Last Esperanzars

Last Esperanzars

後編

 ――同日、某時刻、輸送機内
「ふう……」
 格納庫の中、御剣拓斗(みつるぎ たくと)はタバコの煙を吐き出した。吐き出した煙は視界を白く染め、格納庫の中を隠す。
 もう五十を越した身、とうの昔に白髪が抜く気にならなくなった年になって、こんな輸送機に乗る羽目になるとは。正直、自分はこういうことには無関係な人間だと思っていた。二十年前の、あの日までは。
「おい、ここは禁煙だぜ、依頼人さん?」
 後ろから、操縦席に繋がる扉から声がした。まずいと思ったがもう遅い、しかめっ面の女がそこにいた。
 燃えるような赤毛に碧眼、どこ出身だか言ってくれないのでわからないが、まず日本人には想像できない美人だ。
 そこはいい。しかしこの女が来ているのはSMクラブでしかお目にかけないような露出過多なボンテージスーツだった。初めて会ったときは面食らったものだ。あと二十年若ければ邪な気持ちも抱いたかもしれない。
「あ、ああ、悪いね、どうも気持ちが昂ってしまって……」
「ったく、こんな空艇乗りのルールもわからないような奴が、こんな仕事バイキングの仕事じゃないよ。ヤキが回ったかね」
 頭をガリガリ掻いてグチを漏らされる。こちらとしてはそんなこと言われても苦笑するしかない。

 バイキングとは、世界各地を渡り歩きテロ行為を行う要するに『海賊』であるが、この時代の海賊は少し趣が違った。
 40年前の地球の制裁後見つかった新エネルギーメテオエンジン、そして反重力発生システム(UGS)の発明は世界にある発明を促した。
 地球の制裁後世界の海流が激変し、それ故船は危険かつ不安定な輸送手段になった。かと言って無資源国や資源のみある国は他国からの輸出、輸入を断てば社会を維持することが困難になる。そこで新たな輸送手段として選ばれたのが空輸であるが、当時の飛行機などの輸送では輸送船の代理が務まるほど充分な量を輸送するのは不可能であり、また滑走路などの確保が問題となった。
 そこで、メテオエンジンとUGSを利用した新型空中輸送船、つまり『空中船』の開発が行われた。全世界がこぞって開発し、現在は空中船による安定した輸送が行われている。
 ただし、作られたのは輸送船のみではなかった。当然のように戦闘目的、『空中戦艦』なるものも同時に開発が行われ、多数の艦が建造された。世界中が試作機を作り、新たなる軍事の要となった。
 ところがここで予想外のことが起きる。開発競争は熾烈を極め、世界中で試作機を作り失敗作なら廃棄、成功作なら量産、さらに新型をと試作と量産を繰り返していたが、その廃棄された艦や量産艦を奪い、自分のものにする者、さらには輸送艦を改造し戦闘艦にする者たちが現れたのだ。テロリスト、いや海賊、空賊とも言える者たちだ。まだ完全に災害から復興しておらず、治安が安定していないにもかかわらず他国からの侵略を恐れた各国は、軍事にばかり目を向け国民をないがしろにしていた。これに不満を持った人々はテロリストと化し、自らの生存のために武力を欲した。手当たり次第とまでに開発されていた空中戦艦はまさにうってつけだったのだ。当然本来ならそう簡単に手に入れられる代物ではないのだが、開発関係者や造船所の人間までが金目的で売りさばくこともあり、空中戦艦は現代の海賊達の手に次々と渡っていく。
 空中戦艦で武装した海賊達は国連軍や各国の軍隊でも容易に殲滅できるものではなく、いつしか彼らは『バイキング』と呼ばれるようになった。現在はさらにADを武装するバイキングまで現れ、深刻な社会問題になっている。
 ハイテクに包まれた超武装テロリスト、それが今の『海賊』である。

 ……とはいうものの、バイキングの誕生は悪いことばかりでもなかった。地球の制裁後の大混乱は必然の如く世界中に戦争、テロなどから、殺人、略奪など犯罪を助長させることになった。混乱しているのは政府、国も一緒で、そういった犯罪などに対策が取れないのはいい方、下手をすると国自体が暴徒によって滅ぼされる、あるいはクーデターによる政権交代、あるいは新国家樹立など荒れ放題となる。そういったことに対処できるのはやはり武力しかあり得ず、空中戦艦により武装されたバイキングは格好の存在であった。小さな国に雇われ用心棒として働くもの、国連の治安維持が行き届かない場所でのテロリスト退治などを引き受けるもの、民間船の通商輸送の護衛を主とするものなども多く存在し、中には英雄扱いされているバイキングまで存在する。
 かくいう彼女、リヴァル・トルマンディカのバイキング『ヴィーナスパイレーツ』もそういった仕事を旨としており、非道を行う同族であるはずのバイキングをも敵に回すので民衆から高い支持を得ている。この仕事を彼女達に頼んだのはそういった理由であった。
「しっかし、ずいぶんでかい荷物だねこりゃ。30m近くはあるんじゃないの? 新型ADだって聞いたけど、これじゃもうBWだね」
 軽い口調で話すが、リヴァルが禁忌に触れているのは空艇乗りのルールもわからないような自分でもわかった。運び屋は原則として、自分が何を運んでいるのかを知っては、気にしてはいけない。特に、こういう裏を通さねばいけないようなブツには。
 それでもなお聞いてくる。理由は簡単、信用できないからだ。
 この輸送機は、普段彼女らが乗っている空中戦艦ではない。なにぶん機密性の高い仕事であるから、空中戦艦の出番はない。襲撃の危険性も“一応は”ない。にもかかわらずわざわざバイキングを雇うことに対する疑念だ。まあ、自分達がこんなただの輸送の仕事に雇われるほど安い連中ではないという自負もあるのだろう。
 ではどうして雇われたのか? 考えられるのは主に三つ。よっぽどのチキン野郎。もしくは誰彼構わず襲撃される危険地帯を通るか。あるいは“ブツに関する情報が虚偽のもので、実際は相当やばい代物か”。正解は最後。問題は、その正解が運び屋に関するもう一つのタブーに関わるからだ。自分の運んでいるものが何であるか、依頼人が言わないなんてのはよくある話。しかし輸送機とはいえパイロットなどのクルー(全員リヴィアと似たような服を着ていた)の命を預かる艦長の立場上、それでは許されないこともある。それならそうと正直に話し、それなりの対価を貰わねばいけないのだ。だがこちらはそれを破り、単なる兵器輸送の仕事としてそれ相応の額で依頼している。これでは信じられるわけがない。
 その気持ちはわかる。だけど残念ながらこちらにもそれに答えられない複雑かつ面倒な理由が多々あった。端的に言えば、「教える必要がないならそれに越したことはない」と言ったところか。教えられない事情があり、教えるとどうしても巻き込む羽目になる。できればそれは避けたい。我々は秘密裏に事を進める必要がある。“いずれ世界が巻き込まれるとしても、今はその時期ではない”。面倒事に巻き込まれる人間は、少ないに越したことはないのだ。
「……あと、どれくらいですか?」
「……さあ、まだだいぶかかるよ。あーあ、ユニコーンならすぐなのに、ホントなんでこんなめんどくさい仕事引き受けちゃったのかなあ」
 到着時間を聞いてきたことにより、話す気が全くないことを悟ったリヴァルは、心底煩わしそうに頭を掻くと操縦席に戻っていく。悪いとは思っている。相模が依頼料を渋らなければもっと快適な旅が出来たかもしれない、と的外れな非難をする。いくら資金繰りが難しいとはいえ、必要経費まで落とすこともないだろう。
「……まあいい。どうせ“彼女”が明るみに出れば、世界は動かざるを得なくなるんだからな」
 すっと立ち上がり、格納庫を占めている巨大な“箱”に近付いていく。
 相変わらずこれだけは慣れない。もう二十年もの付き合いにも関わらず、この瞬間だけは初恋の先輩に、ラブレターを渡そうとしている童貞少年のようになってしまう。
 “箱”に手を当てる。実際は“箱”の間は空洞であり、触れていないのだが、どうしても“彼女”を肌で感じている気がする。いつ見ても惚れ惚れする美しさだ。たとえ壁があっても、その輝きを決して曇らせることはない。
 もっとも、今はその姿を黒く染めている。眠っているのだ、目覚めるその時まで。
「待っているよ、搭乗者が乗り、君が本当の姿になるその時を……」
 御剣は一言、恋人に愛を語るように囁いた。
「スクルド、君は世界にどんな“未来”を見せてくれるんだい?」

 今日はツキ過ぎている、と未来は思った。放課後の校舎、部室に向かいながら。
 朝練ではサーブ百発百中だし、アタックは全部ブロックを抜けるし、数学の抜き打ちテストもスイスイ解けて百点いくのではないかと自己採点してしまうほどである。茜ちゃんにも「今日ずいぶん調子いいじゃない」と言われる始末。でも未来は浮かれる気分になれなかった。
 どうも上手く行き過ぎている、と感じていた。このわりと短い人生で今までこんなについていたことがあったろうか。いやない。そのラッキーの大盤振る舞いが、未来には逆に恐怖すら感じさせた。
 何か起きるのかもしれない、とか。
 これで運を使い果たすのかもしれない、とか。
 そんな不安が頭をよぎる。別に運がいいなんてことじゃない。たまたまお前の都合がいいよう物事が動いただけだ、と極端なまでの無心論者なあいつなら笑うかもしれないが、私には無理っぽそうだ。
 ――どうしてなんだろうな。
 どうしてあいつはあんな生き方が出来るんだろう。自由奔放で、誰の目も気にせず、好きなように生きれる――茜ちゃんは例外だけど。正直、あいつが羨ましい。
 人の目を気にするようになったのはいつ頃だろう。多分、みんなが変わったという中学、あの最後の夏。
 ――違うか。もっと、ずっと前か。自由奔放に生きているフリをしていただけ。
 変わったんじゃない、正体を現しただけだ。本当はずっと弱く、脆い人間だと明らかになっただけだ。
 あるいは、あの夏の日まで自分でも気付かなかったのかも。自分がそんな人間だなんて。鈍感だなあ、ホント。
「……帰ろ」
 ダメだ、とても部活する気になれない。朝はあんなに調子良かったのに、と泣きたくなる。ちょっとだけ夕の笑顔が浮かんだ。
「……って何考えてるの私!?」
 頭をブンブン振って脳内に焼きついた画像を消去しようとする。――それはもったいないような……ダメダメダメ!

「やぁーーー!!」
 少女は咆哮すると同時に飛び込むように前へ踏み出し、竹刀を相手に突き出した。喉当てに喰い込むように突き刺さった竹刀は、相手に「げふぅ」と潰れたカエルのような声を出させ、後ろへ吹き飛ばす。
「うわあ……出た必殺の突き」
 剣道場の端で見ていた私は、そのあまりの凄まじさに脅威すら感じていた。相手選手、190cm近くあるのに気絶しちゃった。男のクセに。あ、タンカ来た。
 吹っ飛ばした剣道少女、さすがにやりすぎたかと面の上から頭をポリポリ掻いている。部長らしき人がやってきてガミガミ説教を垂れ、しばらくしてやっと解放された。床に座り、面を外した少女に駆け寄る。
「茜ちゃん、すごかったよ今の突き?」
「あれ、未来? どうしたのこんなとこで。バレーは?」
 ポニーテールを解放した剣道少女、茜ちゃんは不思議そうな顔をする。今は部活中だし、当然かな。
「今日はちょっと調子悪いから……サボり」
「ええ? 朝あんなに機嫌よかったのに」
 怪訝そうな顔をされたけど、まあ自分でもよくわかっていないぼんやりとした感情が原因だから説明できない。茶を濁すことにした。
「ううん……私も不思議なんだけど、今日はもう帰ることにしたんだ。ちょっと寄っただけ。でも相変わらず凄いね、さすがはロケット剣士」
「未来……その名前で呼ばないでって言ったよね?」
 しまった、と口を塞いだけどもう遅い。目の前に笑顔があった。少しも笑っていない、黒いオーラが見える笑顔が。
『ロケット剣士』の二つ名を名づけたのは夕だった。小学生の頃から剣道を習っていた茜ちゃんは才能があったのかメキメキと腕を上げ、全国大会に出るまでになったが、その得意技が『突き』だったのだ。無論小中学校では突き技は禁止なので公式大会では使わなかったが、その当時から「茜の突きは死人が出る」と有名だったらしい。高校で解禁されたらその実力を見事に発揮した。本来突きとは決まりづらい技だと言うけれど、茜ちゃんは持ち前の瞬発力で身体を押し出し、まるで爆発したかのように突くことから『ロケット剣士』と夕が名づけたのが何故か浸透してしまった。本人は不満に思っていて、言うとこのように怒るんだけど。
「あはは……それじゃね!」
「あ、こら待ちなさい!」
 待てるわけがない。そのまま全力ダッシュ。今ならロケット剣士にも勝てるかもしれないという瞬発力で。

 セイヴァーズとゲルダーツヴァイが戦闘状態に入った、という情報が入ったのは、そろそろ目的地の港へ着くころという時間だった。空も夕焼け色が濃くなってきた視覚的にはいい時間なのに、全く楽しめる余裕はない。
「ユニコーンが発進されてるんですか?」
「仕方ないだろ、連中がやり合ってんのは目的地の目と鼻の先なんだ、下手すりゃ巻き添え食うかもしれない。そんなことならないよう努力はするけど、あいつら軍人じゃないから何するか読めないからね」
 リヴァルが発する言葉一つ一つに、強い毒が感じられた。気のせいかもしれないが、そういえば相模も富田君も似たような反応をしたことがあったが……いや、そんなことはどうでもいい。聞くところによると、あの巨大新型空中戦艦テルマを起動させたそうだ。国連軍の三分の一に匹敵する戦闘能力を誇るというテルマが相手では、さすがのゲルダーツヴァイもただでは済まないだろうが、周辺の被害も相当なもののはず、こちらに飛び火しないと考える方が無理だ。ユニコーンを呼ぶのは正しい判断だ。
 しかし……何故だろう、ひどく嫌な予感がする。とてつもなく、嫌な予感が……。
 と、そこで機体が激しく揺れた。
「!?」
「な……状況を報告しろ!」
 リヴァルも最初は焦った顔をしたが、すぐに冷静さを取り戻して操縦席に連絡を入れる。
『わ、わかりません、風速計器共に正常! 異変は機体内部からだと思われます!』
「機体内部……まさか!」
 揺れを必死に堪えながら、格納庫に戻る。扉を開けた途端、強烈な紅い光が目に刺さった。
 紅。紅い光。その単語によってあるものが浮かび、必死に目を凝らすと、格納庫は炎で包まれていた。いや違う。炎のように紅い光が、“箱”から放出されているのだ。
「これは……」
『ちょっと! 聞こえるかい旦那!』
 呆けている暇もなく、リヴァルが格納庫のマイク越しに叫んでくる。
『こうなったら仕方がない、荷物を降ろすよ!』
「なっ! ば、馬鹿なことを言うな! あれをこんなところで捨てると言うのか!?」
 信じられない発言にマイクを壊す勢いで食って掛かる。
『輸送機揺らしてるのおたくの荷物なんだろ!? 下は海だ、やろうと思えば回収もできる。このままじゃ墜落するぞ、それでいいのかい!?』
「冗談じゃない、そんな真似できるか! あれがなんだかわかってないからそんなことが言えるんだ!」
 反論しながら、彼女が正しいことも理解していた。このままでは墜ちる。原因を捨てなければどうにもならない。回収も可能だ。第一、ほとんど説明せず仕事を任せたのにわかっていないなどとは筋違い甚だしい。
 しかし、それでも捨てることなど出来ない。
 あれを、あのものを。いや、彼女を。
『いいから、さっさと格納庫から出な! これからハッチを開ける、飛ばされるよ!』
 言い終わらないうちに、ハッチがどんどん開いていく。強風が格納庫内に入り込んでいく。
「や、やめろ!」
 このままでは落とされる、と“箱”を掴み取ろうとするが、光と風に阻まれて近付くことさえままならない。そこに、突然バタンと格納庫のドアが開いた。
「いい加減にしろあんた! 早く逃げろ!」
 リヴァルが業を煮やしたのか、戻ってきたのだ。襟首を捕まれ、抵抗も空しく格納庫から出される。そのすぐ後に、ゴトンと何か大きな音がして、揺れが収まった。
「あ、ああ……」
 なんてことだ、なんてことをしてしまったんだ。怒りと悔しさと無力感に苛まされ、拳で壁を叩き、リヴァルを睨みつける。リヴァルは平然とした顔で、
「あんたのお仲間から緊急連絡来てるよ、出てやったら?」
 とだけ言った。怒りで胸がいっぱいであったが、禁止されている緊急連絡を行使してまでの事態は気になる。操縦席に入り、レーザー無線を取る。
「どうした相模、あいにくこちらは忙し……」
 忙しい、と言い切る前に、無線の相手である相模の言葉に口ごもらざるを得なくなった。沈黙を理解していないと捕らえたのか、相模はもう一度だけ告げた。
「……神獣が出てきただと!?」

「はあ……」
 私はちょっと遠出をして、近くの港まで来ていた。どうしてもそのまま帰る気にならなかったのだ。堤防の上にのぼって座り、その場にあった石を拾って海に投げる。ポチャンと波紋を上げ、すぐに見えなくなった。
 ――何してるんだろうなあ、私。
 調子が悪い、の一言で片付けられることは片付けられるが、そんな甘いものでもないのかもしれない。心の中にあるのは、空虚感。何か違う、どこか違う、そんな形のない、あるかどうかもわからない感覚。
「……これからどうしよう」
 あるいは、悩みの種はこれかもしれない。進路が未だ決まらないのだ。取り立てて資格も持っているわけではないし、バレーだってうちでは優秀だけどスポーツ推薦出来るレベルじゃないし、大学も――行けないことはないが、どこの何を専攻すればいいんだろう。就職はうちの親も反対はしないと思うけど、あいにくバレーに集中しすぎてバイトする暇もないのでコネもなし、結論を出すとフリーターという選択肢しかないわけだ。
 ――どうすればいいんだろうなあ……
 未来(みくる)。未来(みらい)を強く生きて欲しいと願われて着けられたこの名前。今となっては皮肉みたいに聞こえる。なにしろ、行くべき未来(みらい)がわからないのだから。
 でも、未来(みらい)というのはそういうものだろう。誰にもわからず、誰も知らない新たなる場所、未だ来ぬもの。それが未来。
 ふと振り返ると、向かいに場違いなほど見事な桜の木があった。でもまだ寒いのか、桜は全部蕾のままだった。
「……花、かあ……」
 ふと、昔のこと、小学生くらいのことを思い出していた。
 恐怖の必中女などと呼ばれ男共を震え上がらせ、男女とか男もどきとか色々言われてたあの時代の自分が今の自分を見たらどう思うだろう? 喜ぶかな? 花みたいになれたって。……いや、思わないだろう。もしそうだとするのなら、この空虚感は何?
「でも、そうやって何も判らずに生きるってのが、未来に生きるってことなのかなあ……」

『――違うわ』

「……えっ?」
 声が聞こえた。
 辺りを見回すが、夕焼けに染まった海鳥以外誰もいない。気のせい?

『そうじゃない、未来に生きるというのは、そういうことじゃないの――』

「……!?」
 今度は確実に聞こえた。どこからともなく。
 いや――違う。声が発された場所はわかっている。
 私の、頭の中だ。
「な、な、な……!」
 頭を抱え、ガンガン叩いてみるが、その『何か』は消えることなく残っている。言葉を、紡いでいく。

『さあ……貴方に未来を見せてあげる』

 フッと、声が途切れた。頭の中の違和感も消える。
「なんだったの……今の」
 そう言ってみても、答えてくれる人など誰もいない。
 いや、来た。
「ん――?」
 奇妙な音を聞き頭を上げると、空からでっかい箱が落ちてきた。
「う、うわあっ!」
 思わず悲鳴を上げるが、箱は私から全然外れていて、海に落ちた。が、落ちた衝撃で軽い津波が発生し思いっきり頭から海水を被る。
「うわあ……ビジョビジョ。ってそれどこじゃないや」
 落下地点を見てみると、何か泡がブクブク立っているが浮かび上がる気配はない。多分箱の中身がずいぶん重いんだろう。
 ――違う。
 なんでだろう。理由も根拠も何もないけどわかる。いや、感じる。
 箱の、あいつの、
 彼女の、息吹を。
「……来る」
 そう言った瞬間、
 海を吹き飛ばす勢いで、箱が浮き上がり、空中で静止した。30m近い箱は落ちた衝撃で酷く損傷していて、原型をかろうじて維持している程度だ。場所によっては完全に剥がれ落ちて、中身が剥き出しになっているところまである。
 その剥き出しになっている面から、突如光が溢れた。
 紅い、夕焼け空など児戯に等しきほど美しい光が。
「っ……!」
 その強烈な光に目を晦ましながら、それでも一瞬も視線を外さずにいた。外せなかった。
 強いながらも暖かい、優しいその光に。
(あ……)
 そこでやっと思い出した。夢の中で私を優しく包んでくれた、あの炎を。
「貴方……だったの?」
 箱は、答えるかわりにガラガラと崩れていく。光はやがて形を作り出していき、何かが現れようとしていた。
 その光景に釘付けとなっていた私は、気付けなかった。
 近付いてくる、邪悪な影に。

「くそっ……! 状況はどうなっている!」
 潜水艦『アノマロカリス』艦内、艦長である富田英敏は苦虫を噛み潰したような顔で叫ぶしかなかった。
「周辺でセイヴァーズとゲルダーツヴァイが戦闘しているらしく、メテオジャミングの影響で長距離連絡が使えません。詳しい状況は不明ですが……」
「詳しくなくていい! わかる情報だけでも言え!」
「りょ、了解!」
 通信手に怒鳴り散らす。馬鹿なことをしているとわかっていても、飛ばさずにはいられなかった。
 今“箱”が落下した地点に接近している敵は、間違いなく一ヶ月ほど前に自分たちが仕留められなかった奴だ。逃げるしか方法がなかったとはいえ、よりによって輸送中のあれが狙われるとは。哨戒の艦隊は何をしていたんだ? ゲルダーツヴァイに追われて気付かなかったのだとしたら、とんだ素人集団らしいな自衛軍は。……数ヶ月前までいた場所を馬鹿にするのは変な気分だ。
「通信来ました。敵神獣、登録名『SE-1』は“箱”に急速接近中。あと数分で接触するとのことです」
「……仕方がない。機関最大、敵神獣SE-1を撃退する」
 命令を発した途端、発令所内がどよめき立った。
「し、しかし我々の存在を一般に知られるわけには……」
「ぼぉけ! 機密なんて神獣が出てきた以上もはや解禁だろうが! それにあれが壊されたら元も子もない! あいつらに対抗できるのはあれだけなんだぞ!」
 激を飛ばし、乗員たちを戦闘態勢に入らせる。こういう時は自衛軍にいた時が懐かしいと思う。ここはどこまで言っても“自警団”みたいなものだから完全に上意下達が出来ていない。それでも艦を起動させ、急速発進する。
「やれやれ……ずいぶん乱暴な起こし方になっちまいましたね、お姫様?」
 高速で走る艦の中、あれ……伝説の戦姫に思いを馳せた。

 箱が崩れていき、中から光り輝く何かが生まれようとしている光景は、さながらサナギから蝶になる姿に似ていた。
「綺麗……」
 見惚れるとは、このことだろう。まだ全体像は明らかになっていないものの、断片的な姿だけでもその何かは美しかった。
 それも、ただ美しいだけじゃない。
 強さ。生きているものの輝き。可憐ではない、強く生きたいと願う生命の力を、なんとなくだけど感じさせてくれた。
 もう少しで明らかになるその力の姿を早く見たいと思った。
 だけど、
「……!?」
 突如、強い波がこちらに迫ってきた。
 いや、違う。すごいスピードで何かがあの箱に突っ込んで来ているんだ。
「あぶ……!」
 ない、という暇もなく、その何かは箱に、美しい光に喰らいついた。
「……っ!」
 息を呑む。水面をぶち破るように出現した何かは、信じられないほど大きな化け物だった。
 50m近くあろうかという姿はヤドカリに似ている。巻貝のような螺旋の貝殻を持ち、殻の外側はギザキザ尖った棘が生えている。しかし殻の中身は巻貝のそれではなく、獰猛類のそれに近い。裂けているかのような大きな口で、鋭く尖った牙を剥き出しにしている。そんな頭部にも拘らず殻の中からはご丁寧に大きなハサミが突き出している。あらゆる動物の禍々しいところだけを集めたようなそのデタラメさは、おおよそ自然界の生物とは思えない。
 その怪物は、箱に喰らいついたまま、海中に再び沈んでいった。
「――!」
 だけど、その時私は異形の化け物に恐怖など微塵も感じていなかった。
 あったのは、怒り。
 自分でも信じられないような激しく、強い、燃えるような怒りの心に満ちていた。
 せっかく、せっかく誕生するはずだった美しい光を汚された怒り。汚した異形の化け物に対する強烈なまでの憎しみ。
 今の私、いやあたしの中はそれで満たされていた。
「……許さない」
 考えた行動ではなかった。というより、その時のあたしの心は激情で満ちていて、何か物事を考える余裕などなかった。
 ただ本能に任せるまま、海に飛び込んだ。
(……っ!)
 まだ春先のこの季節、水泳にはまだ早く海は非常に冷たかった。だがそんなの気にもならない。あたしの心で燃えている炎を消すにはあまりにも頼りなさ過ぎたのだ。
(どこ、どこにいるの……)
 海の中は想像以上に暗かった。思ったより早くあの化け物は沈んでいったのか、もう何にも見えない。必死に潜水するものの、肺の中からどんどん空気が無くなっていく。
(助けなきゃ、助けなきゃ……!)
 息を堪え、ただ目を走らせる。探さなくちゃ、見つけなくちゃ、助けなくちゃ。
 あの、綺麗な光を。
 と、その時、強烈な光が海中を走った。
(……!?)
 圧倒的な光に目を瞑ると、突如息が楽になり、ふわっと体が浮かんだような感覚が来た。
(え……?)
 その瞬間あたしは、暖かい光に包まれていた。

「おいちょっとあんた! 何が起こってるんだい!?」
 輸送機の中で、リヴァルが私に掴みかかっていた。
 無理もない。落とした“箱”が宙に浮かび上がり輝いたと思ったら、今度は50m近いヤドカリの化け物が“箱”に喰らいつき沈み、今また海が紅く光りだしたのだから。
「やっぱあれはまともな代物じゃなかったようだね……とんでもない貧乏くじを引いちまったようだ」
 端正の取れた顔が歪んでいる。激怒というより、憤怒と言った方が適切か。当然だな、虚偽の以来という最大のタブーを犯し、しかもフタを開けてみれば中身が化け物関連だったのだから。
「……依頼を偽ったのは謝ります。しかし、おいそれと話していいものではなかったのです」
「ふん、こんな仕事してたらそんなの慣れっこだけどね、それと実際にやられるのとは違う。きっちり落とし前つけて貰うよ!」
「お好きなように。しかし今は……!」
 言葉を発する前に、ひときわ大きな光が辺りを包んだ。とても目を開けていられない。
「おい、なんなんだあれは! BWなのか!?」
「……馬鹿を言わないで貰いたい……!」
 BW? 冗談じゃない、あんな人が作った出来損ないの木偶人形などゴミに等しい。あれは、彼女はそんなものではない。
 伝説の存在。かつて世界を自らの手で狂わせた人類の裁きとして現れた神々の獣たち。その中で、愚者たる人類を救った伝説の戦士、いや……
「……なに!?」
 光が弱くなっていき、具体的な形――巨人の姿が見えてきた。
 西洋の騎士を思わせる甲冑でもあり、それでいてどこか生物的な野生を感じさせる外殻。炎を纏っているように見える鎧は、それでいて貴婦人のような美しさを感じさせた。
 そしてその巨人は、まさに燃えるような紅色に染まっていた。
「あ、ありえない! 搭乗者すら乗っていないのに戦闘形態になるなんて……!」
 隣でリヴァルが何を言っているんだという顔を向けてきた。わけがわからないのはこっちも一緒だ、搭乗者どころか誰も乗っていないのに、本来の姿になるわけが――
(――待てよ。さっきどうして突然揺れだした? まるで、わざと落とされたように……)
「……まさか」
 その時、水面からSE-1が飛び出してきた。また喰らいつく気だ。
 未来を、食い殺そうと。
「やめ……!」
 やめろ、と言葉にならなかった。止められてしまった。
 喰らいつかんとしたその牙が、戦姫によって先に止められてしまったのだから。

「はあ……はあ……」
 ――あたし、何してるんだろ。
 ふらふらする意識の中、あたしはボーッとそれだけを考えていた。いや、実際には考えてなどいない。頭が軽くなったような夢心地にいた。
 海の中でどうなったのか覚えていない。気がついたときには、あたしはこの中にいた。どこだかわからない。周りは動物の殻のようなもので覆われていて、脈動しているようにも見える。いつの間にかあたしは何も着ていなかったけど、そんなこと構っていられない。
 目の前に、化け物がいた。さっきあの巨人――違う、“このあたし”に喰らいついてきた不届きものが、あたしの右手に押さえつけられている。
「……邪魔よっ」
 鋼鉄の右腕で弾き飛ばす。水面に叩きつけられるが、すぐに体勢を立て直しまた飛びついてくる。さすがにこの程度ではどうにもならないか。
「はあああああああああ……!」
 右腕を構え、力を集める。集まった力は炎となり、拳を紅蓮に燃やす。
 正直、自分が何をしているのかよくわからなかった。まるで夢の中にいるような感覚で満たされている。ただ、これだけはわかった。
 目の前の怪物は、敵だ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
 突撃してくる敵に合わせ、拳を眉間に叩きつける。
 喰い込んだ燃える拳は化け物の身体に燃え移り、一瞬で爆裂した。
 焦げた肉片が海にボタボタ落ちて、水面を赤く染める。
「はあ、はあ、はあ……」
 倒した。そう思った瞬間、私は意識を失った。

「な、なにが起きたんだい……」
 たった数分にも満たない出来事だった。それでもリヴァルは息を呑み、自分が見たものを信じられずにいる。まあそれが普通の反応だ。だが、私はそんなことしている暇はなかった。
「……見つけた」
 そう、見つけた。対神獣対策での唯一の懸念事項だったものが、ここで一つ解決した。いいやそれどころではない。
 今、未来が開けたのだ。
「……スクルド、未来はやはり、君の手にあるんだね」

 ――発見された巨人は、年代測定機により一万年以上前のものであると判明、にわかには信じ難いが、一万年以上前に超高度に発達した文明が存在していた証拠に他ならないだろう。
 古文書よりこれらの巨人は『戦姫』と称されるが、ここでは分別上通称として別名を着けることとする。
 時の彼方より出で、古来の戦を収め世界を救った勇者、戦姫……
 私はこれらの巨人を、北欧神話の時の女神に基づき『ブレイブノルン』と呼称することにした。
                        神武大学助教授、御剣拓斗の覚え書き

 GIGANTOMACHIA~巨神戦姫ブレイブノルン
 第一話・目覚めるは女神なり



 ――NEXT
「古文書より戦姫は時を象徴しているらしい。それ故私はブレイブノルンと名づけた」
「戦いに関係ない人間なんていやしないよ。ただ、みんな自分の喉元に銃を突きつけられるまで気がつかないだけでさ」
「何してるかわかんないけどさ、義務とか、無理矢理せがまれてやるようだったら辞めればいい。けど、もう一度深く考えて、やりたい理由があるんだったらやればいいんじゃないか?」
 次回 第二話『決意、紅く燃えて』


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