合を背負う手段だった。
「……うし、決めた」
 腹をくくり目を開けると、峡谷の奥へ歩き出した。正直まだちょっとふらつくが、構っていられない。
 目指すはただ一つ、眠れる魔神の床の間だ。


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