アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1
そろそろミュンヘンを後にしようかと考えましたが、やはりアルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)だけは紹介しておく事にしました。ルーブル美術館やメトロポリタン美術館に比べると来場客が多いとは言えませんがドイツを代表する国立美術館です。(ドイツ部門の1位はレジデンツでした。)ぶっちゃけ、わざわざ飛行機に乗って行って見る・・と言う目玉があるか? と言うと微妙ですが、美術書で各々紹介されている作品が集まっているのは確かです。なぜなら前にも紹介した通り、かつてのバイエルン王家、ヴィッテルスバッハ家のコレクションがベースになっているからです。アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1Cafe Klenzeアルブレヒト・アルトドルファーのイッソスの戦いイッソスの戦い(Schlacht Bei Issus)ピナコテーク(Pinakothek)とは、そもそもギリシア語起源のピナコテカpinacotecaから派生した言葉で、絵画のみを集めた美術館を指す言葉。つまり絵画館なのだそうです。よく使用されているミュージアム(Museum)は考古学的な物まで含めた美術博物館と言う意味らしい。命名はルードヴィヒ1世。古代ローマの建築家の著作から見つけた名前だそうだ。アルテ・ピナコテーク開館から遅れて1853年向かいに新絵画館ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)がオープンした事により旧・絵画館アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)と名称が変わった。道路挟んで向かい合う両館の間 ヘンリー・ムーア(Henry Moore)のブロンズ像今回紹介するアルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)の開館は1836年。絵画館(Pinakothek)は共にバイエルン第2代国王ルートヴィヒ1世(Ludwig I)(1786年~1868年)によって設立されています。因みにルートヴィヒ1世については「ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg) 2 (美人画ギャラリー)」ルードヴィヒ1世とローラ・モンテス(Lola Montez)で紹介しています。ここが入り口? と思うほど目立た無いし解かりにくい。(ドイツは案内版が少ない)表は古いが中は近代的で清潔。エントランスはこんなに閑散。ツアーが到着すると混み混みになるそうだがこの時は空いていた 荷物は新しいロッカールームが奧に付属。Cafe Klenze 写真を撮影している側の後ろに絵画館のカフェがある。The Victorian House Cafe Klenze Alte Pinakothek(店の名前は長い)半セルフサービスな為に値段は安い。カウターで注文して簡単な物は自分で運ぶ。キッシュ・ロレーヌ 8.60ユーロ凝った料理は無いが、全てにサラダが付き味はとても良かった 看板などに表示されている値段は内税になっているので解りやすい。全体に10ユーロを超す品はなかったので安心。アップルトルテとコーヒー レシートが不明にアルブレヒト・アルトドルファーのイッソスの戦い(Schlacht Bei Issus)さて、最初に紹介するのはまさにコレクションの始まりとなった1点です。冒頭、アルテのコレクションは「バイエルン王家、ヴィッテルスバッハ家のコレクションがベースになっている」と紹介しましたが、そもそもヴィッテルスバッハ家が最初にコレクションを始めるに至ったキッカケの作品がこれから紹介するアルブレヒト・アルトドルファーの「イッソスの戦い」と言う絵ですイッソスの戦い(Schlacht Bei Issus)制作1529年 158.4cm ×120.3cmアルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer)(1480年頃~1538年)ドイツの写本挿絵家だったとされるアルブレヒト・アルトドルファーはデューラーと共に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の祈祷書の制作にも携わっていたと言う。地誌を正確に描き分ける風景画家とも伝えられる。彼の代表作となるのがバイエルン公ヴィルヘルム4世(Wilhelm IV)(1493年~1550年)と妃マリア・ヤコベアの依頼でレジデンツに飾る為に製作された歴史画イッソスの戦い。(別名アレクサンドロス大王の戦い)イッソスの戦い(Schlacht Bei Issus)BC333年マケドニアのアレクサンドロス3世(Αλέξανδρος)ことアレクサンドロス大王 VSペルシャのダレイオス3世(Darius III)との合戦。マケドニア軍3万に対してペルシャ軍10万とも言われた戦いにマケドニアが勝利した歴史的戦いであり、アレクサンドロス大王の武勇を讃える戦いの一つ。初敗退のペルシャ軍であるが、これがペルシャ衰退の始まりだったと言う。因みにイッソス(Issus)は現在のトルコ、イスケンデルン湾の奧部。(トルコ沿岸とシリア国境で地中海の最北東端。)後世語り継がれる一戦となったようでアルブレヒト・アルトドルファー以外にもブリューゲル(父)なども同タイトルで描いているように当時人気の画題でもあったのかもしれない。アルブレヒト・アルトドルファーは正確な地勢図で、史実に基づいて絵を作成。特に中央部隊を包囲するように囲みペシャ軍に裂け目ができたとする史実通りに沢山の兵が入り乱れて戦っている図が非常に繊細に描かれている。この時、ダレイオス3世はアレクサンドロス3世自身に攻撃され退散したと言われる。そのダレイオスは上の絵の中で中央少し左で金の馬車に乗っている。ちょっとボケましたが拡大しました。(馬車に名前が書いてありました)若干、気になるのは武具や装備の時代考証。ちょっと中世的すぎるかも・・。細かい、凄い・・と自然に目に留まった作品でした。アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)つづくBack number アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)