チューリップ狂騒曲
これは17世紀初頭にネーデルランド(オランダ)で起きていた、ちょっとした事件です。私も何となくは知ってましたが、経済の角度から見ると、非常に面白い事件です。チューリップの写真もたくさんあったので珍しいのたくさん載せました。ちょっとした商品カタログ状態です。チューリップ狂騒曲欧州にもたらされたチューリップ(tulip)ネーデルランド(オラン)と言えばチューリップの訳キューケンホフ公園(Keukenhof)APG体系による植物分類チューリップ・バブルバブル崩壊What happened?コール・オプション(Call Option)tulip breaking virus(チューリップ破壊ウイルス)いろんなチューリップチューリップの花瓶欧州にもたらされたチューリップ(tulip)事の始まりは16世紀末。神聖ローマ帝国の外交官であり、作家であり、植物学者でもあるオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(Ogier Ghiselin de Busbecq) (1522年~1592年)。彼は神聖ローマ皇帝の命で、当時は敵対していたオスマン帝国の大使として1554年および1556年、コンスタンティノープルに赴任。以前からオーストリアはオスマン帝国に攻められていたから、神聖ローマ帝国側は国境線をトランシルヴァニア(Transilvania)で造り、円満にまとめたかったらしい。要するに彼はその外交特使として派遣されていたのだ。これきっかけで、本来アナトリア半島、イランのパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈、カザフスタンやキルギスを原産とするチューリップ(tulip)が神聖ローマ帝国にもたらされる事になった。オスマン帝国のスルタンが、神聖ローマ皇帝にプレゼントした。と言われているが、植物学者でもあるオージェ・ギスラン・ド・ブスベックは同時にオスマン帝国の植物を多くヨーロッパにもたらした事で知られている。キューケンホフ近隣のチューリップ畑普通の花なら開く前に採取するもものだ。しかし、チューリップ畑のチューリップは花を目的としていない。これらは球根を採る為の畑なのである。実生(タネ)から開花までに5年以上かかるので繁殖は主に球根の分球で行う。どの球根からどんな色のどんな形のチューリップが生まれたか判断もできる。チューリップは非常に品種が多い花。(その理由は後に。)深く植えつけると分球が少なくなるが球根は肥大する。大きな球根を採取する場合は開花から約2日後に花部を切断するらしい。そういう意味で見頃の期間が短いのも納得。観光で花を見せているわけではないからだ。ネーデルランド(オラン)と言えばチューリップの訳美しいチューリップ(tulip)の花は瞬く間に神聖ローマ帝国圏で人気の花となる。とは言えネーデルランド(オランダ)に伝わるまでかなり時間はかかっている。1594年、ライデン大学(Universiteit Leiden)(1575年設立)の庭園で咲いたのがネーデルランドの初チューリップ(tulip)と言われている。医者で植物学者でもあるライデン大学の教授、カルロス・クルシウス(Carolus Clusius)(1526年~1609年)が咲かせたもの。彼は薬園で薬草の研究をしていた事があるらしい。そこからヨーロッパ初の公営植物園 ライデン大学植物園(Hortus Academicus)の設立にも彼は尽力している。また、チューリップの品種改良や栽培にも貢献した?特にネーデルランド(オランダ)では気候や土壌の相性が良かったらしい。チューリップはタネだけでなく、球根で増やす事も可能。しかも球根のが早い。瞬く間にチューリップはネーデルランド(オランダ)でも人気となり増えて行った。それ故、カルロス。クルシウスもまたヨーロッパにチューリップ・バブルをもたらす切っ掛けをつくった人物としても知られている。キューケンホフ公園(Keukenhof)キューケンホフ公園(Keukenhof)は、ネーデルランド(オランダ)南ホラント州にあるリッセ(Lisse)にある花の公園。(期間限定で公開)非常に多種のチューリップが見られる。キューケンホフ公園は600種以上の花と7万株のチューリップが鑑賞できる公園として知られている。最もチューリップの見ごろは4月半ば頃。2025年のキューケンホフ公園の開園日程2025年3月20日(木)〜2025年5月11日(日)。開園時間は08:00〜19:00キューケンホフ公園は、チューリップが見頃の3月中旬から5月中旬にかけてのみしか開園しない特殊な公園なのである。それは1949年、球根栽培者たちの発案で、球根花の輸出促進を目的とした展示会をキューケンホフ公園で開催した事に始まるからだ。もともとリッセ(Lisse)周辺の砂質の土壌は、球根栽培にかなり向いていたらしい。森は伐採され、少しずつ栽培地が拡大しリッセの球根花産業は成功した。雇用も増え、球根花は世界100以上の国に輸出されるほどに成長。キューケンホフ公園は、チューリップの見本市としてスタートしたのだ。温室内には業者に持ち込まれたチューリップが並べられていている。カードを見て、欲しい人は連絡をとるシステムらしい。そもそも、次に紹介するが、ネーデルランド(オランダ)では16世紀初頭にチューリップ・バブルと言う騒動が勃発するほどチューリップ熱があり、チューリップ産業は潤っていた。どこよりも強かったチューリップへの思い。そんな産業の活性化? 新種のチューリップ球根の開発を続けてきたネーデルランド(オランダ)が輸出産業として力を入れた。2014年のデータ「農畜産物の輸出額」はアメリカに次いで世界2位を誇っている。しかも「花き」部門の輸出額は81億ユーロで世界1位となっている。2015年データ世界の「球根」の輸出額の77%がネーデルランド(オランダ)であり、その大部分は「チューリップ」。上と下の花の色付き方は反対です。黄色と赤の掛け合わせ? オレンジの種類も豊富。八重咲きまるでボタンの花のよう。フリンジ咲き?一瞬、オレンジのアイリスかと思う。APG体系による植物分類DNA解析による分子系統学で新たに組まれている植物の系統図。以前のような見た目とかではなく。遺伝子解析で確実に近種がわかる。分類(APG III)被子植物 (angiosperms)単子葉類 (monocots)ユリ目 (Liliales)ユリ科(Liliaceae)チューリップ属 (Tulipa)学名 Tulipa L.※ ユリ目やユリ科は細分化される傾向にある種。ユリ咲きユリ目やユリ科と言う所属だけあって、確かにユリっぽい。今まで開いたチューリップをよく見た事がなかったが・・。ユリの遺伝子を前面に出した品種のようですね。チューリップとは思えない鮮やかさと華やかさ。チューリップ・バブルチューリップの概念が変わるほど多種多様。それは数百年と言う歳月でチューリップが品種改良され続けてきたからだ。16世紀末、チューリップがネーデルランド(オランダ)にもたらされると、まず貴族がその美しさに熱狂した。当初は非常に高価であったと思われる。球根はライデン大学の教授、カルロス・クルシウス(Carolus Clusius)の菜園から盗まれる事も多々。そもそもは観賞用であったチューリップは球根で容易に増やせる事が解った。安定供給されると値段も下がり、庶民にまで降りて来た。そんな頃(1630年代半)、鮮やかな色彩の「通常のチューリップ」とは異なる新品種? が出現する。変異種である。それらがブームに新たな火をつけた。珍しい模様をしたチューリップを持つ事は、貴族や資産家のステータスとなり、収集家はこぞって、それらを求めたから、チューリップの価値はさらに押上ったのだ。1637年、カタログ「Verzameling van een Meenigte Tulipaanen」に記載された「Viceroy(viseroij)」の名で知られるチューリップ。写真はウィキメディアよりお借りしました。(発色が飛んで黒く見えるが元は赤色だったらしい。)球根は大きさ(エース〈aase、1エース=0.05g〉)に応じて値がつく。当時のギルド職人の年収は約300ギルダー。しかし、このチューリップには3000~4200ギルダーの値が付けられている。世界最高根の付いたチューリップが、初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)(BC63年~BC14年)の名が付された「センパー・オーガスタス(Semper Augustus)」。下はその水彩画。センパー・オーガスタス(Semper Augustus) 写真はウィキメディアよりお借りしました。1637年の取引価格は1623年の取引価格の10倍に上昇した。この変異種、実は植物の病気によって完成された珍品の花。白と赤が交ざり合ったひときわ美しい模様をした鮮やかなチューリップ。特殊な柄のチューリップが非常に人気となり、そもそも値段も高かったが、それらは季節外に先物取引で行われたから、もうけたい人間の間を転売につぐ転売で球根の取引値段はどんどん上昇。そうしてチューリップ球根のバブルが始まったのだ。要するにチューリップの球根は投機の対象として扱われたのである。球根1個に12エーカー(ac)(東京ドーム1個強分)の土地と同額の値が付いた時もあったとか・・。そんなチューリップに熱狂する人々から「チューリップマニア(tulip mania) 」とか、最近日本ではバブル経済にひっかけて「チューリップ・バブル」と呼称されている。このチューリップのネーデルランド(オランダ)での狂気的な人気が経済に及ぼした影響を例えたワードですが、私は人々の騒動に焦点をあてて、文学的にタイトルを「チューリップ狂騒曲」にしました。バブル崩壊熱狂とはいつか覚めるものだが、思ったよりも早くそれは起きた。そもそも現物の取引はなく、この年の球根は高値で転売されまくっていた。バブルの時と同じように一気に一瞬に価値が暴落する事象が起きたのだ。下は当時(1636年9月~1637年5月)の取引価格のグラフです。(3月4月のデータは無し)2008年9月制作。アール・トンプソン(Earl A. Thompson)氏制作。ウィキメディアより借りました。What happened? (何が起きたの?)は、私が説明の為に加えさせてもらいました。1636年11月、価格高騰の兆候が表れる。球根の価格が10倍に、そしてすぐ20倍に。1636年12月、変異種だけでなく、普通の球根の価格すら高騰。1637年1月、2月、価格は異常に上昇。What happened?1637年2月、突然球根の値段が大暴落。バブルははじけた。1637年5月、すっかりバブル以前の価格に戻った。という落ちまでついた。What happened?バブル崩壊の引き金をひいたのは、チューリップ協会の人々(オランダ花屋のギルド)だ。実は1636年の秋から対策が講じられていたらしい。そもそも、先物のチューリップ球根の取引を彼らは「windhandel(風の取引)」と呼んでいた。球根引き渡しの実態はほぼ無かったからだ。彼らは空売りで転売していき、差額を設けとしてもらっていた(差金決済)から、高値の球根を買うお金もそもそもは持っていなかった。証拠金(保証)のようなものは当時は無かったから。次々転売ヤーが高値で購入している間は値段は上がり続けていた。でも、それが止まれば誰かが支払いをしなければならず、破産もあり得た。結果、オランダ議会の承認が降りたのが1637年2月24日。「1636年11月30日以降、春の現金市場の再開までの間に締結された先物取引契約はすべてオプション取引契約と解釈されるべきこと」が告知された。つまり、チューリップの球根取り引きはデリバティブ(金融派生商品)として先物取引がされていたが、その先物取引契約が秋にさかのぼってオプション契約(コール・オプション)に強制変更されたという事らしい。コール・オプション(Call Option)コール・オプションは、そもそも「買う為の権利」を買う事。商品そのものを買うのではない。商品を購入する為の権利を獲得すると言うもの。あらかじめ設定された日に設定された金額で購入する権利。故に、もし高くなっていれば、差額は儲かる。(売り手は損するが・・。)もし、値下がりした場合には損するので、あらかじめ決めていたオプション料を支払って権利を放棄すれば商品を購入しなくてもよくなる。金融機関や保険会社はオプションを保険のような金融商品として販売している。実際、今までの取引よりも、コール・オプションで購入しておけば購入を辞める事も可能だから購入者のリスクは減った。買い手にとってはメリットだ。※ 逆に売り手の方には「売る権利」プット・オプション(Put Option)がある。1637年2月実際の球根取引が行われる頃、ネーデルランドでの高騰を聞きつけた諸外国からチューリップが持ち込まれるようになり、需要が満たされれば値崩れが始まる。今年の相場が予定より下がりそうな気配?そこに1637年2月24日、コール・オプションが告知される。大損が見えていた人たちには朗報であった?今まで保証金も無く、転売を重ねていた者らはオプションの支払いもできたかどうかわからないが、購入を辞めた人は多かっただろう。これが機に球根売買に手を出す人が一気に減った?よけいな購入者がいなくなった市場で、値崩れは加速したのだと考えられる。そもそも、今までチューリップの先物取引は、酒場で行われていたらしい。そもそも正式な取引とは言えないしろものだったから・・。居酒屋の「college」で会い、球根を買う取引に参加する為には、参加費? 取引価格の2.5%から取引あたり3ギルダーを上限とする「ワイン代」で支払う必要があったとか・・。それにしても、ネーデルランドに初の株式会社ができたのは1602年(世界初)。正式名 東インド諸島連合の会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie)(VOC)(株)。(次回の案件です。)それから35年後には先物市場が形成されている。まさにネーデルランド(オランダ)の黄金期だからこそ起きた事件だったのかもしれない。tulip breaking virus(チューリップ破壊ウイルス)先に紹介したような高価なチューリップの誕生は、実は偶然の産物だった?チューリップのみに感染するモザイク病が原因らしい。現在当時と同じチューリップを見つける事はできません。そもそも病気だから安定供給はできなかったのかも・・。似たようなチューリップを見つけたので紹介します。が、これらは、ウイルスではなく、人工的にDNAを改良したものかもしれません。今の技術なら遺伝子操作はできるでしょうからね。キューケンホフで撮影。1636年1月だったら、これらにはとんでもないお値段が付されていたかもね。いろんなチューリップ現在の品種は5000を超え、そのうち1000品種が世にでまわっているそうです。品種は、開花期の早生、中生、晩生そして原種の4つに大別され、さらに来歴、形態などによって15系統に分類されているらしい。一重咲き、八重咲き、ユリ咲き、フリンジ咲き、パーロット咲きなど。キューケンホフ庭園のチューリップ ホワイト編チューリップの奥の深さがわかりますね。以前イングリッシュ・ローズにはまった事がありますが、それよりも品種がとんでもなく多いし、姿形の変化で言えばローズよりもはるかに多種多様です。ネーデルランド(オランダ)の人々がチューリップにはまった理由がわかる気がします。紫編八重咲のイングリッシュローズにも似ている。フリンジ咲きこちらは病気が多い気がしますね。まだ未完かな?ユリ咲き一重咲きオーソドックスに見えてそうでもない。一重咲き花弁(はなびら)の外側が白チューリップの花瓶今はほとんど使われないだろうが、かつては高級品のチューリップ。どう見せるか考えた末に考案されたのだろうが・・。結構巨大。どう造られているか? が、下の写真でわかります。今も土産用? デルフト陶器では制作されているようです。大から小の花瓶を積み上げる形でできている事がわかります。下は、使用例でしょうが、実際切り花となったチューリップはこんな形状になりません。成長ホルモンは日の光を嫌うので、花頭は日の方に向くようクネクネと曲りはじめるからです。もし、右に窓があるなら、全ての花は右にクネってしまう。美しい樹形を保つのは無理。そんな時、昔の金持ちはどう対処していたのでしょうね。上の花瓶はアンティーク。デルフト製ではなく、おそらくチャイナからの輸入品だったのでは?それこそ、東インド会社が造らせて持ち込んだ特別な花瓶だったのかもしれません。一重のダークブラウン?ラストに究極? 黒いチューリップです。「黒いチューリップ(La Tulipe Noire)」そんな映画がありましたね。アラン・ドロン(Alain Delon)(1935年~2024年)が主役だったということで、タイトルくらいは知ってましたが、黒いチューリップの話ではなかったみたいです。フランス、イタリア、スペインのアクション映画だったそうです。黒いチューリップを開発する話かと思ってました。2024年中に出そうと、連日深夜まで頑張ったのですが、ギリ間に合いませんでした。写真が無くても大変だけど、ありすぎても大変。さらに内容も、決まるまでが大変。月1は出したいとガンバツテいますが、内容がどんどん増えて長くなっているので、今はそれもきつくなってきました。いつも深夜に作業しているのですが、眠くなるのも早い。全体の睡眠は少ないのですけどね。一作仕上げると、しばらくは見たくもないし・・。昔、毎日載せていたのがウソのようです。最も内容も薄かったけど・・。2025年もヨロシクお願いいたします。m(_ _)m