Last Esperanzars

Last Esperanzars

新訳サジタリウス2

  1TURN 地獄から楽園へ

「ん……?」
 強い風を感じた。
 瞼越しにも眼を潰さんが如く押し寄せる強風が一機の身体を責める。
 だけど、何も聞こえない。風の音、そして自分の呼吸の音すら。
 なんだこれは? どうなっている? 恐る恐る眼を開くと、
「え……?」
 目の前に、赤があった。
正確には、真っ赤な血で染まった、巨大なトカゲの頭部。
「ひっ……!」
 自分の身体より大きいそれに驚き、腰を抜かす。
 すると、突然辺りが暗くなった。
 夜? と思ったが違う。影に入ったんだ。――何の?
 ギョッとして、空を見上げた。そこに空はなかった。
 あったのは、毛むくじゃらの十メートル近い巨人の肉体だけ。
「う、うわあっ!」
 仰天して、その場を逃げ出す。巨人はどうやら気付いていないようで、頭部を切り取られた巨大トカゲを肩からぶら下げている。
 巨人の姿はゴリラの類ではなく、明らかに人間のそれであった。どちらかと言うと、本で見たネアンデルタール人に近い。毛むくじゃらで顔がわからず、ずんぐりむっくりしている。
 なんだこれは? 落ち着こうと、とりあえず周囲を確認する。
 何もない荒地。草一本見当たらない、砂埃が濃い広々とした――いや、砂埃が晴れていく。同時に何も聞こえなかった耳が、少しずつ音を感じてきた。
「……な」
 最初に飛び込んできたのは、家一軒ほどの大きさがある斧だった。
 その斧を持った巨人が、その巨人よりはるかに大きい化け物サソリに集団で向かっていく。
 まさに、ガリバー旅行記に記された巨人の国そのままの光景。
「なんだ、これ……!」
 あり得ない。信じられない。頭でそう否定しても、目に映るサソリに飛びかかる巨人達の姿、鼻につく血の匂い、耳をつんざく雄叫び、口に入る鉄臭い砂の味、そして肌に押し寄せる風の痛さは変えられない。
 巨人が歩くたびに足元がグラつく。とても立っていられない。この巨人はいったいなんなんだ? ギリシャ神話のタイタン、あるいはデイダラボッチ……て、んなこと考えている暇はない。ここから逃げなければ、踏み殺される。
 這って逃げ出そうとするが、強い地震の中にいるみたいな地面ではその場を離れることすらままならない。必然のた打ち回るだけだ。
「ち、ちっくしょう……」
 殺虫剤撒かれたゴキブリじゃあるまいし、なんでこんなわけわからないところでジタバタ悶えてるんだ俺は? 俺が何したってんだ。俺が……
 ――何もしてないからじゃないのか?
「……え?」
 その時、どこからか嘲笑うような声がした。
 いや、これは――
「……っ!」
 一瞬硬直した刹那、目の前に斧が降ってきた。
 そして巨人が、光の間に立ってこちらを見下ろす。
「ぐ、あ……」
 もうダメだ。振り下ろされる斧に目を逸らし、地面にうずくまった。
 異様に長く感じられた死刑宣告は、
 ガキャアン! と鳴り響いた金属音で終わりを告げた。
「……え?」
 唖然として見上げてみると、そこには巨人がいた。
 いや、巨人と言っても、さっきまでのような禍々しい野人とは全然違う。
 銀の全身鎧に身を包み、ロングソードを構え、悠然と巨人に立ち向かう騎士。――違う。
 あれは巨人、人じゃない。鋼鉄の鎧の下に、鋼鉄の肉体を持つ――ロボット? まさか。鉄伝じゃあるまいし。
 でも……
 意識が遠くなってきた一機の心の中に、意思も感情もあるか判らない鋼鉄の巨人に対し、場違いなある思いがあった。
 ――滑らかでスラリとした銀の肢体、それに反するように背中には金髪の後光を携えて、例えようもなく――
「……綺麗だ」
 そこで、一機の意識は完全に失われた。

「ん、んんぅ……」
 気がついたら、一機は寝具に横になっていた。
 ――夢?
 今まで見たものを思い出す。巨大なトカゲの頭に、それよりもっと大きな巨人。それに殺されそうになった時出てきた、鋼鉄の巨人……ああ、夢だな。
「なんだ……夢か。そりゃそうか。あんなの夢以外なんだってんだ」
 しかし、ずいぶんリアルな夢だった。まあ、大抵夢なんて見てるときはそんなものか。正直、ちょっと残念な気がするが……って、何言ってんだが。
 鉄伝のやりすぎかな、と失笑した一機は、被っていた寝袋を払い起き上がろうとした。――寝袋?
「!?」
 がばっと飛び起きる。その時やっと状況を把握した。
 一機が寝ていたのは、茶色くて薄い古ぼけた寝袋だった。無論根っからのインドアである一機にミリタリー趣味があるわけがない。ましてやキャンプなど経験自体が無い。小学校の宿泊学習にすら行かなかったほどだというのに。
 だとすれば、こんなものを家で使っていたか? なわけあるか。引越しの際冗談半分で買った数十万レベルのベッドだってもう少し寝心地がいい。こんなに下固くないし……下?
「な、な、なんだこりゃ?」
 周囲を見回す。そこには信じられない光景が広がっていた。
 全面、岩。昨日の鉄伝に出てきた崖の中、というよりは洞窟のような様相だ。俺はダンボーラーでもなければ派遣切りにあってもいないぞ?
「な、なにが起こったんだ……?」
 まさか自分の寝ている間に世界が滅んでこんな荒地に……ないな。どうもパニック起こしているようだ。落ち着こう。
冷静に考えれば、自分が寝ている間に移動したというのが適切だろう。……なんで? 俺に夢遊病の気あったっけ?
「いやいやそれはさすがにないだろう。ということは……誰かに連れ去られたか? ――ないな。俺を攫って何かいいことが……あるな」
 ため息をついた。こういう時でないと自分が金持ちであることを忘れてしまう。別に自分の金じゃないが。
「しかし、誘拐だとしてもこんなとこにほっぽり出すてのも変な話だよな。だいたい……」
 周りをよく監察してみると、洞窟の中だというのに微妙に明るい。どうも岩肌から弱い光が出ているようだ。ヒカリゴケ……いや、あれは自発的には光らないから、発光バクテリアを寄生させた苔でもあるのか?
 それに何より、自分が巻いてた寝袋以外に、寝袋が山のようにある。寝袋以外にも飯ごうとかキャンプ用品がどっさりだ。テレビで見た山岳探検隊みたいだなこりゃ。
 やっぱりキャンプか? しかしそんなもの参加した覚えはない。昨日は賞金狙いのハンター共を駆逐してそのまま授業のため寝たはず……昨日?
「あれ……昨日、何してたっけ……」
 思い出せない。いや、鉄伝で敵を撃破したのは確かだ。それは覚えている。でも、その後が思い出せない。いや、その後一回起きたような……
「……あ」
 よく見てみると、一機は制服を着ていた。枕元にはカバンも安売りで買った新品のシューズもきちんと並べられてある。カバンの中には明日――否、今日の授業で使う教科書も。
 やっぱり一回起きて学校に行ったらしい。ノートは……真っ白だ。これじゃ授業を受けた確証はないな。まあいつもそうだけど。
「お、あったあった」
 携帯で日時を確認する。十一月十一日ってあれ? 確か明日は十日じゃ……一日経ってやがる。やっぱ何かあったんだ。
 時間は……夜九時。いかん、いつも観てるドラマが始ま……そんな場合ではないか。
 携帯は……圏外か。まあ洞窟の中じゃ当たり前か。外へ出ないと。 
「ここにいてもらちが明かないか。しょうがない、出口探そう」
 正直当てはない。だけどこのままというわけにもいかん。適当に歩くしかないな。カバンを取り上げて歩き出す。
「しかし、なんかずいぶん歩きやすいな。下もわりと平らだし、苔も生えてないし……」
 ひょっとすると洞窟じゃなくて、坑道なのかもしれない。でもそれにしては大きいから、自然の洞窟を利用しているとか……ないか。坑道でキャンプ張る奴がどこにいる。せいぜい山師くらい……あ、あるな。
 なんて馬鹿なこと考えていると、目の前にヒカリゴケ以外の強い光が入ってきた。外だ。出れたんだ。「やった」と言おうとして、足が止まる。
 光? 太陽? おかしい。携帯の時間は夜中を指している。月食の時期ではないし、月食でこんな明るかったら異常気象だ。
 ならば太陽じゃないのか? 電灯? 違う、あんな強くて自然な光はストロボでも出せまい。となると……
 ゆっくりと足を動かす。ぽっかり開いた入り込む光は……やっぱ太陽だった。
 携帯を確認する。時間はそのまま、PM九時だ。一機は心底呆れて、深々と息を吐き出した。
「まただよ……時間狂ってやがる。ビデオデッキといい炊飯器といい、どうしてうちの電化製品は放っとくとみんな狂うんだ。半日近く狂ったのは初めてだけど」
 いや、朝九時と判断するのは早計か。太陽の高さから見ると昼間かもしれない。それにもう月日も信用できなくなったから、十一日というのも怪しい。もっと経っているかもしれない。
「にしても、圏外のままか……当然かな、この環境じゃ」
 洞窟から抜け出た先にあったのは、一面木、いや森。十メートルはありそうな高木が見渡す限りズラリと並んでいた。どこかの山か。群雲市にこんな生い茂った山あったかな……わからん。
 何にせよ、ここまで来たら進むしかない。太陽が見れて明るくなった気分を糧に、周囲を一応警戒しながら進む。
「しっかし、木ばっかだなホント。ここ群雲じゃないのかな。昔遠足で山に登ったことあるけど、ここまで深い森は……っと」
 つい雑草に足を取られ転倒しそうになった。とっさに体勢を立て直すが、うっかりカバンを落としてしまう。中のものがそこいらにぶちまけられる。
「あっちゃあ……やっちまった。なんか壊れなか、ん?」
 ふと、見慣れた学習道具の中に奇妙なものを発見した。キラキラ輝く、野球のボールのようなもの。
「なんだ、こりゃ?」
 拾い上げたそれは、ゴツゴツ固かった。それでいてその手の平大の物体はキラキラ輝き、透明で向こうが透けて見える。ガラス玉、いや、
「ダイヤモンド? まさかな、こんな馬鹿でかいダイヤなんかあったら大事――え?」
 そこまで言って、妙な気分になった。
 既知感、デジャブと言うのだろうか、かつてまったく同じことを、まったく同じ状況で口にしたような……。
「……つっ!?」
 そこで、頭に激しい痛みが襲った。頭部全体を叩き潰そうとするその痛みに意識が遠くなる。同時に、見に覚えのない光景が頭をよぎった気がした。
 やはり、何か忘れているのか? 途切れそうな意識をなんとか落ち着かせて、とにかく休める場所を探そうと足を動かした。すると、急に森が開けた。
「あれ……?」
 木がなくなり、目の前にあったのはうっすら生えた雑草と、さっきの玉より数倍キラキラ輝く水面――水面?
「水っ!?」
 目の前にあったのは小さな湖だった。いや、池と言ってもいいかもしれない。元々どちらも大して違いは無いして、そんなことはどうでもいい。
 一機は水際に飛びついた。乾いていた喉を一気に潤す。気のせいか、そこいらのミネラルウォーターより美味い気がする。
「ふう……生き返ったぁ」
 たらふく水を飲むと、一機は仰向けに寝転んだ。
「あーあ、水飲めたのはいいけど、どこなんだここは……やっぱ群雲じゃないのかなあ。でも俺群雲の地理知らないから、湖あるかもしれないか」
 生まれてこのかたろくに離れたことも無い故郷に対しとんでもない台詞だが、気にせず一機は考察を続ける。
「群雲じゃないとしても、相当な田舎なのは確かだな。まだ携帯が繋がらない……いっそ日本じゃなかったりして、はは」
 失笑すると起き上がり、また歩こうとしたら、視界の隅に何かがよぎった。
「あん?」
 生い茂る雑草の中場違いな色をした物体、純白のそれが目に止まり、拾い上げる。薄っぺらい布だった。
「なんだこりゃ? ハンカチにしちゃ小さいし、形も変だ。丸っこくて三つばかし穴が開いてて……!」
 赤くなって思わずその布を地面に落とす。それが女物のショーツと気付いたのだ。
「な、なんでこんなもんがここに!?」
 どこかの洗濯物が風に流されて来たのだろうか。それにしては近くに民家がある様子はない。あるいは――いや、まさかな。
 ともかく、どこから来たのか探さないと。辺りも探っていくと……。
「……うわ」
 お宝を発見した。
 一機の眼前には、隠すように置かれてある大量のTシャツ、ズボン、そしてショーツ。そしてそれ全てが、恐らく女物であった。
 なんだこれは。どっかのゴミ業者が大量の不法投棄でもしたか。あるいは潰れた衣料品店が処分をめんどくさがってそこらに放り捨てたか。もしくは――いや、だからないってばそっちの線は。
 何故か高まる胸の鼓動を無視しつつ、とりあえずそこから離れる。居続けては自分の中の何かがおかしなことを言い出しそうな気がしたのだ。
 水辺には人が住むもの、という言葉を聞いたことがある。水は大事なものだから間違いあるまい。この現代社会でも、こんな綺麗な湖なら別荘でも建ててる金持ちがいるかもしれん。そしたらなんとかなる。というわけで、水辺に沿って歩くことにした。
 しかし意外と大きい湖だ。幅は狭いが長い。フランスパンみたいだなこりゃ。しかもところどころ木が生えてて歩きづらい。
「よっ、はっ、うおっと」
 アスファルトに慣れきった足には辛い生の地面に一機が苦戦していると、木の葉と背の高い草がカーテンのように、前方を覆い隠しているところに来た。
「ああもう、邪魔っ気だなおい。うりゃ!」
 ヤケになって自然のカーテンに突っ込んだ。薄いカーテンは二つに裂け、一機を通す。
「ふう、まったく迷惑な……え?」
 その時、目に映ったものを知覚した一機は、自分がまた夢を見ているのだと思った。
 キラキラ輝く湖の水面。
 そこから少し目を上げた先にある、水より一際美しく輝く黄金の髪。髪から流れ落ちる雫は、白くてきめ細かな肌に伝わっていく。
 まるでヴィーナスの絵画のような美しすぎるその姿が、現実のものであるとはとても思えなかった。
 だから、思わず、
「……綺麗だ」
 と呟いてしまった。
「む?」
「え?」
 呟きが聞こえたのか、水浴びをしていたらしいヴィーナスがこちらへ振り返った。と同時に、背中の反対側にある二つの大きなスイカが揺れた。
「…………」
「…………」
 沈黙。
 これが女神アルテミスだったら、すぐさま一機は鹿に変えられて殺されるだろう。だがあいにく、と言っていいかわからないが今その裸体を晒しているのは女神ではなく人間だった。
 呆然としているその顔は、どう見ても女神でも妖精でもない、人間のそれだった。歳は二十代前半だろうか、少々釣りあがった碧眼、大人の魅力を持った日本人離れしている端正の取れた美貌をしている。何より目を引くのは、どう見てもFくらいあるのではないかと思われる二つの……ってそれどころではない。
 時間につれ金髪美女の顔が赤くなっていき――
「な、な、な……!」
「あ、いや、あのその」
 状況を理解し始めた必死に宥めようとするが、目は未だにその裸体に釘付けである。それに金髪碧眼美女もやっと気付いて両手でなんとか隠すが隠しきれていない。それにもう完全に脳髄に焼き付けた、忘れることは絶対にあるまい。
「な、な、何者だお前!」
 金髪碧眼Fカップ巨乳美女(さっきから表現が変わっているが同一人物)は声を上ずらせて叫ぶ。ああ声もいい、人気声優みたいとちょっと恍惚になるがだからそれどころじゃないと頭を振った。でも仕方がない、こんな美女の全裸見ていて正気でいられる男子はよっぽど可哀想な奴か近寄りたくない奴に違いない。
「何をまじまじと見ている! 貴様、覗いておったのか!?」
「え、いや、覗いてなんては……」
 いかん、覗き魔の濡れ衣を着せられようとしている。まあ実際はきっちり眼福したのだから濡れ衣でもないのだが、それでもこれは偶然であり事故だ。これは情状酌量の余地があるはず、実刑は勘弁してくれ、と金髪碧眼Fカップ巨乳美声美女に懇願しようとしたら、
「あーっ!」
 と、第三者の甲高い悲鳴が空気を裂いた。
「むっ!?」
「えっ?」
 金髪碧眼Fカップ巨乳美声スレンダーボディ美女が身構え、一機が何事かと辺りとキョロキョロする。と同時に、
「へ?」
 さっきまで穏やかだった湖の水面から、多数の人間が浮き上がってきた。しかも四方八方から。
「はあ!?」
 仰天する一機。さながら海坊主かジョーズ出現そのままの光景に硬直する。しかし硬直するのはこれからだった。
「貴様、何者! よりによってヘレナ様の裸体を除き見るとは、なんたる悪漢!」
「この下郎! シルヴィア王国親衛隊隊長、ヘレナ・マリュースと知っての狼藉か!」
「隊長、この下衆の始末は私にお任せを! カルディナ神の名において裁いてみせましょう!」
「何言ってんの、殺るのはあたしよ!」
「抜け駆けするな、我だ!」
「……あのー」
 何か殺伐とした様子でとんでもない内容を言い争う総勢数十人の彼女たちに、恐る恐る声をかけてみる。
「何だ!」
「お話の最中口を挟んで誠に恐縮なんですが……その……見えてますよ?」
「え?」
 一機に指差された総勢数十人の彼女達は、揃って自分の下へ頭を下げた。
 そう、彼女達というから、全員女である。歳は来年十八になる一機と同じくらいであるが。
 その少女たちは、どうしてだか湖に潜っていた。しかも水着も着ないで。服のまま入っていたわけでもなくということは自然――
「き……」
 ――全裸だった。
「「「「「「きゃあああああああああああああああああああああああーーーー!!!」」」」」」
 いっせいに悲鳴を上げた途端、一機は本能的に来た道をダッシュで逃げていた。

さすがに連中も全裸で追いかける真似はしなかった。しかし、ネズミの大群よろしく来るかわからん。とにかく捕まると死ぬと思い全速力で逃げていた。
 ちらと、無造作に置かれたTシャツや下着の山が目に入った。今にして思えば、あれはあいつらの服だったのか。自分の考えのなさを呪うと同時に、その彼女達の裸体を思い出していた。
 ――ううむ、みんなどれもこれも引き締まったいい体してたなあ。俺はどっちかってと、ああいうスレンダータイプのが好みかな。あ、でもあの金髪碧眼Fカップ巨乳美声スレンダーボディピーチヒップ美女は例外だな。さすがにあの巨乳に敵うのはいなかったけど……。でもなかなか美人だったり可愛かったりしたな。髪や瞳も赤、青、緑……と色とりどりだったし。
 と、そこまで彼女いない暦十七年以上の青少年が妙な疑念を抱きつつ妄想していると、
「……うっ!?」
 背中からものすごいプレッシャーが。
 恐ろしくて振り返れなかったが、なんだろう、黒き炎が迫ってくるシーンが脳裏をよぎったような……もう追ってきた? いやそれはないと思うが、追わないと考える方が不自然だ。
 やばい、捕まったら確実に殺される。そう確信した一機は、ともかく一心不乱に逃げていた。それで来た道を戻るルートを行ってしまうのは、単純に走りやすいからであろう。そもそも歩きやすい道を選んでいたのだから。
 そうだ、あの洞窟に逃げよう。出たルート以外にもわき道がたくさんあった。そこで隠れてやり過ごし、いなくなった隙に逃げるやり方もある。鉄伝で鍛えられた逃亡戦略(《サジタリウス》は鈍足過ぎて頭使わないと逃げられなかった)を一瞬で組み立てる。どちらにもこのままでは逃げ切れない。だって、
「はあ、はあ……あいつの言うとおり、オンラインゲームばっかやってちゃいかんな」
 体力が持たないし。息切れ寸前。
これで最後だ、と一機はスピードを速め洞窟に飛び込んだ。
「しっかりそれにしてもでかい洞窟だな。十メートルくらいあるんじゃないか? トンネルならともかく、こんな広くして何の意味があるんだか……おっと、んなこと言ってる場合じゃない」
 今は隠れ場所を探さねば。どこか適当なわき道を――ええい、ここでいいや!
 本当に適当に選んだわき道に、一機は飛び込んだ。その勢いのまま、一本道を走っていく。よく見ると、ところどころランプみたいなのが吊るされている。
「やっぱり採掘場か。しかし、何を採掘してるんだろう。石炭……は今時だしな。石油も変だし、鉄とか銅とかの金属――あ、さっきのダイヤ!」
 そうか、あのダイヤはこの坑道のものがなんでか俺のカバンに入ったのか、と一機は一人で納得した。
 しかし、ここで採掘されるのがダイヤではなく金属ではなく、ましてや石油などではないことを、一機はすぐ知ることになる。
 少し走っていると、洞窟が開けてきた。
「うん? 出口……じゃないな。どっか広いとこ出たか?」
 洞窟自体が広かったが、ここは輪をかけて広い。きっとここが採掘場だろう。ところどころ木材で補強してあって、岩や土の山ができている。
 はて、この土とかを外へ運ぶトロッコやベルトコンベアがないな。もう採掘されていないのか? にしてはランプとかは残っていたが……。
「まあいいかんなこと。もう限界だ、休もう……よっこらせと」
 走りすぎて疲弊しきった一機は、そこらの岩にもたれ掛かった。刹那、
「……!?」
 怖気を感じた。飛び上がってその場から離れる。
「な、なんだ……?」
 周囲を窺うが、追っ手も来ていない。だったら、あの喰いつかれるような殺気は気のせいか? 周りにあるのは岩ばかりだし……
「……違う」
 ゴツゴツした岩肌の中に、真っ白い別物があることに気付いた。
 石灰岩? などとも思ったが、それにしてはあまりにも形が整いすぎている。あれは……化石だ。
 それ自体は別に問題ない。化石なんか世界中で発掘されている。ただし、その化石はあまりに異様だった。
「なんだよ、これ……」
 息を飲む。先ほどから流れていた嫌な汗が、さらに大量に流れ出したのがわかった。
 真っ白く、それだけでも鯨や恐竜のような巨大生物を思わせる骨はありふれている。
 だが、壁面に埋められている骨は鯨でも恐竜のものでもなく、明らかに霊長類のであった。
 すっと伸びた腕に、五本の指。サルの中には親指が突起程度に退化してしまった種もいると聞いたことがあるが、この骨は親の名通り威厳を保っていた。
 寝転んだ状態なので具体的には判然としないが、それでも大きくて太い背骨と広い骨盤は、四足歩行ではなく二足歩行の生命特有のものであった。
 何より特徴的なのは、異様なほどに大きく丸い頭頂部。その巨体と比べてみても肥大化した頭部から、場違いな『知性』という言葉を思い出した。
 そう、知性。その全身骨は、一機にある一つの生命体を思い出させた。
「これ……人間、か?」
 そうとしか思えなかった。全ての特徴が、人間を表している。その巨人の如き姿を除いては。
 巨人。そこまで考えて、思い出すものがあった。
 夢で見た、野人のような姿をした巨人。まさにこれではないか。
 それじゃあれは夢じゃなかった? 馬鹿な、あんな巨人、世界中どこ探しても存在するわけがない。――俺達の世界では。
 ぞくり。先ほどから感じていた寒気が一層強くなった。あり得ない。何度も否定した言葉が、もう浮かばない。
「なんなんだよ、これ……!」
「『ディダル』だ」
 突如後方から響いた声に、身体を硬直させた。
 振り返ると、さっきの金髪――ヘレナとか呼ばれていたか――がいた。Tシャツと長ズボンに着替え終えている。いつの間に追いついた?
「でぃ、だる?」
「そう、『ディダル』。太古の時代存在したと伝えられる巨人のことだ。見たことはあるか?」
「あ、あるわけないだろ、こんな化け物!」
「そうか」
 ヘレナは、その返事に得心言った様子。それがどうしても嗤っているように見えた。何がおかしい。こちらが動揺しているのがか?
「何がおかしいんだよ! だいたいなんだこの冗談みたいな代物は! ジョークグッズか? ずいぶん大仕掛けだなアホらしい!」
 その言葉に、ヘレナは眉をひそめ不機嫌を露にした。
「冗談じゃないはこちらの台詞だ。今さっき会ったものにそんな真似をするわけなかろう。だいたい、これが作り物に見えるのか?」
 心底呆れた様子で言われた。そんなことわかっている。これが偽物なんて最初から考えていない。
 だけど、信じたくなかった。それを認めたら――
「……一つ、聞きたいことがある」
「な、なんだよ?」
「お前の世界に、こんな巨人はいなかったのか?」
「は?」
 今この女なんと言った?
「い、いないよ、こんなの……」
「そうか、お前の世界にはいないのか……」
 また言った。お前の世界、と。
 ――そりゃ、気付いていたさ。
 ところどころに生えてて俺の行く手を邪魔する見たこともないおかしな草はまだいい。
 だけど、昼間の空に浮かぶいつもの数十倍する赤く輝く月や、赤、青、緑……と色とりどりなあり得ない色の髪や瞳。気にしないふりを続けていた。いた、けど……
「一つ、聞いていいか」
「え、あ、ああ……」
 思わず反射的に答えてしまった。混乱しきった頭で何が判断できる。
「お前、メガラ大陸という言葉に聞き覚えは?」
「……ない、けど」
「では、シルヴィア、ギヴィン――グリードは?」
 グリード、は強欲という意味だったか? 答えかけたが、違うような気がして一機は口ごもった。
 その様子に、ヘレナは深くため息をついた。
「やはりな……まったく、よりによって『アマデミアン』拾うことになろうとは、思ってもみなかったぞ」
 呆れたような、困ったような微妙な表情でヘレナは呟いた。
「……貴様、名前は?」
「え? ま、的場、一機……」
「ならばよく聞け一機、ここは……」
 ヘレナはそこで言葉を切り、腕を組みながらはっきりと言った。

「この世界は、お前のいた世界ではない」

 その言葉を理解する前に、俺は後ろから伸びてきた無数の手に押さえられた。

「……で、どうする気ですか、この男」
「どうする? どうするとは、なんだ?」
「決まってるでしょう! この不埒者はヘレナ様の裸を覗き見たどころか、隊員の裸まで……」
「ああ、それか……」
 そう金髪(でも光沢はヘレナに比べると数段劣る)セミロングを振り乱した黒縁眼鏡の女性に言われると、ヘレナは少々赤くなった。カワイイ。てそれどころではない。
「何赤くなってるんですか! 本来なら不敬罪として、いや単なる変態として斬首して然るべきところを、どうして生かしておくのです! 貴方はシルヴィア一世様のお言葉を……!」
「あ、あの、ワタクシにも言い分があるのですが、聞いていただいては」
「黙りなさい!」
「ひいぃ!」
 怖い。怒髪天というのか、後ろに毘沙門天が見える。青い瞳に少々面長だが整った美貌はなかなかの美人なのに、完全に目がつり上がって怒りのマークがところどころ浮いていては台無しだ。縄で縛られて身動きできない一機にしてはいつ殺されるかわかってもんじゃない。
 あのあと、俺はいつの間にか追いついていた女子共に取り押さえられ、グルグル巻きにされた。柳眉を逆立てた女達の群れに「あ、死んだ」と覚悟したが、ヘレナが直前で止めてくれたのでなんとか生きている。
で、さっきのキャンプ地に連れ去られたところにいたのが、湖で裸体を見ていないこの神経質そうな眼鏡。歳は……ヘレナと同じくらいか。この女性とヘレナが木製の簡易椅子に座り二人顔を見合わせて言い争いしている足元に一機は転がっている。これがスカートなら確実に見える……と妄想を膨らませたいところだが、周りを怒りが収まらない少女達に取り囲まれているので縮み上がるばかりだ。
「グレタ、この男はアマデミアンなのだぞ?」
「関係ありません! アマデミアンであろうとなかろうと、このような痴漢はその下劣な首を断ち切ってさらし者にするべきです! 裁判などする必要もありません!」
「あ、あの……あたしもアマデミアンですけど」
「おだまりなさい、マリー!」
 脇にいた少女――俺と同じくらいか?――が口を挟もうとしたが、鬼の形相に尻込みしたよう。この子もさっきいなかった。栗色の瞳にボブカットの茶髪をバンダナで巻いていてさっぱりした印象を持たせる少女だ。マリーとはこいつの名か?
「そう怒るな。一機はどうやら迷ってたまたま来ただけのようだし、あんなところで一人水浴びしていた私にも非がある」
「しかし!」
「そうですよ隊長!」
 なおグレタとやらが噛み付いてこようとしたら、周りが叫びだした。さっき裸体を拝んだ方々だ。無論キチンと着替えている。
「そいつは隊長のみならず、我々の裸すら除いているのですよ!?」
「ヘレナ様の裸を覗いただけで万死に値するというのに、この恥辱、晴らさずにはおられません! 是非ともその変質者の処刑はこのライラ・ミラルダに!」
「何言ってるの! 私にやらせなさい!」
「ちょっと、抜け駆けするんじゃないわよジェニス! 殺るのはあたしよ!」
 再び「こいつ殺すのは私」と争い始めた。ちょっと待て、ヘレナのときは俺にも責任あるかもだけど、お前らは――!
「……その前に、一つ聞きたいのだが」
「はい、なんでしょう隊長!」
 怒りを露わにしていた彼女達だったが、ヘレナに声をかけられると顔色どころか声色まで変わった。なにか気色ばんでいる気がする。ちょっと待て、こいつらまさか……。
「お前らには、一機の監視を頼んでいたはずだが、あんなところにどうしていた?」
「うっ」
 全員口ごもった。皆あさっての方を向いている。
「私は周辺の監視を引き継いでいました」
「あ、あたしはMN(メタルナイト)の整備してましたよ!?」
 グレタとマリー、アリバイ成立。メタルナイト、という聞きなれない言葉があったが、聞ける雰囲気ではない。
「そうか。ではもう一度聞こう。任務を放ったらかしにして、一機が逃げている間、お前達はどうして湖の中を潜っていたんだ? しかも私の間近を」
「そ、そ、それは……!」
 ジト目で詰問されるが、何も言い返せない様子。なんだ、俺はラッキースケベだけど、こいつら真正じゃないか。
「お前ら、外走ってこい!」
「は、はいいぃ!」
 脱兎の如く、ヘレナに一喝された真正の方々は飛び出していった。足速っ。あれなら追いつかれたのは納得だな……最初から、勝ち目なんぞなかったのか。
「まったく、困ったものだなあいつらには……」
 そういって呆れ返るヘレナ。いやいや、その気持ちはわかるけど、あいつらの気持ちもわかる。ありゃ覗く価値のある体だよ……ぐへへ。
「何気持ち悪く笑ってるんですか、このド変態」
 ぐさっ。グレタにきつい言葉と視線の一撃を喰らった。つうこんのいちげきだ。
「い、いやそんなことは決して……!」
 実際はしていたのだが、それを認めると立つ瀬がない、と一機は縛られながらも抵抗する。てかもう解いてよ。
「確かに、隊員達にも責任の一端はありますが、だからってそんな簡単に許していいのですか?」
「いいも悪いも、私自身が許すと言っているのだ、他に何が必要だ? それに今日ここに来たばかりの者をあまり責めるのも酷な話ではないか」
 今日来たばかり、の言葉に、大事なことをやっと思い出した。
「あ、あのすいません。さっきの話なんですけど……」
 問いかけてみると、「わかっている」とヘレナは言葉を切った。
「説明が遅れたな。もっとも、もう気付いているようだが……」
 息を呑む。その後告げられる言葉が怖かった。でも、聞かずにはいられない。
「さて、何から話したものか……そうだ、あの話にするか……」

 むかしむかしのおはなしです。
 あるところに、なんでももっているわがままなおうさまがいました。
 おうさまはあるひ、じぶんがみたことがないものがほしいといいました。
 みんなはこまってしまいました。おうさまはなんでももっていたので、みたことがないものなんてなかったのです。
 わがままなおうさまはほしいほしいといってみんなをいじめます。
 すると、どこからかきたおとこがおうさまに、みたこともないものをあげるかわりに、このくにをくださいといいました。おとこのことをしんじなかったおうさまは、わらっていいよといいました。
 おとこはふしぎなじゅもんをとなえて、そらにてをかざします。すると、すごいひかりがうまれて、ひかりとびらのなかから、みたことがないものがたくさんでてきました。
 でも、おうさまはやくそくをまもらず、おとこをくにからおいだしてしまいます。
 すると、おとこみるみるおおきくなって、そらからくにをみおろしました。おとこはあくまだったのです。
 あくまはいいました。やくそくをやぶったばつとして、ひかりのとびらはあけたままにする。これからおそろしいものがとびらからあらわれる、と。
 それから、このせかいにはみたことのないものがいっぱいでるようになりました。

「……という話だ。どうだ?」
「はあ、なんか、尻切れトンボな話ですね。約束を破っちゃいけないっていう童話? あんま面白くないけど……」
「童話じゃない、事実だ」
「は?」
 呆気に取られる。ヘレナの顔は冗談を言っているようには見えない。しかし、いくらなんでも――待てよ、見たことのないもの? 光の扉? それって……
「……まさか」
「その通りだ。光の扉から、見たことのないこの世界のものではないものは今もなお運ばれてくる。昨日も、一人運ばれてきた」
 ゾクリ、と寒気がした。そりゃ、そういう話は嫌いじゃない。鉄伝で図書室以外小説も漫画もアニメもしばらくご無沙汰だったが基本的に好きだし、その設定は山のように見た。でも、だからって、自分自身が体験するなんて……
「……どういう、ことだよ」
「さっきも言ったろ、ここはお前の世界ではない。メガラ大陸と呼ばれる大陸を有する、我々の世界だ」
「んな……はは、平行世界って奴か? その手の話は嫌いじゃないけど、いくらなんでも無理があるよ……ははっ」
 失笑してみる。が、一機ももうわかっていたことだった。そう考えれば全て説明できる。
 第一、ヘレナの顔を見れば嘘でないのは一発でわかる。目は口ほど物を言い、だ。そんな辛そうな困ったような哀れそうな顔しやがって。
「……なんで、どうして、どうやって……そんなバカな事があって……!」
 力なく喚いてみる。まだ縄が解かれていないので、その場をのた打ち回るしかできない。ひょっとして、こいつらパニック起こすの予想して縄を解かなかったのだろうか。
「……どうしてだかは何故だかは一応わかるぞ」
「……え?」
 そう言うと、傍らにおいてあった俺のバッグをまさぐり、あのガラス玉のようなものを取り出した。
「あ、それ……」
「覚えているか? お前は昨日、この石を持って倒れていた」
「……え?」
 昨日? 何を言っている、昨日俺は鉄伝をやってそのまま――
「……覚えてないのか? 昨日の夜、魔獣との戦いの場にいたではないか? 忘れたのか?」
 少し戸惑った様子のヘレナを無視して、一機は頭を抱える。
 ――昨日? 昨日何があった。昨日は鉄伝やって襲われて、返り討ちにして、それ、で……


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