新訳サジタリウス11「……!?」「っ!? ぐわっ!」 聞きなれた声が後ろから聞こえたと同時に、頬を何かが掠めた音がした。 目を開けてみると、ジャクソンが右手を押さえて呻いている。手からは鮮血がにじみ出て、あるはずの拳銃がなかった。かわりに、傍らには小型の槍みたいなものが刺さっている。さっき顔の横を飛んだのはあれか。でも、誰が? 「……これは困りましたな姫様。パーティの場に武器を隠し持ってくるとは無粋な」 「無粋であろうがなかろうが、私も親衛隊隊長だからな。ダガーか組み立て式の槍くらい持っていなければ安心して出歩けん」 姫様、親衛隊隊長の単語は必要なかった。その声と背中越しに感じるオーラだけで明白だった。 「ヘレナ!? え、な、ちょ……」 驚きのあまり何を言っていいかわからなくなっている一機にの様に、ヘレナは優しく、それでいてどこかいたずらっぽく笑いかけた。 「お前、ここへの扉開けっ放しにしていたぞ。戸締りくらいきちんとしたらどうだ」 「ああ、そっか……って違う! どうしてここにいるのかって、なんで俺がここにいるのわかったかって」 「それは、これだよ」 そう言うとヘレナは腰をかがめ、地面に落ちたアクセを拾い上げた。自分が一機に渡した。王冠と剣のアクセを。 手の平にアクセを乗せると、王冠部分に埋め込まれていた石粒を取り外し、これ見よがしに天へ掲げる。 「『ジスタ』だ」 「……!?」 『ジスタ』。それが何を示すのか思い出すと、ここへ来れた理由以外のことも悟ってしまう。 「盗み聞きしてたのか……?」 「ああ、こんな小さな『ジスタ』でも少々の距離なら問題なく聞こえる。ただ、小さすぎてこちらから声を届けるのは難しいがな」 つまりは一方通行の盗聴器のようなもの。言霊石の名を持つこれは無線機として機能するならば、こういった使い方もあって当然だった。こんなことにも気付かなかったなんて。 「ほう……これはこれは。貴方、仲間を盗聴していたのですか? 誇り高いシルヴィアの騎士が、案外疑り深いのですな」 「否定はせん。しかし、街中で暴れるような男だからな、今度何かあっては困るからと対策を打っておくのは当然だろう? まあでも、こんなことを聞けるとは思わなかったよライノス殿……いや、違うのだったな?」 一機の前に立ちはだかり、射るような視線でジャクソンを睨みつける。あれこれ聞いていたのならば、当然ジャクソンの正体も把握しているだろう。 が、ジャクソンは例服を血で滲ませつつも、平静を維持していた。少なくとも表面上は。 「参りましたねこれは。正直に言わせてもらうと、事を構える気など本当になかったのですよ。いつまでも残っているのを、鬱陶しく感じてたんですな」 「だろうな。一機の見識は正しい。何かする気なら、とっくにしていたはずだ」 「で、どうするのですか? 私を捕らえますか? 何の罪で? ワタクシは、未来はどうだか知りませんが、何もしておりませんよ」 臆面もなく、そう言い切った。確かにこの男は何もしていない。行動を起こそうという気はあったものの、今現在は実行に移していない。シラを切り通されれば、手だしできないはずだ。 だが、ヘレナは口元を歪めて不敵に笑った。 「罪? 罪ならあるぞ。シルヴィアに対する反逆容疑と、親衛隊隊員を殺そうとした現行犯だ」 「なに……?」 「既にグレタが『ジスタ』で応援を呼んで合流しつつある。おとなしく捕まるのならそれで良し、抵抗するのならばこちらも手段は問わないぞ」 毅然とした姿で言い切るヘレナに、ジャクソンはあからさまに苦渋を露わにして呻いた。 「馬鹿な……越権行為だ。親衛隊とはいえ所詮はただの騎士団、そんな権限があるわけがない」 「確かに、ただの罪人ならば無理だろう。しかし貴様はシルヴィアに牙を剥こうとした反逆者だ。シルヴィアに振り下ろされる剣を防ぐ楯、それが親衛隊であり、騎士の役目。……それ以前に、我々の仲間を傷つけようとした。それだけで十分断罪に値する」 「……わからんな」 呟かれたその一言は、忌々しげと言うより投げやりであった。 「どうしてそこまでそんなガキを擁護する? アマデミアンの、世間知らずのただのガキじゃないか。おまけに優柔不断ときている。そんな子供相手に私と、いや、シルヴィア最大の商業都市を敵に回すか? ここが潰れれば交易ルートは無茶苦茶になり、ただでさえ疲弊しきった財政が余計傾くぞ。だったら」 「我々だけで胸のうちに収めて、なかったことにしてしまおう、か? 論外だな。誰がそんな交渉聞くか」 「……融通の効かないお方だ。見たとおり聞いたとおりのカタブツですな」 「否定はせん。だが反論はさせてもらう。一機が子供? ふざけるな。一機は選んだんだ、我々を信じるという道を」 不意をつかれた一機は、ヘレナの背中を凝視する。金髪が流れる背中が、大丈夫だと告げていた。 「貴様の妄言は確かに心地よく聞こえる。だが所詮はただの夢物語、道化師のホラ話より中身がない。そんなものより、一機は今あるシルヴィアを選んだ。ここへ飛ばされて間もなく、シルヴィアをよくも知らない一機が。それはつまり――我々を選んだということだ」 ヘレナの語りに驚いたのは、むしろ一機自身であった。自分自身、どうしてあそこまで逆らうのか、はっきりわかっていなかったのである。 「一機が我々を信じたならば、我々がすべきことはそれに報いること、間違いじゃなかったと確信させることだ。それに第一、貴様一人消えたところでシルヴィアが滅ぶ? 笑わせるな成り上がりの小商人如きが。そんな柔な国ではない。むしろ、貴様のような奴がいなければ成立しないのならば……滅びた方がいい、そんな国は」 躊躇なく発された一言に、一機もジャクソンも言葉を失う。仮にも親衛隊隊長が言っていいものではない、否、シルヴィアの騎士だからこそ言うべきセリフなのかもしれない。 「今のシルヴィアに問題があるのは事実だ。しかしそれでも我々はシルヴィアの盾、この身果てるまで国を守るのが使命。ならば、不逞の輩を、目の段階で摘み取ることに何のためらいがあろうか。否、一つもない! ……それにだ」 そこでヘレナは一旦言葉を切り、腰のあたりから護身用のダガーを取り出した。 「親衛隊隊長としても、個人的にも、一機を傷つけようとしたのは我慢ならんのでな」 「……OK。わかったよ。どうやらあなたとは分かり合えないようだ」 肩をすくめ、あちらの世界の言葉でジャクソンは笑った。余裕ぶってるのが癪にさわる。それはヘレナも一緒だったようで、 「笑ってていいのか? 既に親衛隊の者どもはこちらへ向かっているのだぞ? それとも、お抱えの自警団とやらで立ち向かう気か?」 「……無理だな。MNも兵も不足している。動かせるのは三十機がせいぜいだし、訓練不足で戦えるかどうか」 「ならば、さっさと降伏したらどうだ? 私とて、意味のない戦いをして流血を強いる気はない。お前一人捕まれば、他の者は免罪することだって不可能ではない。貴様も領主のはしくれなら、民のことを考え……」 「あいにくと、そうはいかねえなあ」 不意に、いずこから聞こえた声は、ナイフのようにその場の空気を切り裂いた。 顔を上げるより早く、黒い影がヘレナをかすめ、ダガーとアクセを落とさせる。 「くっ!」 顔をしかめたヘレナだったが、視線は襲いかかった影を追っていた。影は石油が溜まった泉の合間、止まり木のように露出した岩と岩をピョンピョン四本足で飛びついていく様はまさに猿だった。が、影は猿ではない。 ひと際大きな岩に飛びつくと、影はこちらを振り返って仁王立ちした。 「エミーナ……どうしてここに!」 影――エミーナ・ライノスの出現に誰よりも動揺しているのはジャクソンだった。この男にとってもここにエミーナがいるのは想定外のことであったらしい。そんな父親に対し、エミーナはフンと鼻で笑う。 「なーんか裏でコソコソ企んでるみたいだったからな、付けてたんだよ最初から。あんたの汚いやり方は嫌というほど見てるんでね、すぐわかる」 さすがは娘、といったところか。不敵の笑みを浮かべるエミーナは、ヘレナへ挑戦的な目をくれた。 「こっちも『ジスタ』で連絡取っといた。うちの連中も動き出してるよ。今頃上じゃもう戦闘が始まってるだろうさ」 「な……エミーナ、何を勝手なことを……!」 「エミーナって呼ぶな!」 小さい体からどうやって、というくらいでかい声で叫んだ。ジャクソンもさすがにひるんだが、一機はひるんでなどいられなかった。 エミーナが、いや、エミーナと呼んでいた女の目が、こちらに向けられていたから。その時点で、一機は自分の推測が正しかったことを知ってしまう。 その女は、少し寂しそうに、でも心底うれしそうに顔を歪ませてカズキと呼んでいた男をこう呼んだ。 「初めまして……と言うべきなんだろうなあ、『ばら撒きヴェック』さんよお」 そう呼ばれると、ヴァン・デル・ヴェッケンの名を持つ男は、どこか皮肉っぽく笑い、 「やっぱりお前か、『小狼アヴェロン』」 そう、ヴィクトール・アヴェロンの名を持つ女を呼んだ。 いつから疑っていたかと聞かれると、最初からと答えてしまう他ない。正確には、なんとなく感じていただけだが。 言動や口調、例のサインなど違和感を持つのに十分足る状況はいくつもあった。だが一番の理由は…… 「しっかし驚いたよ、アマデミアンどころか、アヴェロンだってことまでバレてるとは。どうやって見抜いたんだ?」 「……まあ、基本的にカンだな。お前が結構バレバレだったというのもあるが。でも決定的だったのは、お前が俺にチョークスリーパーかけてきた時だな」 「はあ? なんだそりゃ。なんでそんなことでわかる」 「だってこの国、ブラジャーないんだろ?」 な……! とエミーナが顔を赤らめるて絶句する。ジャクソンは顔を引きつらせ、ヘレナは何のことかわからずキョトンとした。ああ、貴方もノーブラなんだよね。 ま、事前にマリーとぶつかってなかったら気付かなかっただろうけど。何が役に立つかわかったもんじゃないね世の中。 「こ、このエロガキ……こんなやつが、本当に『ばら撒きヴェック』だってのか?」 「それはお互い様だろ……俺だって『小狼アヴェロン』が女だなんて想像だにしてなかったよ」 だいたいヴィクトール・アヴェロンから誰が女だとわかるのか。映画『野性の少年』のモデルになった実在の狼少年について書かれた記録にその名が出てくる。ヴィクトールはその狼少年につけられた名前、アヴェロンは狼少年が一時いた場所じゃないか。そんな名前だから『小狼』なんて呼ばれるんだ。 あとはまあ、街でのケンカとか屋根づたいの三角飛びにデジャヴを感じたくらいか。数年近くやり合っていた相手の動きなら、手に取るように分かって当然だ。 「そういうお前こそ、なんで俺が『ばら撒きヴェック』だってわかったんだ」 「自分で言ったんだろうが、ヴァン・デル・ヴェッケンだって」 「……ああ、そうか」 「あと挙げるなら、《サジタリウス》のネーミングセンスと戦い方だな。何年やり合ってるかわかってんのか?」 なるほど、そっちもお互い様ということか。隠しているつもりがバレバレかよ。ため息をつくと同時に、轟音が響いて岩肌が揺れた。 「な、なんだ!?」 「おっと、ようやく始めたらしいな」 にやついたエミーナの視線は一機に向けられていた。こいつ、まさか…… 「ば、馬鹿者、誰が勝手に動かしていいなど……」 「自警団はカールに危機が訪れたら領主の許可なんかなくたって動いていいのさ。それに――今更こいつらを生かして返すわけにはいかんだろ」 ゾクリ、と悪寒が走る。冗談めかしているが、その目は本気だった。「ヴァン・デ・ヴェッケン」と放った一言は、轟音の中でもはっきり聞こえた。 「再戦の約束を果たす日が来たというわけだ。さっさと昇ってこい、相棒(サジタリウス)を連れてな。こっちも俺の相棒を――」 「……よせ、エミーナ」 絞り出した声は、自分でも驚くくらい小さかった。だがそれでも「あん?」と怪訝な顔をしたエミーナに対し続ける。 「ここで俺達が戦って何になる。親衛隊をどうにかしたら、それこそライノスは終わりだ。そんなことしたって、もう……」 「うるせぇ!」 断ち切るかのような叫びだった。その表情にさっきの余裕はない。まるで、自分の存在意義全てを否定されたような悲痛な声。 「意味がないだと? 笑わせる。俺たちに鉄伝以外何があった。お前だってそうなんだろ? 居場所なんか、やることなんかこれしかないんだ、これしか……!」 ふっと、その姿に、一機は自分の姿を幻視した。 ――こいつもか。 何のことはない。ヴィクトール・アヴェロンもヴァン・デ・ヴェッケンも、その中身はほとんど変わりなかったということ。だからこそ互いの存在が許せなかった。自分の恥部を見せつけられているようで。 しかし、だからこそ求めた。自分を理解してくれるのは自分だけだと知っていたから。結局、寂しがり屋のくだらない誤魔化しに過ぎないとしても。 だが、そんな奴にもし、たった一つでも居場所ができたら……? もう語ることは何もない。一機はため息をつくと、エミーナ――アヴェロンに対し、敵意の視線を投げかけた。 それに、満足げに顔を歪ませたアヴェロンは一機――ヴェックに対し首を掻っ切る仕種をすると岩をピョンピョン飛び跳ねて去っていった。ジャクソンも続けて逃げていく。地上へ戻る気だろう。 「ま、待て!」 あわてて追いかけようと泉に片足を入れかけたヘレナを、一機が咄嗟に羽交い絞めにした。 「何をする、放せ! あいつらを追わねば!」 「だめだめ、ここに入っちゃだめ!」 「そんなこと気にしている場合か、石油だかなんだか知らんがかまうものか、泳ぎは得意なんだこんな汚い水くらい……!」 「水じゃないのこれ! 入ると大変なことになるの!」 「……大変なこと?」 振り返ったヘレナに、どう説明したものか迷ったが、とにかくジェスチャーで表現することにした。 両手をいっぱいに広げて円を描き「このいっぱいの石油に」火打石の仕種をして「ちょっとだけでも火が付くと」手を上昇気流をイメージして目の前で揺らめかせて「ぼおおおぉと一気に燃え上がって」手を合わせてうつむく「ペンペン草すら生えなくなりましたとさ」 「…………」 どこまで伝わったかはわからないが、とにかく青ざめたヘレナは足を石油からゆっくりと放した。 「……それならば、急いで上にいるグレタたちと合流しなければな」 「わかった、行こう。とおっと」 後を追おうとしたが立ち止まり、地面にあるアクセを拾い上げた。握った手の中に感触が三つ以上あったので違和感を覚えたが何をしていると急かされたので確認する余裕もなく走り出した。 踵を返して二人階段を駆け上る。そうして地上に出る――前に。一機はどうしても聞きたいことがあった。 「なあ、ヘレナ」 「なんだ! ボヤボヤ喋ってる暇があったら足を動か……」 「監視、してたんだよな、俺のこと」 口こそ黙ったが、足が止まることはなかった。一機もらせん階段を上りつつ言葉を続ける。 「予言だかなんだか知らないけど、最初からそれが目的だったのは知ってる。それは別にいいんだ。でもさ……」 二の句を告げようとして、喉が渇いたように声が出なくなった。だめだ、聞くんじゃない。そう心のどこかで警鐘が鳴らされているのに、止まってくれない。否、止まっちゃいけない気がする。 「……もし、あそこでジャクソンの誘いに乗っていたら、俺をどうする気だったの?」 わざわざ盗聴器まがいの代物を渡したのは、そんな事態を予見してのことのはず。お守りなんて称して騙して。だったら答えは言わずと知れている。 「当然、斬って捨てていた」 それでも、なんの躊躇もなく放たれたのには結構ショックだった。衝撃とはタイミングを外して足をよろめかせ、留まらせかけるが、「まあ、ないだろうと思ってはいたがな」と苦笑混じりのセリフにキョトンとしてしまう。 「は、はい……?」 「裏切るとはこれっぽっちも予想していなかった。だから斬って捨てる気も最初からなかった。だから、意味のない質問だぞそれは」 「な、なんでそんな……!」 「信じているからだ。お前は人に信頼されるに足ることをしたからだ。他に理由はない」 一機は唖然となった。背中越しに発される一言一言がまるで信じられない。いったい自分はいつの間にここまで株を上げたのか。むしろ失望されるようなことばかりしてきたはずだが。「信頼は不信から生ずる」と重ねてきたヘレナの声は、どことなく寂しげだった。 「特に、私のような立場では最初から誰かれ構わず信頼するというわけにはいかん。だから、対策は講じておく必要がある。……嫌な話だがな。それはともかく」 そこで振り返り、ジト目をよこして一言だけ告げた。 「お前は自分を卑下し過ぎだ。謙遜は悪いことではないが、自分に対する過大と過小評価は、意味がないどころか有害だぞ?」 「……っ」 ヘレナの笑顔が身に染みていくうちに、心がどことなく熱くなっている。嬉しいようなこっ恥ずかしいような、そんなもどかしい気分に。 ――しかし、そんな気分にいつまでも浸っていられない。 「……なあ、ヘレナ」 「うん? 何だ今度は。まだ何かあるのか?」 「――アヴェロン、エミーナのことなんだけど……」 そこで少しの間、二人で話し合われた。 最後はヘレナは思わず足を止め、一機の俯いた顔を凝視した。 「…………」 「……わかった。お前に任せる」 「……ありがとう」 ポツリと礼を言ったところで階段が終わって例の書庫に戻ってきた。 部屋を出ると、城の中は大パニックとなっていた。ここ自体へ被害は出てないが、状況は誰もが把握していると見える。皆おろおろして逃げ回り、煌びやかさも高貴さも感じられない。人間の本質だなあ。 なんて馬鹿なこと言ってる暇はない。幸いこの騒ぎでこちらに注目する奴はいない。これなら抜け出せそうだ。 「……いい、戦闘を始めたのは仕方がない。それよりも被害を広げるなよ……ああ、わかってる、《ヴァルキリー》はもうこちらへ向かっているんだな?」 走りながら、ヘレナは『ジスタ』で連絡を取り合っている。相手は多分グレタだろう。時折聞こえてくる声色は落ち着いてるようだ。さすがに副隊長だな。 「――よしわかった。では、《サジタリウス》も引っ張ってこい」 前言撤回。耳をつんざくほど声量を上げて怒鳴ってきた。まあ当然だけど。 「わかってるわかってる、いいから、事情は後で説明するからとにかくこちらへ……ん? なんだと? マリーがどさくさ紛れに運んでった!?」 今度はヘレナが叫ぶ番だった。一機は呆れて頭を抱える。あの馬鹿……と思う一方、タイムラグがなくなって感謝しなければならない立場としては辛いところだ。 「ああもう……わかった、マリーの処分は後にして、今はそっちに合流することを先にする。迎え? 来んでいい、すぐに行く!」 通信を終えると同時に外へ出た。城下で見える戦闘は意外にも散発的なものであり、両者大通りで戦うよう気を付けているように見える。おかげでそれほど大した戦闘には見えない。 だが実際には、親衛隊と自警団のMNが剣と盾をぶつけて命の取り合いをしている。《エンジェル》の肩装甲が黄土色の敵MN――旧式の《ゴーレム》だったはず――の槍によって吹き飛び、大きく機体を揺らめかせる。負けじと《エンジェル》も自らの剣を《ゴーレム》の頭部に突き刺した。 寒気が走り、息を呑む。見慣れた光景のはずなのに。 鉄伝で、自分は砲撃機乗りだったがこれくらいの光景はスコープ越しに何度も目にした。自分に向かっていてもいなくても、別段恐怖は湧かない。 だがこれは、同じような光景であってまったくの別物。 あの《エンジェル》に乗っているのは親衛隊の誰なのか。もしかしてあの《ゴーレム》に乗っているのはこの前喫茶店で会った奴か。そんな思いが頭から離れない。 断続的に交わされる金属がぶつかり合う音、地面から伝わる衝撃が、一機に『現実』を意識させた。しかし、 「どうした、臆したか?」 とヘレナがにやりとこちらを見返した時には、 「まさか」 と笑って返した。 ビビってる余裕などない。早く《サジタリウス》に辿り着かないと。合流地点を聞くと早速走り出そうとした。が、 「うわっ!?」 「ぬおっ!?」 ドシンと、激しい衝撃が起こって一機たちをよろめかせた。同時に辺りが暗くなる。夜だからではない。影に入ったんだ。――何の? ギョッとして、空を見上げた。そこに空はなかった。 ――これと同じものを、見たことがある。 ここに来た最初の日、夢の中で見た光景そのままだった。 しかしそこにあったのは、無論毛むくじゃらの十メートル近い巨人ではない。 全体的にやせぎすの、ほとんど骨しかないような細身であるのに、不自然なくらい長い両腕。 紅蓮の装甲は申し訳程度しかないくせに、盾どころか剣すら持っていない。 あるのは、《エンジェル》より一回り小さい体躯には不釣り合いなほど巨大な両手のカギ爪(クロー)。 「な、なんだ、こんなMNは見たことないぞ!」 動揺するヘレナに対して、一機は戦慄した。 この機体を知っていたから。誰が忘れるものか。 鉄伝当初から幾度となく戦い、張り合い、しのぎを削ってきた好敵手にして、自分と同じくチーム主体の鉄伝において数少ない単独プレイを好む一匹狼―― 「《一匹狼(マーヴェリック)》――!」 呟かれた言葉に気づいたのか、紅蓮の巨人はこちらにその眼光を向けた。 三角形のすっきりした兜に開かれたバイザーに、あるはずのない瞳が語りかけていた。 『来い』、と―― 「――そう焦るなって。今行くから」 聞こえたかどうかは知らないが、不敵な笑みを見届けると、《マーヴェリック》ど同型のNは大きく跳躍し、戦場へ飛び込んでいった。 「やっぱりあいつか。まったく、相変わらず気の早い奴だ」 「何ブツクサ言ってるんだ! 早く来い!」 「あ、はいはい!」 急かされて合流地点ーへ走る。戦火をかいくぐり、目立つ場所として選ばれた公園にあったのはマンちゃんこと親衛隊の先輩《マンタ》、そして…… 「おお一機、待ってたよ! 持ってきたよ《サジタリウス》! ちゃんと整備もしといたから、早く乗った乗った!」 「乗ったではない! マリーお前、誰が持って来いと言った!」 「ぐわっ! 隊長すみませんっ。でも持って来いって指示したんですよね!?」 「それは結果論だ、勝手な行動は慎めと何度言ったら……!」 「あーお二方、悪いんですが乗り込めないのでどいてください」 騒いでる両者を無視して、さっさと運ばれてきた《サジタリウス》に乗り込もうとしたら、「あー待った!」と叫んできたマリーが何か放り投げてきた。 「どぐわっ!?」 衝撃と倒れた痛みに目を白黒させる。その元に目を向ける。 「あん……鎧?」 鎧自体は見慣れたものだが、これは訓練用の全身鎧とは違い、胴と腕部分の鎧しかなかった。確かこれは十世紀半ばに作られたコンポジット・アーマーじゃなかったか? もっとも、あれはこの下にチェイン・メイルを着込んで完成するのだが、これには付属されていない。 「なんだこの半端な鎧は?」 「MN用の簡易鎧! 予備の代物だけど、あんたにはピッタリ合うでしょう?」 マリーに言われて鎧の背中部分を確認すると、エミーナが語っていたジョイント部分があった。なるほど、こうやって体を固定するのか。 「ありがとよ、マリー」 「礼なんかいいから、さっさとあいつらぶっ飛ばしてきちゃって!」 「……ああ、わかったよ」 即答できなかったのは、さっきの思いが尾を引いているからか、それともあいつのせいか。 そんなこと気にしていられない。鎧を着込んだ一機は、意を決して《サジタリウス》に乗り込んだ。鎧をシートに接続し、一緒に貰ったサーリットとという円形の兜を被ると、その瞳は『的場一機』ではなく『ヴァン・デル・ヴェッケン』のものになっていた。 「さて――汚名挽回の機会だな」 握りこぶしの中のにあるアクセを握りしめた一機――ヴェックは、《サジタリウス》を立ち上がらせ、そのキャタピラの足をライノスの大地に踏みしめさせた。 ――あらあら、汚名は返上するものですよ一機さん? どこかから、またこちらを小馬鹿にする声が聞こえてきた。それに対して、ヴェックはにやりと口元を歪ませる。 「いや、挽回で正しいんだよ」 と言って握り拳を開き、手の中の三つあるアクセの一つに目をやって一言、 「俺は、『ばら撒きヴェック』って呼ばれた男なんだからな」 そう呟いたと同時に、《サジタリウス》の機体が震えたように感じた。 親衛隊とカール自警団の戦闘は、ある意味グダグダな展開だった。 と言うのも、親衛隊側も自警団側も、首都への被害を良しとしなかったからだ。必然城民や住宅地を避けて大通りなどで気をつけながら戦わざるを得なくなり、それが戦闘を控え目なものにしていた。 しかしそれは城郭内の話。城郭の外ではこれ以上の侵入を許さない自警団の《ゴーレム》と大砲が、味方の脱出経路を維持しようとする親衛隊の《エンジェル》と激戦を繰り広げていた。城郭の銃眼から発射される砲弾を装甲兵が庇い、その他の《エンジェル》は攻城戦用の巨大なハンマーで壁を破壊していく。 敵の《ゴーレム》も性能差がある《エンジェル》に対して一対一ではなく数を持ってしての各個撃破戦術を取り、大砲の援護射撃と内部と外部二つに戦力を割く必要がある親衛隊を翻弄していた。 だが、それらはどれもこれもきちんとした命令に基づいてのものではなく、個人の判断によるいきあたりばっかりな代物で、戦場は混乱していた。 その理由は、何と言っても両軍にとってこの戦闘自体が降ってわいたように始まったものであり、パニックを起こしていたからであった。 そのパニックの原因の一人たるヘレナとグレタがやっと合流したのは、既に《サジタリウス》が起動して歩き出した後だった。 「あーちょっ……勝手に行くなー!」 「もう止せグレタ、許可は私が出したんだ」 身を張って制止しようとするグレタの首根っこを掴む。もう専用のフルプレートアーマーを装着している副長は、隊長であることも忘れたように激昂した。 「どうしてですか! どうして許可なんかしたんです、あいつをもう一度《サジタリウス》に乗せるなど!」 「理解できんか?」 「当然です! あいつはまだ新米、しかもMNに関しては操縦訓練もしていない素人なんですよ!? そんな奴を戦場に出すなんて、死ねと言っているようなものではないですか!」 相変わらずきつい言葉、だけどヘレナはそれの持つ他の意味も理解していた。 グレタはグレタなりに一機を心配している。曲がりなりにも、親衛隊の一員だと認めているのだ。だからこそ、さっき乗せてくれと頼まれた時ヘレナ自身が語ったのと同じことを言っている。 しかしながら、本当にこいつが怒り出すのはこれからのはずだ。 「それと、一機――ヴェックから伝言だ。「誰も手を出さないでくれ」だとさ」 「……はあ!?」 顔を怒りでひきつらせ、グレタは今度こそ完全に激怒した。 「何を言ってるんですかあの男は! 手を出すな!? こないだ来たばかりのペーペーがそんなことほざくなんて、狂いましたかあの馬鹿!」 酷いことを言うものだ、と嘆息したが、ヘレナ自身全くもって同感。むしろ性格上自分よりその怒りは激しいだろう。 ならば、こちらも何の飾りもないあいつの思いを伝えなければならなかった。 「親友なんだそうだ」 「……は?」 「自警団団長の、エミーナとかいう娘と一機が」 あごでしゃくった先には、さっきの骨のようなMNがあった。《ゴーレム》ではなく《エンジェル》の改造型のようだが、あんなものは見たことがない。きっとあの娘の専用機なのだろう。 「そんなことを、あいつが?」 「ああ、言っていた」 正確には『友人』だったが、それはあいつなりの気恥ずかしさが言わせたセリフに違いない。悲しげにアクセをいじくる様から見て、どれほどの仲かはだいたいわかる。 「それで……決着は自分でつけたいと?」 「……いや、そうじゃない」 自分もそう思った。もしそれだったら、間違いなく断っていたはずだ。気持ちはわからなくはないが、そんなものは傲慢に過ぎない。騎士は私怨や情で戦わない。命令と使命を果たすため戦う。友だからと言って自分で倒したいなど、誰が許すか―― そう続けるはずだった口は、次にヴェックが発した一言で完全に乾いた。 「我々を、恨みたくないとさ」 「――っ!」 グレタの顔色が豹変する。あのとき自分も、こんな顔をしていたのだろうか? ――一人の女のためで何が悪い! 欲望を求めなくて何が悪い! 何もしなくて何が悪い! そんなことのためにあいつらに牙を剥けってのか!? 傷つけろってのか!? そんな生き方できるかぁ! 恥ずかしいことを、と内心赤面して聞いていたものだ。あれではほとんど告白ではないか、と鎧を装着しながら苦笑する。 まあ理由はどうあれ、あいつは我々と共に来ることを選んでくれた。我々を信じてくれた。 それがたとえ、無二の親友を殺すことに至ったとしても…… 「……まったく、カッコつけも体外にして欲しいですね」 目を細め、ふんと鼻を鳴らしてグレタは呟いた。 そう、カッコつけだこれは。結局傲慢からくる代物に過ぎない。あいつなりにケジメをつけるつもりなんだろうが、そんなことをしなければならないと考える事自体図に乗っている証だ。第一嘘に決まってるこんなもの。 だが……あいつにとっては、やはり必要なことなのかもしれない。恐らく、あのエミーナにとっても。 あいつが異世界から来た迷子の『的場一機』ではなくシルヴィア王国親衛隊の『ヴァン・デル・ヴェケン』になるためには必要な儀式、ということか。そうしなければ、自分は本当の意味で一員になれない……なんてことを、あいつは、ヴェックは考えているに違いない。 「――わかりました。隊の者には手出し無用と厳命しておきます」 「よろしい」 手甲をはめた手で頭を掻きつつ、グレタも了承する。それと同時にヘレナも鎧を装着し終えた。 「そこまで大口を叩いたからには、勝ってもらわないと困ります。勝算はあるんですかね?」 「よく知らんが、昔はよくやり合った仲らしい。しかし、あれほど認めていなかったのに勝ってほしいのか?」 当然です、とグレタはフルプレートアーマーに覆われた胸を張って答えた。 「勝たねば親衛隊の恥さらしになりますからね。そもそもあいつ専用の鎧も剣も作ってないのです。それ以前に、親衛隊への正式入隊は王宮へ行って承認されなければならないのですから」 「ああ、そうだな」 返答に対し、フッと笑った。 今の答え全てが、あいつを親衛隊の一員として認めた証明に他ならない。いや、もうグレタもとっくに仲間として受け入れていたのだろう。言葉にはできなかったが。 とにかく、この戦いが終わればあいつは本当の意味で親衛隊の一員になる。共にシルヴィアを守る盾として肩を並べる仲間となる。 だからこそ、約束は守れない。 「してヘレナ様、もしあいつが危険になったらどうしますか?」 「無論加勢しろ。皆にも、いつでもあいつを援護できるようにと言っておけ」 「了解しました」 あらかじめ決められていた言葉の如く、流れるように終わった会話だった。どちらも思うことは一緒か。 あいつが、一機にしろヴェックにしろ、我々の仲間として戦うのならば、今ここで失うわけにはいかない。例え約束を破ってでも命だけは助けなければ。それが親衛隊隊長の義務でもあり――何より、あいつに死んでほしくはない。 恨まれるな、とはわかっているが、これだけは譲るわけにはいかない。自らも《ヴァルキリー》に乗り込みつつ、ヘレナは夜空を見上げた。雲がかかっていて、星すらほとんど見えぬ夜闇。 ――メガラを大きく歪ませる、あるいは変える可能性を持つ存在、か。 思えば、あの夜もこんな夜だった。予言の場所に訪れて、一機を見つけたあの日。 予言が正しかったのか、ここに来てもヘレナはまだ答えを持っていなかった。《サジタリウス》を動かせたのはともかく、その後の行いは全てあいつ自身の意志によって為されたもの。神が動かした、とは思いたくはない。 ……まあ、神が動かしたのならあんなグダグダではないだろうが。 いずれにしろ、今やることは混乱した戦場に指揮系統を取り戻すこと。そう思い直し、《ヴァルキリー》をゆっくりと起動させた。 「……死なせんぞ、一機」 全て、あの男が悪いんだ。あの男が、あの男が全部――それが、自分、この世界でエミーナ・ライノスと呼ばれる少女の子守唄だった。 絶望の国(ナイトメアワールド)にある小さな島国。その西の方、あまり裕福でない町の外れの特に裕福でない、一言で言うなら貧乏人専用みたいなボロアパートが彼女の生家だった。大学新生活の一人暮らしでも手狭に思える小さな部屋で、彼女は母親と暮らしていた。 父親の顔を彼女は知らない。と言っても死別したわけではなく、最初からいなかった。 詳しい話は直接聞いたわけでないのでわからないが、どうも白人だったらしい。帰化したのではなく出稼ぎに来ていたところを当時高校生だった母と付き合い、そんな関係になった。 ところが、いざ母が彼女の妊娠を知り報告すると、何も告げずその白人男性はさっさと国に逃げ帰ったそうだ。元々遊びだったに違いない。母は本気で、それがあの子守唄がわりの言葉となる。あの怨嗟の言霊を、腹の中にいる頃から聞かされ続けてきた。 それでどうして自分を生んだのか、彼女は未だにわからない。情が移ったかささやかな抵抗のつもりか、ともかく母はたった一人で彼女を生み育てた。祖父母の類にはあったことがない。きっと、どこぞの誰とも知らぬ相手の子供を身ごもったので縁を切られたんだとドラマなどの経験で考えている。 しかしながら、彼女はこの母を嫌っていた。産んで育ててくれているのはわかるが、それでも大嫌いだった。元来かなりヒステリックな性格で、ちょっと嫌なことがあるとすぐ物や彼女に当たるところがあったが、それはまだいい。問題は母の職業だった。 夫となるべき男には逃げられ親にも縁を切られ、学歴もない女ができる仕事となればそれは限られてくるだろう。だが彼女は嫌だった。厚い化粧とふかすタバコのきつい匂い、帰ってきた時のアルコール臭さも幼少から嗅いでいるのに慣れなかった。 一番嫌なのが、母がそんな仕事をしているのと自分の容姿のせいで周囲から白い目で見られることだった。当然そんな環境でまともな友人ができるわけがない。学校ではこの碧眼のせいでいじめられた。どれだけ凄惨な目にあったか、思い出したくもない。 やり場のない彼女の憎悪は、母親しか向ける相手がいなかった。不条理にも母を憎むしかなかった彼女はやがて母の存在そのものを憎むようになり、母が醸し出す強い『女』の色香すら嫌うようになった。 自分が女であることを否定し、強く生きる――それが彼女にとって人生の指針になった。いじめの相手には拳で反撃を、その小柄な体躯を不利とせず、身軽なフットワークを生かして相手を打倒していく。そんな日々を過ごしていくうち、いつの間にか彼女は近辺の不良グループのリーダーになっていた。 昔と違い、不良は自分に従い、一般生徒も自分に脅えるようになった。しかし彼女の心は満たされない。リーダーもケンカに勝っていって人が勝手に集まった程度で、彼女はつるむのを嫌い迷惑がっていた。それでもついてくるので仕方なくやっていたが、正直疲れるばかりで何も楽しくない。 そんな彼女が『アイアンレジェンド』を手に入れたのは偶然であった。どうも母にご贔屓の客に子供がいると教えたところ、ソフトを買ってプレゼントされたらしい。きっと、適当に話を合わせていたのだろう。ここら辺じゃ知らないもののない不良の頭がパソゲーなんて笑わせる――と言いたいところだったが、暇だったので埃を被っていたパソコンを動かしてみた。 結果から言うと、彼女ははまった。説明書もほとんど読まず適当にカスタマイズした機体は彼女のセンスにピッタリ合致し、高い戦闘能力を持った。しかしながら、長い年期を誇るケンカで培った経験が画面上でも彼女を強くしたのが最大の原因である。ゲームで得た経験を現実の戦闘に生かした一機とは真逆だ。 自らの機体に《マーヴェリック》と名付けたのは、映画か何かだったか。ヴィクトール・アヴェロンはグループのツレがつけたあだ名だった。意味がわからなかったが、検索す(ググ)るという文明の利器を手に入れた彼女が調べた後、そのツレを殴り飛ばしたのは記憶に新しい。 とにもかくにも、現実世界における自らの境遇と色々なしがらみに嫌気がさしていた彼女にとって鉄伝はいい『逃げ場所』だった。まあ『小狼アヴェロン』なんてふざけた二つ名つけられちまったがな。 次々と強豪を撃破していく若きエースにマンネリ化していた鉄伝プレイヤーたちは色めきたったが――その蜜月の日々は一瞬で崩れ去った。 古参中の古参、最強の一角と呼ばれる『ばら撒きヴェック』――ヴァン・デル・ヴェッケンに倒され、名声は地に堕ちた。 鉄伝での高ランク所持者なんて所詮発売当初からやっているプレイヤーがたまたま生き延びただけで、ほとんどログインせずランクだけ維持してる過去の遺物、なんて話を聞かされていたのでデータ表示されても余裕で突っ込んだんだのがまずかった。唯一の例外があいつだったとは。 一機はただ単に《サジタリウス》では逃げられず、またなんやかんやで鉄伝がやりたかったので仕方なく相手していただけなのだが、彼女はそこらの腰ぬけとは違う戦士と認識してしまった。 実を言うと強くなりすぎて他の強豪は逃げるため白熱した戦いができず飽きてきていた彼女に取って『ばら撒きヴェック』の存在はまさに好都合、追い回す日々が始まった。 気に食わない者は否定し、潰す。彼女にとってそれは自らの生き様そのものであった。同時に、彼女は潰すべき『敵』を求め続けて生きているとも言える。だから現実世界で強くなりすぎて『敵』がいなくなった彼女が鉄伝に『敵』を求め、『強敵』たる一機に焦がれたのも自然なのだろう。 だが、一機という好敵手を手にいれ、日々切磋琢磨しつつも彼女は満たされなかった。所詮はゲーム、という思いが抜けきれなかった。彼女が欲しかったのは、命を削り肉体を傷つけあう戦いだった。画面越しのお遊びではない。 できれば不良とのケンカとかネトゲなんかじゃなくて、本当に命を賭けた殺し合いがしてみたいもんだ――そんなことを思っている時、彼女はメガラに訪れた。 最初、一機ほどではないにしろ混乱した。当然である。が、生存本能の強い彼女はサバイバルを開始、トカゲを狩ったり魚を捕まえたりなんだか楽しくなっていたところに、ライノスへ向かう商人の一団を見つける。 一団の長は彼女がなんなのか知ると渋い顔をしたが、見捨てるのも後味悪いかととりあえずカールへ連れていった。 詳しい説明もされずとにかく連れてかれ喚いていると会わされたのが領主であるジャクソン・ライノスだった。さすがにジャクソンは彼女の出で立ちからアマデミアンであることを悟ると、風呂と着替えを無理やり済まさせ、食事がてらメガラの世界について説明した。 無論、彼女にとって信じがたいことではあったが、この世界の異様さにはわかっていたのでなんとか受け入れられた。それに――何のことはない、逃げ出したかったのは彼女も一緒なのだ。 それはいいとして、問題は彼女の処遇だった。アマデミアンなのだから当たり前だが身よりも生活のあてもない。誰かが引き取らねばならない……なんてことを周囲が言っていると、ジャクソンが名乗りを挙げた。自分の娘にするというのだ。 これには周囲の人間も、そして彼女自身驚かされた。どこの誰とも知らんクソジジイの娘にされるなんぞ冗談じゃねえと暴れまわった。彼女にとって『父親』とは母以上に憎悪の対象だからでもあった。 しかし、首都カールにおいて絶対君主とも言える権力を持つジャクソンに敵うわけもなく、彼女はその日から領主の一人娘『エミーナ・ライノス』となった。 初めは誰が父なんて呼ぶかと反発していたが、ある日お互いの身の上話を話すことになった。正確には、ジャクソンが勝手に語り出したのだが。 聞くところによると、ジャクソンは元々アメリカで結構大手の海運業者だったらしい。かなり儲けていたそうで、ベガスで豪遊したとかハリウッドの人気女優と寝ただの散々自慢された。 嫌気がさしつつ、いいなー、アメリカってのはアメリカンドリームあるんだろと返した。いくら体を売っても全然生活が良くならず報われなかった母の顔をどうしてだか思い浮かべてしまった。嫌いなはずなのに。 ところが、それを聞くとジャクソンは笑みを消し、「アメリカンドリーム?」と小馬鹿にしたように鼻で笑った。 「昔はそういうものもあったかもしれんがな、富裕層への減税と貧困層の拡大で資産格差はどんどん広がっている今となってはまさしく夢物語だな。働いても働いても、生活が楽にならない現状じゃまともにやったってアメリカンドリーム掴めんよ。ましてや、不法入国者の子供になんて、そんなチャンス来るわけがない」 それが誰なのか、ジャクソンの様子を見れば馬鹿でもわかる。じゃああんたはどうしてそんな金持ちになれたんだ? 「そりゃ勿論、まともにやらなかったからさ。色々やったね。それこそ、口に出せないようなことでもだ。そのおかげで、三十にもならずに億万長者だよ」 ただし、『色々』をやりすぎてマフィアに睨まれたのがまずかった。命を狙われるようになり逃亡の日々、妻は女癖の悪さからとっくに逃げていて、一人娘と二人だけで逃げていたそうだ。 身から出た錆とはいえ、これまでのきらびやかな生活とはあまりにかけ離れた惨めな人生。こんなはずじゃない、どうして俺が、逃げ出したい――と思っていたら、当時ただの田舎だったライノスに来ていたというわけだ。 海運業で得た商売のセンスと自己演出能力であっという間にライノス前領主に取り入り、子供がいなかったのを幸いと養子にまでさせた。いい様に操られているなど死ぬまで気づかなかったろう前領主はあっさり死に、ライノス領はジャクソンのものになった。 ただの貧乏領の長で終わる男ではない、前領主が死ぬ以前から持ち前の手腕を発揮、曰く「ここの連中は騙されやすくて楽だった」その言葉通りわずか十年でライノスを商業の都として発展させてしまった。 だが、ジャクソンの目的はあくまであちらの世界に帰ること、今までのことはそのための基盤作りだそうだ。地下に封印されたあの《サジタリウス》のみならず、禁断の魔術師などとも関係を深めているらしい。 これだけこっちで儲けているのにどうしてそこまで帰りたいのか……それは語らなかったが、あっちで作ったというアクセを見れば一門瞭ぜ…… 「ああっ! ない!」 《マーヴェリック》のコクピット内で、専用のキュイラッサ・アーマーと呼ばれる簡易鎧を身につけたエミーナ――アヴェロンは叫んだ。胴部分と腕部以外ほとんどの装甲を排したこの鎧は、素早い動きを身上とするアヴェロンには合っていた。 その鎧の下に、いつも隠れているはずの猫型アクセがなかった。あわてていたので今の今まで気付けなかったが、どこで落としたのか。 「……あそこか?」 唯一の可能性は、ヘレナに飛びかかった時くらいか。あれ以前はたしかあったはずだ。仕方ない、あとで回収しよう。 戦場でくだらないことを思い出していたな、と自嘲の笑みを零す。あれから一年以上経った。ジャクソンの娘となり、発足されたばかりの自警団団長とされたのにはさすがに抵抗したが、結局流されるままここまで来てしまった。魔獣がちょっと出るくらいで大した騒ぎは起きなかったが――最初の実戦の相手が、まさかあいつとはね。 いつ頃からだろう。恐らくは最初から、あのケンカ騒ぎの時からだ。こいつが『ばら撒きヴェック』かもしれない、と思ったのは。 見栄のつもりで持っていたクレイモアに振り回されていたのは事実だが、あんな優男に避けられるわけがない。なんとなく似た様な経験を思い出したものの、まさかなと笑った。 その後のこと、祭りの夜に出会ったのは本当に偶然、FMNに案内したのはただの酔狂だった。《サジタリウス》なんて名付けた時は唖然としたっての。ま、確信を持てたのは砲撃の時点でだけどな。 あのクソ親父が引き抜く気なのは、なんとなくわかっていた。だが、アヴェロンは失敗するなと確信していた。理由はない、というか必要ない。カンで十分だ。 ならばどうするか――正直少しは迷ったものの、結局この道を選んでしまった。『ジスタ』入りの無線から自警団員の悲鳴に近い声が聞こえる。苦戦しているらしい。 「ギャーギャーやかましい! こっちは性能差があるんだ、固まって一体一体丁寧に潰してけ! あと、城郭内で戦闘は避けろよ!」 といいつつ、それを気にする必要がないのは見回せばわかった。街中での戦闘は散発的なもので、親衛隊側も外で戦うようにしている。ヘレナ隊長さんの命令か、甘いなと言うべきなんだろうが、感謝しなくてはならないのがエミーナとしての立場だった。 立場、か。「へっ」と皮肉げに呟いた。 その立場とか、しがらみとかが嫌でこの世界に逃げてきたはずなのに、また縛られている。無理やりやらされたようなものだが、だからと言って投げ捨てる気にもなれない。本当、おかしなものだ。 たぶん、あいつもそんな感じなのだろう。成り行きとはいえ、一旦できてしまった立場から出るに出られず、俺と戦うことにした。あるいは、あの女に惚れてでもいるのか? まさかな。 どっちにしろ、戦う以外できることがないならばやるしかない。それに……戦いたくないわけじゃないからな。 「お?」 《マーヴェリック》のコクピット内部に映る外部の光景に、ゆっくり起き上がる影があった。 赤い月に反射して輝く、どす黒い鎧。 《マーヴェリック》とは一線を画す重装甲によりずんぐりむっくりとした姿。 そして何より、右腕の代わりに取り付けられた馬鹿馬鹿しいほど不釣り合いな巨大砲。 「……ヒ、ヒヒ、ヒヒヒヒ……」 知らずのうちに、アヴェロンは笑っていた。低く、暗く、声を上ずらせつつ笑っていた。 さっきまでのモヤモヤは一瞬にして消し飛び、ボルテージが際限なく上昇した。 あの異形、あの異様。姿形は違えどまさしく《サジタリウス》。幾度となく自分に、ヴィクトール・アヴェロンに煮え湯を飲ませてきた宿敵。鉄伝最強にして最悪と名高いハンター。 この別世界で、再戦の約束をした相手とこのような形で再開したことこそ奇跡。ならば、他の事を考える余裕はない。ただ、戦いだけを楽しめばいい。 そう、立場やしがらみなど邪魔にしかならない。 これは、最初から二人だけの戦いなのだ。 「さあ、行くぞ『ばら撒きヴェック』ぅ!!」 巨大なクローを装着した両手を大きく広げて突進する。 鋼鉄の狙撃手が、砲口をこちらへ向けた。 ジャンル別一覧
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