カプリ島 青の洞窟(Grotta Azzurra)
Break Time(一休み)今回は休憩。写真は青の洞窟(Grotta Azzurra)です。未知の病原体、新型のコロナウイルスが地球規模で蔓延始めた今日この頃。WHOがやっと世界流行として新型コロナウイルスのパンデミック(pandemic)を認めたが、すでに遅い。五大陸に及んでいるではないか。最初に発祥した中国の武漢から当初は韓国、日本のアジア圏だけであったが、それは時差を持って欧州やアメリカ大陸に上陸。対岸の火事が今自分達に降りかかって大騒ぎとなっている。対策は各国政府まちまちであるが、トップに力のある国は対処も早い。こう言う緊急時はある程度独裁的なトップの方が事の進み方が迅速に行く。各関係機関に根回しなどしていたらいつまでたっても決まらないからね。ところで、こんなさなかに海外旅行に出かけていた人達が案外多いのに驚いた。自分は大丈夫だと思っているのか? 先週ハワイ州知事がハワイに来ないでほしいと訴えていたが、それ以降も一日1500人くらい来ていたらしい。(ハワイでは今日の渡航者数が毎日公表されている。)公立の公園やビーチは閉鎖された。ワイキキビーチでは警官がビーチから観光客を排除していたらしいが、警官がいなくなるとまた集まってくるとかで収拾が付かない。州政府はついに決断。ハワイ現地時間2020年3月26日より、ハワイ居住者と訪問者にハワイ州到着後14日間の自己隔離を命じる新たな緊急宣言を発表。この義務は、アメリカ合衆国内で初めての措置、26日から米国本土および海外からハワイへ到着する全ての人に適用されるそうだ。ハワイではまだ感染者が少ないからなおさらである。レストランでの飲食禁止は要請から命令に変わった。現地の人もほぼ外出禁止となって自宅待機。観光の島ハワイがここまでしているのである。ホテルはすでにたちいかない。下からリストラも始まっている。世界がそんな中、3月22日、スタッフ含めて一万人規模の「K-1」を開催している日本。大丈夫なのだろうか? 感染したら自己責任? それは違うだろう。貴方が感染したら回りの人全員が隔離などの迷惑を被るし、年寄りに感染させてその人が亡くなったら責任はとれるのか? 世の中の感染は、まさに自己中の人が広めているのだろうな・・と感じたニュースである。もしかしたら自分はすでに感染しているかもしれない。そんな体で行動するべき時なのに・・。さて、今回は映像で楽しめる所は無いかと探した結果、前に紹介したポンペイと同じくイタリアのカンパニア(Campania)州からソレント半島の先にあるカプリ島の青の洞窟(Grotta Azzurra)の写真にしました。キレイなので・・。前に紹介していた青の洞窟をまとめて再編した感じです。撮影は2007~9年。近大都市とは異なるのでほぼ街の景観は変わっていないかと思いますがお断りしておきます。カプリ島 青の洞窟(Grotta Azzurra)カプリ島(Isola di Capri)(Island of Capri)青の洞窟(Grotta Azzurra)(Blue Grotto)島の歴史はやはりフェニキア人の交易基地から始まっている。(BC1200年頃)その後、シチリアと同じようにBC8世紀頃にギリシャ人が入植。ポエニ戦争の頃か? 共和制ローマの終わり頃、島はローマの支配に変わったのだろう。帝政ローマ時代には初代皇帝アウグストゥス(Augustus)(BC63年~AD14年)(在位BC27年~AD14年)と、その後継者、第2代皇帝ティベリウス(Tiberius)(BC42年~AD37年)(在位AD14年~AD37年)は特にこの島を気に入り保養地として過ごしていた事が知られている。※ 別荘の遺構も残っているし、島はローマ時代に大きく整備されている。ナポリから南に約30km。船で1時間くらい。ソレントからは20分くらい。もともとはカプリ島もソレント半島(Sorrento Peninsula)の一部だった。奥に見えるのがソレント半島撮影はVilla San Michele、カプリ島の西部アナカプリ(Anacapr)側から。カプリ島一番の見物が青の洞窟(Grotta Azzurra)(Blue Grotto)と呼ばれる海の洞窟(sea cave)である。それを見るだけの為に世界中から多くの人達が毎日島に来訪する。もともと沈下して半島から孤立したカプリ(Capri) 島は西と東の山で区分されるように存在している。東西に6km、南北で3km程度の小さな島である。西地区にアナカプリ(Anacapr)の街。東地区にカブリ(Capri)の街が存在。海賊が多かったと言う事でそもそもフェニキア人らが高台に街を築いたのが始まりだ。アナカプリ(Anacapr)の街がある西にはsolaro山(標高589m)が控え山頂までリフトも出ている。ソラロ(solaro)山からの島の西側。アナカプリ(Anacapr)側はセレブの別荘地でもある。一方、カブリ(Capri)の街は東のSan Michele山(標高262m)とTuoro山(標高266m)の間にある。マリーナグランデからケーブルカーが出ている。ところで、島はほぼ絶壁でできているので港は北に大きな港(Marina Grande)と南に小さな港(Marina Piccola)の2つしかない。外洋から来る船は全て北のマリーナグランデ(Marina Grande)に入港するし、青の洞窟見学の船もマリーナグランデから出向する。※ 青の洞窟見学はアナカプリを抜けて車でのアクセスもある。下はマリーナグランデ(Marina Grande)見える高台がカブリ(Capri)の街見える山がソラロ(solaro)山青の洞窟に向かうボートカプリ島は石灰岩で形成された島。海岸の周囲の多くは断崖絶壁となっていて、海の荒波に浸食され、削られ、形成された洞窟が幾つもであると言う。青の洞窟もそのうちの一つ。先に紹介した島の地図で見てもらうとカプリの島の北西の角より北よりの崖下にある。島内の交通の便よりは海からのアクセスのが良く、また洞窟見学は陸路からの人よりも船からの人の方が優先されている。船溜まりが洞窟の前でおきています。洞窟は自然環境の中にあり、天気や風による波浪の影響を受けやすいが為、いつでも見学できる場所ではないのです。せっかく島に行ったのに見学できない事も多々あるのです。洞窟に入れる確立は3~4割くらい。たいていはナポリやソレントからの日帰りなので、今日見学できるとなればその日に各地から集結するからです因みに、今回の写真は数年の何回かの写真からセレクトしていますが、見学できなくて近くから場所だけ見に行ったケースもあります。季節いろいろです。洞窟は海からボートでしか入れないので、階段で借りている人も、他からクルーザーで来た人もまた、ここで小船に乗り換えます。利権問題や安全性の問題もあり、洞窟前のボートと契約しての入場です。小舟は3~4人乗りで、その順番待ちは長い時で1時間以上(トイレもありません。)天気が良くない日は人も少なく、それでも入れればましですが、回りの日照が洞窟内のカラーに関係してくるので、できれば晴天の日の方が好ましい。とは言え、下に紹介した写真は海が荒れて入れなかった時のパターンです。せっかく見学の為にカプリに行って入れなかった時のショックは大きいですね。潮の干潮時の高さ約1m。干潮時と海が穏やかな時にのみ安全にアクセスできるわけですが、カプリ島では地中海ならではのシロッコ(scirocco)と言うアフリカから地中海を越えて至来する強風などの影響が初夏に見られます。要するに洞窟の入口の海上部分が低いとボートも通過できないと言う事です。初代ローマ皇帝アウグストゥスが気に入り、別荘地として島全体と対岸の土地を購入したと言われアウグストゥス帝の時代にいろいろ整備されたらしいが、2代ローマ皇帝ティベリウスは特に気に入リ、この島に12の邸宅を建てたと言われている。その一つがアナカプリ地区の島の西側にあるヴィラ・ダメクータ(Villa Damecuta)で青の洞窟のすぐ上。どうも最近の調査で、当時は青の洞窟の内部へのアクセスルートが地上からあったと言われている。ティベリウスは洞窟の落盤で奇跡的に助かった事が他で書かれている事からもしかしたらそれがこの青の洞窟だったかもしれない。※ 皇帝の館ダメクータはポンペイのベスビオ火山の噴火で灰におおわれその後放置されたと言う。入り口は幅2m、干潮時の高さ約1mの入口は狭そうに見えるが、洞窟自体は水深約150m(490ft)あるらしい。下は砂底。洞窟内部の長さ60m、幅25m。 以前書いた事ですが、下手な船頭の場合客が岩に頭をぶつけて血を流す事も結構あるようで、そんな時は洞窟への進入はすぐに中止。「事故はあくまで自然条件のせいだ!」と言う事で、その日は中止をもって終了になるようです。そんな時、料金は? もちろんここまでの船代は徴収されます。また2011年には洞窟に入った時に客の首が折れると言う事件も発生しているそうです。基本、自然現象の事故なので責任は負わないスタンスを船頭達は取るようですが、さすがにこれは損害賠償請求で解決したようです。洞窟内からのゲート狭いアーチ型の入り口と、その海面下には約10倍の大きさの開口部があるらしい。青の洞窟の光はこのゲートからの2種類の光源によりなるようです。またそれは当然であるが外の太陽光の強さでも変わるでしょう。下はまた別の日の色。何とも形容しがたい瑠璃色です。洞窟内部は60m×25mの広大な空間が広がっています。海面がきれいな青に輝くのは、やはり陽光の良い夏場が最高だそうです。太陽の傾斜角もあるらしい。そして一般的には青い色が最も美しく鮮やかに輝くのは、正午前後の10~14時くらいだそうです。(ナポリからの日帰り観光客で、一番混み合う時間帯)何度か入っている人によれば、このような洞窟入口からの発光する海面の鮮やかさも、天気の微妙な日にはかなりトーンダウンするようです。入れるだけでラッキーなんですけど・・。全ては天気次第、神様の配慮次第ですね・・。日頃の行いか?下はフラッシュをたいていると思います。陽光は水中に開いた空間を通して差し込み、その光は下にある水の層から屈折反射して、水面下のみを照らす。光が水を通過して洞窟に入ると、赤の反射が除去され、青の光のみが洞窟に入るプリズムの原理。水面から洞窟全体が紺碧の光を帯びて、より美しく、青く、神秘的な幻想世界を創り上げているようです。また洞窟の水の中にある物体は、不思議にプラチナ色にきらめいている。これは例えばオールなどに付いた泡が原因のようです。泡は光を周囲の水とは異なる方法で屈折させると同時に、その光源が下から来ていると言う事も理由のようです。先にも触れたローマ皇帝のティベリウスは現役中のAD27年にカプリ島に移住。洞窟は皇帝ティベリウスのプライベート・プールとして利用されていたらしい。洞窟の奥には水のニンフの神殿があったらしいし、1976年の潜水調査で、水深2mの所に岩盤を掘削して出来た壇や半円形にけずられた壁などが見つかっているらしい。祭壇か?2009年に洞窟の底から7つの彫像が回収。前のと合わせて、ローマ時代には海の神ネプチューン( Neptune)の像を先頭にしたトリトン(Triton)の像の群れが洞窟の壁に立っていたと考えられている。さながら海の神殿を模した物だったのかもしれない。それはルートヴィヒ2世(Ludwig II) が造ったリンダーホフ・ヴィーナス・グロッテ(Linderhof Venus Grotto)ような物だった?青の洞窟を古代の栄光に戻す意味で復元が考えられているらしい。※ リンダーホフ・ヴィーナス・グロッテは「ルートヴィヒ2世(Ludwig II)の城 1 リンダーホフ城(Schloss Linderhof)」で紹介。リンク ルートヴィヒ2世(Ludwig II)の城 1 リンダーホフ城(Schloss Linderhof)ところで、潜水調査によりローマ時代より島が2m沈下していた事もわかったようです。※ 2009年7月 カプリ島の登山鉄道(フニクラーレ)など他にもカプリ島について紹介していますが、初期の為に写真の色が変わっています。できれば差し替え造り直したい所ですが・・。その為、敢えてリンク先は紹介しません。今回はコロナ騒動の特別編でした。当分海外旅行には行けないですからね