Last Esperanzars

Last Esperanzars

後編

 ――――2063年 四月二十二日 南関東州 神奈川県 某所
「ふあ……」
 早朝、黄昏はまだまだ肌寒い町中を歩いていた。大きなアクビをしつつ。
 さすがにあの激戦から半日も経っていないのでは必然的にそうなる。しかもとりあえずの隠蔽措置と整備をし終えてから家に戻ったものの、朝の準備があるためほとんど寝ていない。だからどうしてもボケーっと少しふらついてしまう。とりあえず茜を送り出した後、調味料が切れていたので買いに町へ出ていた。
 ――何してんのかな、俺。
 あの激戦から、せいぜい四分の一日、六時間程度しか経っていない。それにもかかわらず、こうしてあっさりと平凡な日常に埋没している自分に少しだけ驚く。
 八年前には、あり得なかったことだ。
 そして、五年前にも――
「――変わっちゃったなあ、俺」
 そう自覚していた。自分は変わったのだと。こうして平凡な日常が染み付き、いつかそれが平凡であることすら忘れ、ただただ日常を日常的に、普通に生きていくのだろうと――
 それが完全に狂わされた、あの男、ロゼルガとの出会い。
 また会えるだろうか? そして、戦うのだろうか?
 そして、俺はそれを――
「夕、こんな時間に何してるの?」
 後ろから声をかけられ、一瞬身構えてしまった。思いを巡らすのに集中しすぎていたようだ。振り返ると、見知った顔だったので安堵する。
「ん? って未来、珍しいじゃないかこんな時間に。寝ぼすけさんが」
「寝ぼすけ言わないでよ夕。それより、そっちこそどうしたのこんな時間に? 茜ちゃんは?」
 ぷくっとした顔で怒ってくる未来。こういうとこは可愛らしい奴だとつくづく思う。茜とはまた別タイプだ。
「ああ、茜は今日早いらしくてとっくに出たよ。俺はちょっと買い物で……ふわあああ」
 眠い。さっきよりひときわ大きくあくびをした黄昏に、未来は窺うを向けてきた。
「また夜遊び? 茜ちゃん心配してたよ、昔から不良だったけど、最近奇行が目立つようになったって」
 あいつ、話してたのか。奇行という発言にはさすがに眉をひそめたが、仕方がないとはわかっている。
「……言うなあいつも。夜遊びも心外だが、奇行はないだろ奇行は」
「えー、テレビがどうだか新聞がどうだかなんでしょ?」
「……それは、まあ」
 実際傍目からすればあれは奇行だったろう。麒麟関連のニュースがどこかにないか調べていたのだが、見事に何もなく金と時間の無駄遣いに終わった。まあ予想はついていたが……あれで変人扱いされるのはちょっと困る。もうやらないんだし。
「何してるのいったい。そりゃ茜ちゃんじゃなくても変に思うよ」
「ううんと……ちょっと世間を知ろうかなと」
「ごめん、全然納得できない」
 そりゃそうだ。キッパリ言い切った未来に同意しながら、察してくれないかなあと憂鬱な気分になる。
「なんて言えばいいのやら……とりあえず、聞かないでくれ」
「聞かなかったら教えてくれるの?」
「……いや、無理」
「じゃあやだ」
「ええー……」
 心なしか、未来の顔が楽しそうに見える。遊ばれてる? と感じ取った黄昏は、とりあえず話を逸らすことにした。
「あ、そうだ。朝からなんか騒がしいんだけどさ、どうかしたのか?」
 そう聞くと、未来は狐につままれたような顔をした。かなり予想外の質問だったらしい。
「……へ? 知らないのアンタ?」
「? 何を?」
「ほら、例のセイヴァーズとゲルダーツヴァイがまたドンパチやらかしたのよ、明け方くらいに」
 セイヴァーズ、ゲルダーツヴァイ。その二つの単語が出た途端、自分の顔が歪むのを実感した。
 BW戦役でゲルダー教を撃破したBWを使用した武装組織セイヴァーズ。その総帥であった白夜克烙は、何を思ったのか知らないが戦後しばらくしてセイヴァーズを離脱。旧セイヴァーズメンバーを集めてかつて自分が滅ぼしたゲルダーの名を冠する武装犯罪集団ゲルダーツヴァイを創設した。
 何を考えているんだと思った。
 どういう心境の変化があったか知らないが、世界制服だろうがなんだろうがやりたいならすればいい。しかし、それに自分が滅ぼした組織の名を使うとはどうかしている。恥知らずもいいところだ。
 おまけに、その戦っている相手は旧セイヴァーズの残党が抜けたメンバーを穴埋めして作ったセイヴァーズ、つまり自分が作った組織というから笑わせる。道理も何もない、狂ってるとしか言い様のないことだと呆れた。
 まさに、今のRSに狂った世界を代表する存在と言っていい、底辺の存在だ。
「またセイヴァーズとゲルダーツヴァイが? ったく、麒麟で吹っ飛ばしてやろうか……いやいや、なんでもない」
「???」
 いかん、つい独り言を大きな声で言ってしまった。未来が変な顔をこちらに向けてくる。感づかれる前に逃げなければ。
「……おい、いいのか? そろそろ時間じゃね?」
「え? あ、やばい!」
 どうも結構話し込んでいたらしい。せっかくの早起きが無駄か。相変わらず抜けている。
「そ、それじゃまたね夕!」
「ああ、また……」
 それだけ言うと、未来はダッシュで学校に向かっていった。振り向き様顔赤かった気がしたが気のせいか?
「……あいつ、なんで俺といる時だけキャラ違うんだろう」
 ついそんなセリフが出た。聞かれてはいないようだが。

 ――――同日 神奈川県 某所
 来た。住宅地から少し外れた繁華街、こんな朝方ではゴーストタウンに近い路地裏で築数十年のビルにもたれかかっていたロゼルガの前に、絵に描いたような紳士が現われた。
 シルクハットにタキシード、片眼鏡にステッキ。どこかの怪盗小説の主人公の姿を真似たものと聞いたことがあるが、本など読まないロゼルガにしてみればどうでもよく、こんな路地裏には似合わない格好だなくらいにしか思えない。Mr.アルセーヌという偽名らしい名と共に。
「いやいやいや、お待たせして申し訳ありません。何分こちらは不案内でして」
 挨拶代わりの軽口など、答える気にもならなかった。ただ黙って拳銃を突きつける。
「おやおやおや、これはこれは。出会い頭にそんな物騒なものを突きつけるなんて、紳士とは言えませんよ?」
 目の前に大型のオートマチック銃を突きつけられておいて、別段変化もなくなんでもない顔をしている。腹の立つ男だ、としみじみ実感する。
「……ふざけるな。今回の件のことを詳しく言ってもらおう。何故こんな命令を出した? そして何故情報を隠蔽した?」
「隠蔽? なにを?」
「とぼけるな! 敵戦車ケンタウロスのデータだ! 超大型戦車とはしてあったが、ADもどきに変形するなど聞いていない!」
 胸倉を引き寄せ、片眼鏡に銃口を押し付ける。左目を片眼鏡ごと押し潰しそうなくらい強く。
 それでもアルセーヌは笑っている。目の前、本当に目の前に今すぐ撃たれてもいい中があるというのに。その余裕ぶりに、撤退命令を出された時から煮えたぎっている腹が爆発しそうになる。
「余裕ぶるのもいい加減にしろ。さっさと言わないと貴様の脳天眼球ごと砕いて……」
「撃つわけありません。そうでしょう?」
 ぴしゃりと言い切ったその言葉に、一瞬腹の中を焼く炎が鎮火する。冷水をかけられた気分になった。
「だって、撃つ気があったらとっくに撃っている。違いますか?」
 ぐっと息を呑んだ。やはり読まれていたか。それ故の余裕。わかっていても腹立たしい。
 確かに、今ここでこいつを殺さない理由が無い。無茶な任務を押し付けただけでは飽き足らず情報を一部隠蔽し、危うく殺されかけた。裏社会の人間としてこれだけのルール違反を犯した相手、誰それ構わず殺すべき。本来、アルセーヌがここに来た瞬間に射殺するべきなのだ。
 それだというのに、ロゼルガは銃を突きつけアルセーヌを脅してでも詳細を知ろうとした。それは――
「気になるんでしょう?」
「…………」
「あの巨大戦車、ケンタウロスのことが。その為にはだまし討ち同然のことをした私を頼ってでも知りたい。だから殺さない。違いますか?」
「……!」
 忌々しそうに顔を歪めると、アルセーヌをヤケ気味に突き飛ばした。
 SOFの交渉人アルセーヌ。人心を把握するなどお手の物だろうが、だからと言って読まれるのは気分が悪い。それも完全に図星を指されるのは。
 実際、その通りだった。
 自分を騙して殺しかけたアルセーヌの怒りより、あのケンタウロスとそのパイロットにずっと関心が向いていた。
 いや、関心なんて生易しい言葉ではない。興味? 好奇心? 憎悪? 復讐心? 嫉妬? 憤怒? あるいは――劣情。
 どう区分したらいいかわからない。ただあの戦いの後から、身体の底から殺してきた、いや無かったはずの強烈な感情の炎が燃え広がり、身体全体細胞一つ一つに至るまで焼き続けている。
 そして、もう自分でもわかっていた。
 この炎は決して消えることはない。
 あいつと、ケンタウロスと決着をつけるまでは――
「……意図的に情報を隠蔽したのは認めます。少し事情がありまして、隠しておかねばならなかったんです」
 立ち上がったアルセーヌは、何事もなかったように話を続ける。情欲に悶え死にしそうなこちらからすれば殺したくなるくらいの落ち着きぶりだったが、騒いでも仕方がないと先を促す。
「この辺りは機密事項になりますので詳しくは申せません。今は」
「……今は?」
「はい。新たな仕事を引き受けてくれるというならお話できますが」
「なっ」
 思わず拳銃を地面に落とした。金属とアスファルトがぶつかるカラカラとした独特の音が狭い路地裏で空しいほど小さく反響する。
「ケンタウロス回収任務を止めろってのか!? そんな馬鹿が……」
「いえいえ、ちゃんとそれもやって頂きますよ。ただ、追加というか、付加というか、もう一つやって頂きたいことがあるんですよ」
 仕事の追加? これ以上常軌を逸する気かこいつは、と昔の自分なら言っていただろうか、とロゼルガは少し考えたが、さっき言ったとおりそもそも出会い頭に殺しているかとつばを吐きたい気分になった。そこで、自分が余計な思考をしていることにようやく気付いた。
 普段ならもっと早く余計な思考と切り捨てるはずだ。心を殺し自分を殺し、ただ任務を遂行する機械となり皆殺しのロゼルガと呼ばれた俺がどうしてしまったんだろう……と、そこまで来て考えるのを止めた。
 馬鹿が、それこそ余計な思考だ。自分の愚かさに呆れつつ、ロゼルガは一言、
「……倒せるんだな、あの戦車を」
 とだけ告げた。
 意味も理由も常識も必要ない。今自分を動かしているのはそんな感情ではない。
 撤退し潜水艦に合流した後、自分の覆った冷気。汗など体中の液体全てが吐き出されたか、べっとりと肌に貼り付いた服。
 だがその程度の冷気で消せない熱が、ロゼルガの身体の底から上がっていた。
 熱が……快楽が。
 楽しかった。そう、楽しかったのだ。百計を用い武力を用いて、殺し殺されあう戦いが楽しくて仕方がなかった。故に得た快楽、故に得た絶頂、あの興奮が身体を縛りつけ離さない。
 忘れられるか。そうであるなら、こんなところにはいないだろう。

 ――――同日 夕刻 神無宅『神無湯』

「ふう……」
 番台の中、黄昏は備え付けのテレビで暇を持て余していた。今日は客が少ない。GDPが下がった地球の制裁事件以前よりは客が増えたそうだが、元々銭湯などあまり人は来ないもの。温泉だからやっと個人経営できているだけだが、それでも今日は少ない。仕事も終わって書き入れ時というのに一桁もいないとは。
 と思ってテレビをつけてみたら案の定だった。またセイヴァーズとゲルダーツヴァイが小競り合いをしているらしい。最近露骨に出没するようになったゲルダーツヴァイは。自衛軍は何をしているんだか。
「……うっとうしいなあ」
 両軍(黄昏個人はどっちもテロ集団だと思っている)が使用している戦闘用RS――BW(バトルウォーリアー)とかAA(アサルトアーマー)とか言ったか――の映像が流れてきてますます苛立ってきた。消したいのは山々だが、銭湯から出てきた客が見てるんだよな。さっさと帰れ。
「はあ……」
 椅子に思いっきり背を預けて力を抜く。これ以上力を抜いたら確実にずり落ちるくらいに。
 子供のお遊戯会じゃあるまいし、軍は、政府はなんであんな連中に任せきりなのだろうか。古代遺跡から発掘したBWやそれを元に建造されたAAは魔術師(それを聞いて吹きそうになった)しか使えないというのは分かるが、だったらそんな兵器使わなければいい。餅は餅屋の理屈であっても、民間人にそんな強力な兵器暴れさせるなんて正気の沙汰ではない。
 いつから軍事はこんなにまで狂ったのだろうか。やはりあれか、八年前、あの世界統一戦争と呼ばれる世界的な対テロ戦争で、初めて実戦使用された戦闘用人型ロボット、
「あさると、どー……」
 ピリリリリ!
「おわっ!?」
 突如電話が鳴った。いや電話が何らかの予兆を出して鳴ることはない。ただ単にこっちがボケーっとしていただけだ。気を取り直して電話に出る。
「はい、こちら神無湯……」
 いつも通りの挨拶は、怒声にかき消された。あまりにうるさくてその場にいた客が何事かと振り返る。こんな大声でうちに電話するのはたった一人、声を聞くまでもない。
「なんだ茜、うるさいな。客が変な目で見て……」
 キンキンする耳の文句の一つも言いたいところだったが、茜が発した次の言葉で絶句する。
「……未来が消えた?」
 最初、何を言ってるのか理解できなかった。茜が次々と発する単語を整理していってやっと思考が回復する。
「何言ってるんだよ、いま夕方だぜ? 部活出てなかったら言ったって家帰ってるとは限るまい。どこかで暇潰してるのかもしれんし。携帯? 馬鹿だな、今時どこだって携帯繋がらない可能性あるって。心配のしすぎだよ、あいつだって十七なんだし……」
 軽口のようにつむぎ出される言葉は、どちらかというと自分を落ち着かせるためのもの。心の中で大きくなっていく不安という渦を、必死で消し去らんがために。
 だけど、そんな誰でも吐けるつまらない正論は、現実の前では無力だった。
「……未来が戦闘に巻き込まれた?」
 確かな情報ではない、という前提のもとで、茜は言いづらそうにしながら告げた。
 何でも、この近所の沖合いではっきりとはしないが何らかの勢力がぶつかり合う戦闘があったらしい。その時間に未来がその場所にいたのを見た人間がいる。簡単に言うとそれだけだが、何の情報もないからこそどんな状況になっててもおかしくないという意味もある。あいつは野次馬なんてする女ではないが、それでも危険なのは変わりない。まして相手はあのセイヴァーズとゲルダーツヴァイだ、周辺地域の安全など確保する器量などあるまい。
「…………」
 こちらの無言に気付いた茜が呼びかけても、黄昏は沈黙していた。というより、聞いていなかった。
 黄昏は思い出していた。今朝、たまたま道端で会ったときの、未来の笑顔を。
 あんな笑顔は久しく見ていなかった。新学期が始まった頃、いやもっと前から笑顔が減っていった。いや、笑顔はあった。しかしそれは無理矢理作った笑顔で、偽者なのは誰もが知っていた。
 進学か就職かで悩んでいるらしい、とは茜からもそれとなく聞いていた。学校に通わず銭湯の手伝いに明け暮れる自分には想像もつかない世界があるんだな、となんとなく考えてはいたものの、俺がどうにかできることじゃないと静観を決め込んでいた。特に最近は、俺の顔を見ると必ず辛そうな顔を返してきたような気がする。
 だから、今日は自然な笑顔で微笑み返されたのが、少し嬉しかった。避けられてるんじゃないのかな、とも思っていたから、そうでないとわかった気がして、少しホッとした。
 その未来が、消えた。
 戦闘なんかに、巻き込まれて。
「……ざけんな」
 何か言葉を返してきたようだったが、全く気にせず受話器を本当に叩きつけて切る。そして番台の下に置いてあったヘルメットを取り出して番台を出る。
「凪! 番台任せっからな!」
 一方的に、返事も聞かずにただ叫んだ。凪が番台をやるとおまけし過ぎるのでやらしてはいけない、とは一家で暗黙の了解だったが、そんなことどうでもいい。そのままバイクが停めてある駐車場へ向かおうとする。
 未来がどこにいるのか、どうしているのかなど全くわからなかった。見当もつかなかった。
 しかし、だからと言って動かずにはいられなかった。とにかく動かなくては、そんな思いだけがあった。
 銭湯から出る瞬間、視界にAAの映像が映った時、先ほどとは比べ物にならないほどの憎悪を感じ、本当に殺してやろうかと思った。

 あれから周辺を数時間手当たり次第走ったものの、未来は全然見つからず、結局深夜に茜から見つかったとの電話が入って捜索は終わった。
 なんでも、戦闘に巻き込まれはしたものの、別に怪我も無く無事。ただ、気絶したので軍管轄の病院に今までいたらしい。ひとまずホッとし、病院へ訪れて未来に何してるんだと軽口でも叩くこうと思ったが、一目見て止めた。
 青ざめて、憔悴しきった顔をしていた。それもただ疲れているのではない、なにか重たいものを背負わされたような、辛そうな顔――。
 医者に聞いてみたが、体のほうは特に問題なし、シェルショック(戦争神経症)の類でもないそうだが、そんなことは言われなくてもわかる。
 これは戦闘を体験して怖かったとか、危うく死に掛けてとか、そんな生易しい代物ではない。もっと深く、そして重い何か――そう、あえて言うなら余命半年や死刑宣告のような『死』を背負わされた人間のような顔をしていた。
 問いただしたい気持ちも勿論あったが、未来も疲れているだろうし、何より聞いても答えないだろうと何となく分かったので、その時はそのまま帰ることにした。

 ――――翌日
「はあ……」
 太陽が頂点に立ち半時ほど経ったか、黄昏は近くの港に訪れていた。堤防の上に座り込み、ため息をつく。
 ここは、昨日セイヴァーズとゲルダーツヴァイ(報道ではそうなっているが、ネットでは化け物がどうだとか騒いでいた)が戦闘を行った場所、そして未来が消えた場所でもあった。
 沖合いに護衛艦が数隻浮かんでいた。何らかの調査だろうか、やはりセイヴァーズとは違うのか、と思いながら、どうでもいいと首をすくめた。
 そんなことを知りに来たのではない。黄昏が知りたいのは、あの日この場で、未来に何があったのか。
 気にならないほうが変だ。朝とはうって変わった憔悴しきった顔、何かあったことは確実。しかしそれが何かわからない。もどかしくて、何かしなくてはいられなくて、ここに来た。別に何かあると決まったわけではないのに。そして実際、何もなかった。
「あーあ、何してるんだ俺は……」
 情けなくなってきて、そこらにあった石を適当に放り投げた。結構飛ばしたため、ポチャンという音すらせずただ小規模な波紋を出したに過ぎなかった。
「どうにかなんないかなあ……ん?」
 ふと、何の気なしに周りを見回してみると、見知った姿があった。
 こちらから少し離れた場所で、儚げな表情で海面を見つめる少女、それは――。
「……未来?」
 声をかけると、向こうも気付いたらしく瞳を向けてきたが、それだけだった。挙動全体に力がない。だいいち目が濁っている。これは相当重傷だ。
「何してるんだこんなとこで。今日は学校休んでるんじゃなかったか?」
「ああ、どうせ病気とかじゃないし、家で寝てても退屈だから……」
 それだけ言うと、「じゃ」とだけ言いすぐさま帰ろうとする。逃げる気だと察し、肩を掴んで無理矢理堤防に座らせる。
「ちょっ、何すんのよ」
「いいから座れ。死んだ魚みたいな目した奴なんか放っておけるか」
 しばらく抵抗してたが、屈せず押さえつけていると諦めて座ることを選んだ。そうしてくれないと困る。
「で? 何があったんだよ」
「…………ちょっと、ね」
 三十秒近くかかって出た答えは、答えになっていなかった。話せないのか話してはいけないのか、あるいは話しても仕方がないと思っているのか。恐らく全部だと察した黄昏は、少々苛立っていた。
 事情があるのだろう、それはわかる。しかしだからと言ってこんな関係ないだろ的な態度をとっていいのか。せめてかいつまんで説明するくらいいいのではないかとそこまで考えて、昨日自分が未来本人に全く同じ返答をしたことを思い出して呆れた。
「……いい。言わなくて」
「え?」
 未来がキョトンとした視線を返すが、それには答えてやらなかった。堤防から降りる。
 わかってはいる。きっと、未来が抱えていることは相当厄介なことなんだろう。どうなってるのかわからず、何をすべきか分からない。だから他人に頼れない。そもそも自分でも何をするのかわかってないのだから。
 だけど、自分がすべきことなのはわかる。
 だからこそ、辛い。
 自分がすべきことがわからないのに、それでもしなくてはいけないから、辛い。
「相当厄介なこと抱えてるのはわかってる。俺らのこと考えて言えないのもわかってる。俺も似たようなもんだしな」
 ――麒麟が墜落してから数日、東京周辺を探っていると色々発見した。
 主に、予備の電装品や弾薬、あと一人でも整備が出来るような工場もどきまで。
 輸送機墜落の情報がまるで無いことといい、ここまで露骨に怪しいと答えは一つしかない。
 麒麟は、誰かが意図的に送り込んだもの。
 誰が、何のためかはわからない。多分俺があそこに出入りしているのを知ってかなり前から仕込んでいたと思うが、そんなことをされる覚えはない。あるとすれば、麒麟のことを詳しく知っていただけだ。
 こんなものに乗っていいのか、とは思ったものの、麒麟を破壊するという選択肢は俺にはなかった。
 そこまで企む人間が何者なのか、何のためにこんなことをしたのか見極めたくなったというのもある。
 だけど、最大の理由はやっぱり、麒麟を破壊すること自体が嫌なのだろう。
 これから何が起こるのか、何をすればいいのか、何がしたいのかはわからない。
 でも、麒麟があれば何とかやっていける。そんな気がする。
 何の根拠もないけど、一応それが俺が選んだ選択、進んで決めたこと。
 しかし、未来は俺とは違うのだろう。
「……ねえ」
「ん?」
 消え入りそうな声で未来は呟き、すっと空を指差す。
 差した先にあったのは、飛行用のADだった。
「あれ、軍用かな」
「さあ……多分そうじゃないか?」
 突然の質問に少し戸惑いながら、とりあえず返した。何か意味がある質問なのだろうか。
「……兵隊さんって、なんで戦うのかな」
「え?」
 ぐさりと、胸を刺されたような衝撃が走った。
「さ、さあ? 色々あるんじゃないのか、国のためとか家族のためとか金のためとか、それこそ十人十色だと思うけど」
 しどろもどろになりながら、当たり障りのない答えを言う自分を殴りつけたかった。違う、未来が望んでいるのはそんな答えじゃない。わかっているのに、こんな戯言同然の単語しか吐けない。吐けるわけがない。
 軍人が、戦う理由なんて考えたこともなかった――。
「うん、夕のいう通り、結構面倒なこと抱えてるんだ。それも、進んでのことじゃなくて……」
 やっぱりそうか、と黄昏は納得した。
 自発的に選んだことではない。巻き込まれたようなもの。それ故に、戸惑っている。
「あたししかできないことなんだけど、でも突然すぎて、わけわかんなくなっちゃって、どうしたらいいんだか……」
 自分しかできない、それはわかってはいる。だけど、それは押し付けられたもの。それは、させられていることと一緒。やれと言われてできるものではない。それが大切なことなら尚更。
 やっぱ自分とは大違いか、と黄昏は自嘲の笑みを零した。
「ねえ、夕。あたし、どうすればいいかな?」
 すがるような瞳、そして自分のことを『あたし』と呼ぶ未来。それで、完全に未来がいっぱいいっぱいなのがわかった。
 未来は元来、何故だか知らないが自分を抑えることを旨としている節がある。どうしてだかはわからないが、いつも精一杯努力して自分を押し殺し、他人の顔色を窺っている……俺と二人だけでいる時は別だか。
 それが今は、その仮面と呼ぶべき代物が外れている。きっと、未来にとって大災害レベルの問題なのだろう。ますます第三者には立ち入れないことになってきたが、だとしてもここで何も言わなければ、未来は戸惑いと使命感の間に板ばさみになってしまい、潰れてしまう。そんな気がした。
 しかし、そんな都合よくいい言葉が思いつくはずもない。なのでほとんどその場の勢いで喋ることにした。
「……知るかよ」
 ぶっきらぼうに言うと、未来は「え?」と泣きそうな声を出した。今にも泣き出しそうな瞳に罪悪感を感じるが、これでいい。
「そんな大事なこと、俺に委ねるなよ。自分で選ばなくちゃ」
 そう。今未来に必要なのは、進めることでも、退かせることでもない。
 選ばせることだ。どんな道であれ、自分の手で。
 そうしないと、ずっと後悔がついて回る。
「何してるかわかんないけどさ、義務とか、無理矢理せがまれてやるようだったら辞めればいい。けど、もう一度深く考えて、やりたい理由があるんだったらやればいいんじゃないか?」
 言った瞬間情けなくなった。どうしてこう月並みな台詞しか思いつかないのだろう。なんだか恥ずかしい。
 でも、それなりに効果はあったらしく、未来の目に光が戻ってきた。なんかぶつぶつ呟いている。
「あの……未来?」
「夕っ!」
「うわあっ!」
 突然降りてきたと思ったら、タックル同然の勢いでこっちに寄ってきて両手を掴んできた。バレーをしているからだろうか、意外に固い両手で。
「ありがとう! 吹っ切れた気がする!」
「あ、そう……」
「それじゃ、ちょっと行ってくる!」
 と言い残し、そのままダッシュでいずこへと去っていった。俺置いてけぼり。
「……まあいいか。立ち直ったみたいだし」
 結果オーライ、と思うことにして、自分も帰ることにした。
 ――戦う理由、かあ……。
 未来が放った一言が、胸に突き刺さったまま離れない。
 本当に誰かの教えが必要なのは、やはり自分なのかもしれない。

 その日の夜、再び沖合いで小規模な戦闘があったというニュースを背に受け、今度こそ捕らえようとする茜を振り切って、神奈川と東京スラムの境、銅線の柵まで来た。
「……ん?」
 廃墟で危険と言われている割に管理はずさんで、柵とは名ばかりで黄昏の胸ほどまでしかない銅線をいつも通り乗り越えようとしたところ、半日以上前とは違うところに気づいた。
 銅線が一、二本ほど切られている。しかもその柵の間には真新しい足跡が。
「……侵入者か? ホームレスや被災難民だって訪れる場所じゃないのに、物好きがいることだ」
 麒麟関連の相手か、ということは最初から考えなかった。だったら銅線を切ったり足跡を残すなんて馬鹿をするわけがない。間違いなく第三者、それも自分より背が低いか足腰が弱い人間だろう。
「……ま、麒麟見つかるとまずいからさっさと行くか」
 そう判断し、銅線を飛び越えた。

 正確に言うと、この黄昏の判断は間違っていたわけだが。

「どうすっかあ、実際」
 黄昏――蚩尤は、東京内部に(なぜか)存在した修理ドッグで一人ため息をついた。
 修理ドッグ、そう、修理ドッグがある。設備も十分備わっているし修理道具も資材もある。修理工程もほとんど機械化されていて自分のすることはほとんどないくらいだ。建前上は。
「整備なんてできるか、こんなもん……」
 麒麟の十m以上ある巨躯を見上げて泣きそうになった。そう、麒麟はでかい。普通の戦車なら整備も修理もそれなりにできるが、一回りスケールが異なるだけで大違い。転輪を外すことすらままならない。それに機械化されているからって、細かい所まで届くほど完成されたものではない。第一、これだけの巨大なもの一人で整備なんてまともに考えてできるか。
 しかし、できないからと言って切り捨てるわけにはいかない。あのロゼルガとの戦いはそれだけ傷が深かった。左腕の不調は比較的軽く修理できたが、モニターはノイズ混じりのままでサブカメラ頼みになるだろう。履帯の調子も悪くなってきた。あの野郎、ずいぶん痛めつけてくれやがって。こんなんでどう戦えってんだ。
「……戦う、か」
 そう、もう一つ蚩尤を悩ませているのはそれだった。
 麒麟はある。兵器はある。
 だけど敵はいない。無論ロゼルガは敵だ、来れば戦う。しかしまた来る保証は無いし、それ以前にあいつが何なのかわからない。どこかの軍人? だったら一人で何をしていた? 海上に支援艦があったようだが、戦車相手に肝心の陸上部隊が一人って何を考えていたんだ?
 わからない。さっぱりわからない。
 自分が何をしているのか、自分の周りで何が起こっているのか、何をすべきなのか――
「……なんで戦う、か……」
 思い出されるのは、やはり未来が放ったあの言葉。その場は濁して誤魔化したが、その実かなり動揺していた。
 そんなこと考えたこともなかった。昔の俺にとって戦うのは当然のこと、特に気にするようなことではなかった。何の確証もないくせに、そこにそれがあるのが当たり前だと認識していた。むしろ、戦っていないこの八年間の方が幻想のように思えていたものだ。
 だから、改めて言われて絶句した。何故戦う? どうして戦う? 国のため家族のため金のため、あるいは仲間のため?――そんなもの、もうないっていうのに。
「……違う」
 握りこぶしで、壁を思い切り打ちつける。そんなことはない、俺がいる、俺がまだ戦える。だから、だから――
 その時、突如警報が鳴った。
「!?」
 始めは何だかわからず戸惑ったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
 東京スラム内に隠してあった物資の中に、振動を探知、警報を伝える簡単なセンサーがあったので各所に取り付けてあったのだ。当然AD専用の。それが鳴ったということは――
「――敵襲か」
 センサーと繋がっているコンソールに駆け寄る。反応は……三つ、いや四つ。単体ではなく反応もこれは通常ADタイプだ。ロゼルガが援軍を従えて乗り込んできたか、それとも別の部隊か、あるいは全く無関係な第三者か。いずれにしろこんなスラムにADの一部隊が来る理由は、自分が知る限り麒麟しかない。
「……出るか」
 選択肢はそれしかないだろう。何処の誰であれ、こちらの存在が感知されると面倒だ。どうするかは、その場で決めればいい。
 とにかく動く。あんな偉そうなことを言ったんだ、もたもたしてると未来に笑われる。



 ――NEXT
「……トーシロが。教科書頼りの対戦車戦術で麒麟に勝てるか」
「エヴァンゲリオン――福音書、ですか。そんなもの本当に信じられるんですか?」
「まったく、最近は貧乏くじ引いたような仕事ばかりだねえ。ホント、嫌になっちゃう」
 次回 第三話 『亡霊達は悲しく歌う』


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