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2009年05月05日
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カテゴリ:歴史の旅

何度も訪れたい国や都市があり、ハワイのように毎年バカンスをおくりたい場所がある一方、私には二度と足を踏み入れたくない場所もあります。
一つはローマ市の城壁の外、旧アッピア街道沿いにあるカタコンベです。

二度と行きたくないカタコンベ

アッピア街道(Via Appia)
カタコンベ(Catacomb)

アッピア街道(Via Appia)はローマ街道の中でも古くからある街道の一つです。
古代ローマの繁栄時代「すべての道はローマに通ず」と言われ主要都市とローマは幾つもの街道で結ばれていました。

その中でもアッピア街道は軍隊の迅速な移動を目的とした舗装された街道一号だそうです。(馬車が通れるように大きな敷石が敷き詰められています。)

紀元前71年、約6000人の奴隷が反乱を起こしマルクス・リキニウス・クラッスス(カエサルと共に三頭政治をした人)によってこの反乱が鎮圧されると、「逮捕された反乱者たちは街道沿いに十字架にかけられた。」と言うエピソードもある街道です。

カタコンベ(Catacomb)
カタコンベ(Catacomb)は地下の墓所の事で、死者を葬る為に使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のことを指します。(何層にも深く掘られている。)
古代には城壁内に墓所を作る事が禁じられていた為、墓所は城壁外の街道沿い作られたのです。

カタコンベ(Catacomb)は最初、単なる墓地にすぎず、ここでキリスト教徒たちは葬儀を行ったり、殉教者や死者を記念する祭儀を行っていたようです。

キリスト教徒迫害時代にはここに隠れ住んだとも言われていましたが、実際はそのような事はなく、ただ殉教者が葬られた為に巡礼の聖地となったと考えられているようです。

アッピア街道沿いにはこのようなカタコンベがたくさん点在していて、有料で見学させています。


私が入ったカタコンベは名前も覚えていませんが、当時発見されて間もなかったのか、教会も建てられていなかったと思います。
当時ローマのカメオ屋さんで働いていたF氏に連れられて何も解らないままにここに来て、中に入れられました。

10人単位くらいでまとまって一列に(通路が狭くて一人しか通れない)闇の中に下って行くと、両サイドは何メーターかある高い壁になっており、そこにはいくつもの穴が開いて(横に広く)縦には三段くらいで、石の蓋のついたままのもありました。

怖かったです。深く進めば進む程背筋の凍るような恐怖で、見ず知らずの前の外人の背中をつかまえて、気がつけば数珠つなぎ、芋虫のように全員が繋がっていました。
途中で一人が恐怖で狂って走って逃げて行きましたが、かえって危険な行為です。たまに迷子になって死ぬ人もいるようです。

普通に立って歩く事が出来ません。頭の上が怖いのです。(両サイドも怖いけど・・)
皆頭を下げて前の人の背中に押しつけるようにこごんで歩いていました。私は見えないけれど、比較的敏感な方の性質なので、半端ない恐怖体験でした。
怨念が強い霊が多すぎだったのでしょう。まだきちんとお祓いもされていない墓地だったのだと思いますが、凄かった・・・。知ってたら絶対入らなかったのに・・。

その翌日だったか、バチカンのサン・ビエトロ寺院に行き、地下に眠る歴代法王の墓が一般公開されていたので入りました(懲りもせず・・)でも、そこは清らかでした。清められているのが解りました。
さすがバチカンだと感心しましたね。 

アッピア街道もカタコンペも写真はありません。下はバチカンのサンピエトロ寺院。ローマ・カトリックの総本山です。
バチカンやローマも追々紹介していきます。
イタリア、ローマ、サンピエトロ寺院

もう一つは次の機会に・・。同じく幽霊がらみですが、こっちは後が怖かった・・。






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Last updated  2017年07月25日 14時20分38秒
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